オストメイトで山賊と海賊・・・銀座のコテコテ周旋屋のよもやま話

去年は100の山を愛し、今年は108の山に恋をする。
夏は太平洋の大波で泳ぎ続け、日本の自然を愛して66年。

金儲けより自分をどう解放するか

2022-10-21 10:22:07 | 身体障害者でも、介護と看護の日々

 

 全体としては、地球は寒冷化に向かっているが、その中での、一時的な温暖化なのが今だ。

 経済市況の市場を見ていると、おなじことが言える。

 長かった金融緩和で、市場にはジャブジャブの金が溜まっているが、これが不景気真っ盛り、もっと悪くなるという指標や数値を前にして、蠢き回っているだけのことで、株価が上がっても、全体としては、実体経済はどんどん落ちて行ってる。

 大笑いだろう。

 株価や為替で体面作りに躍起になるよりも、国民の為に円を使うことをしない日本政府やは、総入れ替えすべき笑い話になってる。

 

 米英側が経済制裁を科すと言うと、すでに世界を二分してしまってる資源国側は、資源を出さなくなる。

 ブランド品で身を包んで、ゼニカネを持って奥山に登っても、ナンの役にも立たないのとおなじ結果になる。

 電気もなければ、電波も届かない。

 馬鹿な国民は、やんややんやの喝采を送っているが、武士は食わねど・・・寒い冬に凍り付く夜をどう過ごすのか?

 国家とは、無責任なものさ、組織や企業も、無責任なものさ。

 では、あなたを守ってくれるものは、な~に?

 

 自分は小心者だとか、臆病だとか、慎重すぎる、対人関係が苦手、上手く話ができない・・・から、人付き合いが下手、友達も少ない、うんぬんかんぬん言う大人はたくさんいるが、要は自分しか大事に考えてないからこそ、そんな呑気なことをほざいてる。

 それがいけないこと、ダメなことだと自分で思っているからこそ、そんなセリフが出る。

 先に逃げ道を用意してる、薄気味悪い自慰の一種だ。

 それで生きて行けるのならば閉じ籠って、養ってもらって援助受けて、暮らせるだけ幸せだろう。

 こういう連中はとんでもない単細胞の強引な奴らに簡単に騙されて、オモチャにされる。

 自分だけで酔っている自意識なんて、オモチャになる為にあるようなもんだ。

 マゾ気質、人間不信というのも、おなじ自意識過剰な自慰の仲間だろう。

 友達も、仲間も、別にカテゴリーなどいらんだろう。

 その時に話をして関わっている人、それだけのこと。

 明日もそうとは限らない。

 俺なんざ、別に友達も仲間も要らないし、メンドクサイ関わり合いは仕事を離れたら何も要らない。

 それでなんの問題もなく、常識や良識もなく、良い悪いさえ、別に無い。

 自分を自分で決めつけることもなく、自由に開放して64年になる。

 

 世の中社会の構造やシステムが解ってしまうと、司法・政治や経済だとほざいている尻の青い連中の騒動からは距離を置いて生きるようになり、メンドクサイ関わり合いも持たないようになる。

 増してや自分の命の余生を考えるようになると、ゼニカネ儲けにも飽いて来る。

 そういう時は中途半端な仕事はせずに、な~んにも無い状態にリセットする。

 真っ白で新しいキャンバスを目の前に置いて、ナニも描かずに居眠りを始める。

 借金も負債も貸し借りもナニも無いから、俺の好きなように生きる。

 資本主義社会では、どう儲けるか?ではなくて、そこでどう自由自在に生きて見せるか? だ。

 

 93歳になる爺様がいよいよ夏の疲れも出て寝てばかりになっておったから、要介護2になってその説明にケアマネージャーがやって来るというので、時間を合わせて出掛けておった。

 喧しい婆様とケアマネージャーを残して、隅田川の遊歩道に車椅子で出掛け、少し歩くというのでフラフラ杖をついて歩かせていたが、すぐに疲れたと座り込んだ。

 そんなもんだろうが、気持ちが良いと深呼吸をずっとしておった。

 俺と二人で話がしたかったようで、よく喋っておった。 

 暇さえあれば、こうやって相手をしてやってるから、田舎にいるときの酷い認知症は完全に治ってしまった。

 週に2回の訪問看護、週に1回の在宅医療、週に1回の散歩や足湯のサービスに、週に1回のマッサージ、散髪も在宅で訪問散髪になった。

 あとは気持ちよく、生きておればエエやろ。

 ちゃんと送ってやるがな。

 自然に、余計なことはせず、放置するわけでもなく付き合って、解放させてやる、これが介護というものだろう。

 60歳過ぎて、働かずに年金だけで30年、生きて来れたことに感謝すべきだろう。

 俺なんざ、最後まで自営の現場で働き詰めだろうし、行き倒れになることを望んでいる。

 

 世界経済は、世界の政治とともに、止まってしまってる。

 ナニか大きな事件が、起きるんだろうな~と、俺は鼻毛を切りながらほくそ笑んでいるさ。