ま~だ、テレビや新聞やネットから情報を得て暮らしてるの?
塀の中に閉じ込められたまんま、与えられる情報もみな一緒、奴隷解放なんて海の向こうの他人事。
朝から深夜まで、ワザとピント外れのどうでも良いような記事やニュースばかり、雑音でしかないガス抜きに目眩ましの喧嘩に争いを見せられて、決して肝心要の話には行き着かない、そうやって昭和から令和まで河原乞食の見せ物に夢中になって終わってる。
可哀想な日本人。
安倍元総理が銃撃されて亡くなって、1か月が経つが、安倍派だとか安倍に面倒を見てもらっていたり育ててもらっていた連中のその後を眺めていると、ぜんぜん意味が解らない。
みな自分のことばかりで、安倍を殺した本当の下手人については、一向に調べようともしていない。
その死因もうやむやのままで、大量の輸血が必要だったとか言ってる割に、倒れた路上はキレイなもので、その場で胸や腹部を開いてる写真を見ても、血痕すら確認できないが、そんな大事なことを一切公表しないで封印してしまう姿勢には、うんざりする。
大メディア主導でその後の話ばかり、統一教会の話だって表面的な報道ばかり、やるときはノイローゼ患者のように徹底的に攻撃の手を休めないのに、おかしなもんだ。
すぐに国葬を決めてしまったスピードとは、ぜんぜん真逆ののらりくらり。
日本の有名・著名人の死については、昔から怪しいことは多いが、メディアが緘口令を敷いて、当事者のまわりの人間もだんまりを決め込む、決して復讐だとか追求だとかはしない、おかしな連中だよ。
結局は外国の大きな力の前では、従順に従うしか方法がない。
奴隷国家の中の、奴隷同士のひそひそ話で終わってしまう。
アメリカの奴隷国家だったものが、中国の奴隷国家となるだけのことだろう。
独立自立できないメンドクサイ放蕩息子とおなじで、世界からは国家としても見られなくなってゆく。
アメリカはいよいよ国家分裂に向かい、世界の覇権は中国に移り、台湾や日本は中国管理の離れ小島となって生きてゆくしか存在の意味がなくなってくる。
与野党の政治家や官僚・役人のオツムの馬鹿さ加減やその日常を見ていると、エリートの器の小ささに、呆れ返るだけのことだろう。
コロナ騒動の珍獣な専門家たちや政治家たち、相変わらずだが、馬鹿げているよ、日本。
昔から、安っぽい民主主義を謳う連中や安っぽい左翼の常套手段には、すぐに被害者面する、差別や格差を持ち出してくる、弱者の味方、宗教の自由、そんなものを前面に押し出して来ては、自己防衛に走るのが多かった。
臭い芝居、キレイごとの弱者救済、いくらでもある。
悲しい歌、せつない歌が永遠の名曲なわけは、洗脳し尽くした猿の群れには響くようになってるからだ。
俺にはナニも響かない。
営業の世界では、身内を勧誘し、身内からモノを売る、泣き落とし、こういった後ろ向きな手法があるが、そればかりになってくると小さな利益供与のグループで終わってしまう。
そのグループを束ねてしまえば大儲けできると踏んで蠢くものらが、宗教や大企業にはたくさんいる訳だ。
右翼も地に落ちているし、左翼も地に落ちている。
与野党の政治家が地に落ちて、誰がこの国の責任を負うのか?
芸術や芸能の世界なんて、すでに政治利用しか価値がなくなってる。
大笑いしてやれば良い。
オストメイトになって6年くらいになるが、健常だった頃と別にナニも変わらない生活を送り、3~4日に一度の腹のパウチの交換だけ、それも慣れてしまえば日常のことで、たまに制御できない放屁が高らかに鳴り響くこともあるが、これも笑い話で終わってしまう。
トイレだってオストメイトトイレなんかなくても和便でもオッケ~さ。
便通については医者よりも詳しくなっている。
どんなものを喰えばこうなるか、こんなものを喰えばそうなる、ありとあらゆる実験を自分で面白がってやってきてるから、そりゃ~話題には事欠かない。
便秘で苦しんでる女性には、いくらでもアドバイスが出来る。
オリーブオイルや魚介スープの入ったパスタは大腸が喜ぶ食い物だとか、鰻も源泉で生きてる鰻が腸には良いとか、オモシロイ話はいくらでもある。
すべて実践している経験談だから、ネットの情報オタクには詳しくは話さない。
一部だけ知ったところで、生活というすべての中での一部という話だから、意味をなさないだろう。
その前後を知らないくせに、それだけ話したところで、実のある会話にはなりもしない。
馬鹿は馬と鹿と書くが、そんな戯けた大人社会が拡がっている。
高齢の親の面倒は金を出して他人任せ、病院や施設で薬漬け、専門家の言うとおりに動くのが楽で良い。
そのくせ退屈で無意味な日常の習慣や行事はその親に教わったとおりの、古臭い昭和の宴ゴッコ。
こういう大人社会で、エエんかいな?
俺の関わってる高齢者たちは、昭和の老人の辛気臭い姿など捨てさせて、面倒から解放されて笑って生きている。
責任を一身に負うだけの生き様もなく、経験もなく、飼育されて生きてるだけの猿には、親からの信用も無い。
介護や看護も、ナニも他人や社会とおなじである必要もないんだがね、創造力も自信もナニもないんだね。
海で、泳いでいる。
気持ちの良いことだ。
山はしばしお休みで、9月までは泳ぎまくってやる。
癌の転移患者にも無理を言って、潮風を浴びてもらうしかないな。
それも地球からの大事なプレゼントには違いない。
紫外線も浴びて、身体に悪い訳がない。
盆とゴールデンウイークと正月は、猿の群れがどこでも群れて騒々しいから、なるべく仕事をする。
出掛けるにしても、常に逆方向にスイスイ動いて遊ぶことになるが、これは30年前からずっと同じだ。
呆れるくらいに、群れて競い合い他人の目を気にして喜んでる猿の集団には、辟易するしかない。
その安っぽい自意識や自惚れの正体に、早く気が付くことのほうが、先だろうな。