オストメイトで山賊と海賊・・・銀座のコテコテ周旋屋のよもやま話

去年は100の山を愛し、今年は108の山に恋をする。
夏は太平洋の大波で泳ぎ続け、日本の自然を愛して66年。

まだまだ泳げる、素敵な猛暑の海

2020-08-31 23:02:22 | 銀座の周旋屋

 

 他人のために、社会のために・・・企業にしろ、個人にしろ、こういうセリフをよく耳にする。

 キレイごととはそのことで、まず自分自身が自分に素直に、自分らしく、自由自在に生きることができるようになってから、これは口にするべきことで、老いても自意識過剰なボケ野郎が、自己逃避の手段として口にするべきことではなく、企業が、利益優先を隠すために喧伝することでもない。

 幸せの何たるかも知らず、愉しく生きてもおらず、神経過敏に病んでる奴らが・・・他人のために? 社会のために? 道具にされるのがオチだ。

 親に振り回され、子に振り回され、配偶者に振り回され、社会に振り回され、仕事やゼニカネに振り回され・・・自信もない癖に恥ずかしい。

 人間の世界で、ナニが起きても独りで感情をコントロールできるようになって初めて、これは言うべき。

 大笑いしながら、悠々と自信満々に、これは口する言葉だ。

 戦後の日本は、このキレイごとで腑抜けになった。

 優しい世代、オモテナシの心、思いやり・・・本来の日本語から、遠く離れてしまってる。

 老いて単純に解りやすくならない大人社会や老人世代、これは未熟な国家の在り様を見事に現わしている。

 小難しく、簡単じゃ~ない・・・よく聞くセリフだが、安易な逃げ口上だ。

 キョロキョロしながら、まわりを気にしながら、虚ろなキレイごとをほざいてんじゃ~ね~よ。

 

 ということで、昨日も太平洋で遠泳してきた。

 午前中は仙台から車をくれてやるので取りに戻ってきておった息子を見送って、使わなくなってる銛やナニやらを整備し上がった車に積み込んでやり、午後から潮も満ちてくると確認して、膨らんでパンパンになってる大波に身体を預けて来た。

 今年はまだまだ泳げる。

 夕方の5時も過ぎてくるとそれなりに波も冷たくなっておったが、それでも心地いい。

 俺はガキの頃から綺麗な海で遠泳するときは水中メガネやゴーグルは必要なく、潜るときでも必要なく、ぜんぜん平気なもんだったが、今年は潮が濃い感じで、沁みることが多くなってる。

 それでもナニもしないが、大汗をかく猛暑の夏には、塩分濃いめの海が丁度いい。

 近くの堤防のトッパチから、高校生くらいの地元の子供らが7~8人、海に飛び込んでは浜まで泳いでおったが、俺もガキの頃はそんなことだった。

 もっと遠くの沖を、漁師のオヤジが泳いでるのを見て、なんだか安心して飛び込んでおったもんだが、いまはそのオヤジになってしまってる。

 泳がずとも、手足を拡げているだけで、何時間でも海に浮いている。

 山に登るのは大変だが、海で泳ぐのは疲れない。

 人間は老いると魚になるのかもしれない。

 夏はこうやって泳いで足腰の関節や筋肉を伸ばしておいて、メンテナンス、そうしてまた高い山に登り始める季節が始まる訳だが、もう少し、今年は泳げそうだ。

 

 泳いで太陽の光を全身にたっぷり浴びて、とっととバタンキュー、早寝して早起き、4時から仕事を始めてる。

 朝から今日も忙しいんだ。

 やるべきことはたくさんあり、自分のペースでそれはこなしてゆく。

 コロナなど関係なく、もっと、儲けさせていただくよ。

 

 大人や老人とは、澄まして着飾って能書きをたれるよりも、なんでも実際に先に生きてやってみせる者のことを言う。

 はっきり言っておいてやるが、戦後の大量コピー時代、大量消費にうつつを抜かして居った今の高齢者の群れには、それは望めないことだ。

 受け身で生きてる、自由や開放を叫んだところで、それは些少な、選択肢の中から選ぶだけの価値観と言う穴倉の中での話に、終始しているんだよ。