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【人生でいちばん大切なこと】

2015-08-01 15:11:32 | 徳育
【人生でいちばん大切なこと】


植西聡氏の心に響く言葉より…


ブッダ(お釈迦様)にまつわる話です。

あるとき、弟子のひとりがブッダに、こう尋ねました。

「人生でいちばん大切なことは、何でしょうか」


すると、ブッダは次のように答えました。

「あそこにいる赤ん坊を見てごらん。

生まれて間もない赤ん坊だ。

村人たちはみんな赤ん坊の顔を見て、心をなごませている。

みんな微笑みを浮かべている。

それは、あの赤ん坊が可愛いからだ。

赤ん坊は可愛さを通して、みんなに喜びを与えているのだ。

そう、あの赤ん坊はみんなに喜びを与えるために生まれてきたのだ。

その使命は、あの赤ん坊が年老いて死ぬまで続く。

つまり、人間はみんな人に喜びを与えるために生まれてきたのだ」


赤ん坊ならではの可愛さがなくなっても、人はそれぞれの年代ごとに、人に喜びを与える方法がある、ということではないでしょうか。

ブッダのこの教えは、人間のあり方の本質を突いているといっていいでしょう。

人に喜びを与え、人から喜ばれる存在になれば、「自分は世の中の人から必要とされている」という実感がこみあげてきます。

「なすべきときに、なすべきことをしている」という充実感を味わうことができます。


それは一過性のものではありません。

今日、人から喜ばれた人は、明日、明後日も人から喜ばれたくなるでしょう。

そして、そう行動するでしょう。


そうなれば、「自分は世の中の人から必要とされている」という自己重要感をずっと味わうことができます。

それが幸福ということではないでしょうか。


『この習慣さえあればいい「幸福な心」のつくり方』講談社




ブッダは、人間はみんな人に喜びを与えるために生まれてきた、という。

つまり、人は生まれてから死ぬまでの間に、どれだけ多く、人に喜んでもらうことをしたかどうか、を問われている。

逆に、人に悲しみを与えるような行為をすること、嫌なことを言ったり、つらくあたったり、暴力をふるったり、いじめたり、いつも不機嫌だったり、自分勝手だったり、悪口を言ったりすることをしていたなら、まわりの人からは好かれず、到底、幸せにはなれない。


お金もかけずに、人に喜びを与えることは、身近にいくつもある。

それは…

やさしい言葉や思いやりある言葉を使うこと、温かい笑顔で人と接すること、思いやりの心で人に接すること、電車などでお年寄りや体の不自由な人に席をゆずること、感謝多きこと、などなど。


人生でいちばん大切なこと…

人から喜ばれる存在でありたい。

【幸せメガネと不幸のメガネ】

2015-08-01 15:02:20 | 


小林正観さんの心に響く言葉より…


不幸や悲劇が存在しないかわり、幸せも存在しない。

あるのは、目の前の現象を、幸せと思う心で見るか、不幸や悲劇と思う心で見るか、だけです。


心をこめて宿泊者に対応しているある宿の経営者が、私にこんな相談をしました。

「夕食を食堂で7時から食べてもらっているが、8時半になっても席を立たない人が多い。

談話室でコーヒーをどうぞと言って、それとなく片づけはじめてもいいでしょうか」


私は次のようのお答えしました。

「宿の都合で片づけたい時間があるでしょうが、そういう都合はちょっとおいておきましょう。

ただ、こういうことは知っておいてください。

もし夕食がまずかったり、対応が不愉快で居心地が悪かったりしたら、食べ終わった人はさっさと部屋に帰ります。

食べ終わってもお茶を飲みながら同席の人と話に花を咲かせているというのは、食事がおいしい、宿の雰囲気がいい、居心地がいい、楽しい、ということです。

早く終わってくれないかなとイライラしながら見るのではなく、そういう目で見てみませんか。

きっと幸せで幸せで仕方なくなるでしょう。

朝、出かけるとき、宿の前でいつまでも写真を撮り合ったりするのも、とてもいい宿だったという意志表示なんです」


2~3日してその方から電話がありました。

「なかなか席を立たないお客さんを見て、今日もみなさんが気に入ってくれたんだと思えたら、どんどん楽しくなりました」、とおっしゃいました。


事実や現象は何も変わっていません。

ただ見方を変えるだけで、同じ現象が「いやなもの」から「嬉しく楽しいもの」に変わったのです。


五木寛之さんに『生きるヒント』という本があります。

その中に、こんな文章が出ています。

毎日がしんどく感じられたとき、1日に1回、何かに歓ぼうと考えて手帳を買い込み、歓びを書いていったそうです。

そしてそれを読み返すと、実に他愛ないものばかりであったことに驚く、というのです。

例えば、

「きょう新幹線で窓際の席に座ったので、富士山が真正面に良く見えた。うれしかった」

「デパートで買ったボールペンが、じつに書き心地がよい。とてもうれしい」

「いつになくネクタイが1回で形よく結べた。こんなにうまくいくなんてめったにないことだ」

などだそうです。さらにこう書いていました。

「こんなふうに、その気になってよろこぼうと身構えていますと、よろこびはおのずからやってくる感じがある。よろこびたい心の触手を大きくひろげて待ちかまえていることが大事なんですね」


見方が変われば自分が変わる。

自分が変われば世界が変わります。


出来事はすべて中立です。

ただそれを「幸せメガネ」で見るか、「不幸のメガネ」で見るか、だけなのです。


『22世紀への伝言』廣済堂出版





病気になったり、ケガをしてしまったとき、「なんで自分ばかりこうなるのか、なんて不運なんだ」、と思う人と、「この程度で済んでよかった、ラッキーだ」、と思う人がいる。

病気やケガという状況は変わらないのに、人によって見方や考え方、捉え方がまるで違う。

病気も、困難も、失敗も、災難も、見方によって180度変わってくる。


見方や捉え方は、日頃の習慣によって変わる。

普段から、不平不満、文句、グチ、泣き言、ツイてない、と言っている人は、どんな素晴らしいものを見ても、そこにマイナスや欠点や陰を見つけてしまう。

反対に、うれしい、楽しい、感謝、しあわせ、ありがとう、ツイてる、と言っている人は、どんなに困難で悲惨な状況でも、そこにプラスや美点や明るさを見つける。

「水がコップにこれしかない」と思うか、「水がこれだけ残っている」と思うかの違いだ。


『不幸や悲劇が存在しないかわり、幸せも存在しない。出来事はすべて中立。ただそれを「幸せメガネ」で見るか、「不幸のメガネ」で見るか、だけ』

どんなときも、幸せメガネで見る人でありたい。


【100%の法則】

2015-08-01 14:56:34 | イベント



斎藤一人さんの心に響く言葉より…


あなたに起こる出来事。

それはしあわせなこともあれば、不幸なこともあると思います。

それらすべての出来事に対して「これは100%、自分の責任なんだ」と思えたとき、自分の人生を100%コントロールすることができるようになるんです。

これを「100%の法則」といいます。


たとえば部長がいつもあなたにばかり怒るんだとしたら「部長が悪い」とみるのではなく、「私の中に部長を怒らせるなにかがあるんだ」とみる。

そういう目を持つと、「確かに部長はすべての部下に怒ってわけじゃない」ということがわかりますし、「ならば怒られないようにするにはどうすればいいか」ということもわかるんです。


自分が何回も騙(だま)されるんだとしたら、「自分が騙されるのを見抜けない」とか、なにか騙されやすいところがあるはずです。

とにかく、この「100%の法則」は自分に起こる出来事を100%、自分の責任だとみる法則なんです。


これがもし、50%は自分も悪いけど、相手も50%悪いんだとしたら、あなたの人生は相手に50%支配されていることになります。

相手が90%悪いんだとしたら、相手はあなたの人生の90%を握ってることになるんだよね。


ところが100%自分の責任だとすると、自由度も100%になります。

だから自分の人生を100%自分のために生きようとするなら、この「100%の法則」を知っておいたほうがいいのです。


《人生でなにが起きても、原因のすべてを自分目線で見つめてみること。そこには学ぶべきことが必ずあるからね》


『大丈夫だよ、すべてはうまくいっているからね。』サンマーク出版





「100%の法則」とは主体的に生きる、という生き方。

主体的の反対は、「人まかせ」、「人のせい」に生きる人生。

「相手が変わってくれたら」、「周り(会社、親、先生)が何かしてくれたら」と、自分では動かず、人を頼りにする、つまり「人のせい」にする生き方。


人まかせの人生を歩む人は、他人や周囲の状況に流される。

しかし、主体的に生きている人は、状況を変えることができるのは自分しかいない、と知っている。

他人は変えることができないからだ。



『「100%の法則」は自分に起こる出来事を100%、自分の責任だとみる法則』

人のせいにせず、自らが動き、変革する人でありたい。