歌手の島倉千代子さんが肝臓がんのため亡くなりました。
75歳でした。
★~人生いろいろ~★
・元阪神タイガースの藤本勝巳と周りの反対を押し切り結婚するが、すれ違い生活で離婚・・。
家族の元に戻るが、親の反対を押し切っての結婚だったために門前払いされる。
・37歳時、知人に頼まれ実印を貸す。次から次に知らない人の分まで保証人になる。
結局、16億円の借金を抱えることに。
・2年後、知人が不渡り手形を出し連帯保証人だった彼女は、2億4000万円(判明分)の債務を負う。
・1987年に出場辞退するまで、史上初のNHK紅白歌合戦30年連続出場の大記録を樹立。
・1988年、50歳、「人生いろいろ」が130万枚の大ヒットを記録。
山田邦子の物まねやコロッケによる物まねをきっかけに「人生いろいろ」が若者にも受け、再び大ブレーク
・1993年、55歳、左胸にシコリを感じ検査をすると乳癌が発覚。
手術が成功で克服。
・2007年、69歳、知人に資産を奪われ再び多額の借金を抱える。
・2013年11月8日午後、肝臓癌のため死去・・・。75歳だった。
★主なヒット曲
・この世の花(1955年、デビュー曲)
・りんどう峠(1955年) 初の古賀メロディー
・東京の人さようなら(1956年)
・逢いたいなァあの人に(1957年) 紅白初出場曲
・東京だよおっ母さん(1957年) 発売当時はセリフなし
・からたち日記(1958年)
・思い出さん今日は(1958年)
・哀愁のからまつ林(1959年)
・恋しているんだもん(1961年)
・襟裳岬(1961年)
・十国峠の白い花(1961年)
・星空に両手を(1963年) 守屋浩とのデュエット
・新妻鏡(1965年)
・ほんきかしら(1966年)
・涙の谷間に太陽を(1966年)
・愛のさざなみ(1968年)
・すみだ川(1969年)
・竜飛岬(1971年)
・鳳仙花(1981年)
・人生いろいろ(1987年)
私が、知っているだけでも20曲ほど出てくる。
幅広いヒット曲を持っていて、天国で待っているファンのの皆さんにも唄って欲しいですね。
━━━━━ やすらかにお眠り下さい ━━━━━━━━━━━━
75歳でした。
★~人生いろいろ~★
・元阪神タイガースの藤本勝巳と周りの反対を押し切り結婚するが、すれ違い生活で離婚・・。
家族の元に戻るが、親の反対を押し切っての結婚だったために門前払いされる。
・37歳時、知人に頼まれ実印を貸す。次から次に知らない人の分まで保証人になる。
結局、16億円の借金を抱えることに。
・2年後、知人が不渡り手形を出し連帯保証人だった彼女は、2億4000万円(判明分)の債務を負う。
・1987年に出場辞退するまで、史上初のNHK紅白歌合戦30年連続出場の大記録を樹立。
・1988年、50歳、「人生いろいろ」が130万枚の大ヒットを記録。
山田邦子の物まねやコロッケによる物まねをきっかけに「人生いろいろ」が若者にも受け、再び大ブレーク
・1993年、55歳、左胸にシコリを感じ検査をすると乳癌が発覚。
手術が成功で克服。
・2007年、69歳、知人に資産を奪われ再び多額の借金を抱える。
・2013年11月8日午後、肝臓癌のため死去・・・。75歳だった。
★主なヒット曲
・この世の花(1955年、デビュー曲)
・りんどう峠(1955年) 初の古賀メロディー
・東京の人さようなら(1956年)
・逢いたいなァあの人に(1957年) 紅白初出場曲
・東京だよおっ母さん(1957年) 発売当時はセリフなし
・からたち日記(1958年)
・思い出さん今日は(1958年)
・哀愁のからまつ林(1959年)
・恋しているんだもん(1961年)
・襟裳岬(1961年)
・十国峠の白い花(1961年)
・星空に両手を(1963年) 守屋浩とのデュエット
・新妻鏡(1965年)
・ほんきかしら(1966年)
・涙の谷間に太陽を(1966年)
・愛のさざなみ(1968年)
・すみだ川(1969年)
・竜飛岬(1971年)
・鳳仙花(1981年)
・人生いろいろ(1987年)
私が、知っているだけでも20曲ほど出てくる。
幅広いヒット曲を持っていて、天国で待っているファンのの皆さんにも唄って欲しいですね。
━━━━━ やすらかにお眠り下さい ━━━━━━━━━━━━
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます