陸の孤島と化した雄勝町になんとかして戻ろうとした人々は、
冬季封鎖中の山道である真野林道を目指した。
石巻市役所に出張中だった雄勝病院の佐藤事務長はこの道をこじ開けるようにして戻ってきた。
市役所で地震にあったすぐ後2時59分に、まり子主査から「帰ってきてほしい」とメールが入っていた。
その後、電話もメールも不通になった。
事務長が、山道を下り、がれきの山を乗り越え、やっとの思いでたどりついた病院 . . . 本文を読む
あの熱狂はどこに行ってしまった。
もう一度、思い出してみよう。
岡山の日食をまとめてアップです。2012年5月21日(月)午前6時30分~7時30分の間に撮影して画像を記録用にアップします。まず、右上から欠け始めました。三日月になりました。右下が...>続きを読む . . . 本文を読む
赤目四十八滝というのは映画やドラマのロケ地になることが多い。
紅葉やゴールデンウイークの人出は半端ではなく、
狭い渓谷沿いの道は人であふれる。
この時期は新緑が美しいながらも人は少ない。
ということでハイキングに行きました。
わがグループは京都と大阪から出発し大和八木駅で合流、名張に向かいます。
名張は三重県ですが、大阪の通勤圏です。
毎日が観光気分ではないでしょうか。
名張駅からは三重交通バ . . . 本文を読む
津波が石巻市立雄勝病院を呑み込んだときに、68名の方が病院内に残っていた。 その後、海の中で姿が確認されているのは7名だった。 7名の方は、助け合いながら、流れてきた屋根や船に乗り移っていった。 屋根や船は、雄勝湾の中をジェットコースターのように猛スピードで流されていた。 寄せては引く津波に翻弄されていた。 看護師の恵さんは、主査のまり子さんと同じ屋根に避難していた。 気温は氷点。雪が降る寒さ . . . 本文を読む
多くの過酷な災害で、かろうじて生き残った人が直面するのは、 「どうして私が生き残ったのか」という思いだ。 「なぜ、あの人が死んで私が生き残ってしまったのか」 「私はあの人を助けることが本当にできなかったのか」 「私は生き残ったが、そのような価値のある人間なのか」 20~21世紀を通じて最大の災害である第2次世界大戦体験者は、「私は生き残ったが、そのような価値のある人間なのか」という問いに直面せ . . . 本文を読む
病院が津波に襲われる3時30分の直前に警報が発せられている。
2時50分に6mの津波警報が、3時15分には10mへと警報が引き上げられている。
この警報通りならば、雄勝病院が水没することはなかった。
病院周辺に住んでいる人の中には尋常ではない津波がくるかもしれないと思った人も多い。
「近隣のお年寄りが急ぎ足で病院の駐車場に入ってきた。
『津波さ来る。早く逃げろ』」
病院の工事に入っていた現場 . . . 本文を読む
gooのブログは有料コースがあって、月少々の金額を支払えば、
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月300円程度の価値はあると思っている。
このブログの記事は3500件を超えている。
内容に自信はないけれど、自分でも驚く量にはなっている
アクセス解析ではどの記事にアクセスが多いのか、検索ワードはなになのか、教えてくれる。
もちろん、最近の記事にアクセスが多いのは当 . . . 本文を読む
雄勝病院は湾が狭くなっているところの上部です。(NHK東日本大震災アーカイブスより)
拡大できます。
津波が押し寄せた3時30分。
病院内には40名の入院患者と職員28名がいたと見られています。
職員は、患者を上階に運ぼうと行動を起こします。
しかし動けない患者を階段で運ぶことは容易でありません。
避難訓練でもそのようなことは想定されていません。
男性4人でやっと数名を屋上に運んだ時にす . . . 本文を読む
雄勝湾からから見た雄勝病院です。
海岸に沿って走る道路脇の堤防は5m程度です。
病院脇の堤防から見た景色です。町の中心部が見えています。
鉄筋コンクリート造りの建物のみ残っています。
病院の建物の取り壊しが始まっていました。
警備している人に撮影させてほしいと話すと、
囲っている塀の中には入らないようにと言われました。
本館です(1972年建築・2013年4月20日撮影)。
新 . . . 本文を読む
これから雄勝病院について書きたいと思います。
実は名振浜に行くときに病院の前を通りました。
前の文章では触れませんでした。
どのように書いたらよいか、整理できていないのです。
雄勝病院については、次の書籍から詳しく知ることができました。
海の見える病院 語れなかった「雄勝」の真実辰濃 哲郎医薬経済社
ブログの中で書くには様々な困難があります。
まず本書の登場人物は実名で書かれています。
ブ . . . 本文を読む
写真の正面と左手が雄勝町の復興商店街です。
おがつ店こ屋街(おがつたなこやがい)という名称です。
右手は雄勝総合支所です。
合併前はここが町役場でした。
2006年に合併しています。町の人口は4000人です。
津波発生時にはこの場所に車を避難させた人が多かったそうです。
少し高台になっています。
しかし完全に水没してしまいました。
この場所の標高を調べてみました。
赤丸が雄勝総合 . . . 本文を読む
雄勝小学校から海岸沿いに進むと、
真新しいウッディな建物が見えてきました。
事前に知識を得ていたのですぐにわかりました。
オーリンクハウスです。4月14日オープンでした。
ホームページがありました。
公共施設がすべて失われた雄勝町のコミュニティハウスです。
カフェやギャラリースペースもあります。
成澤俊幸さんの写真展です。かつての雄勝の美しい自然や人々の姿が写真の中に息づいています。
. . . 本文を読む
女川町から再び石巻市に入りました。
雄勝町は2006年に石巻市と合併しました。
だから雄勝町は石巻市雄勝町なのです。
雄勝町の中心部は雄勝湾の最奥部に位置します。
波坂、分浜、水浜と浜辺の集落が続いた先です。
女川から通過したすべての集落が津波に襲われ消失しています。
雄勝町については、昨年までまったく知識がありませんでした。
医療NGOアムダの職員の方にお聞きしたのが最初でした。
「すご . . . 本文を読む
女川の中心部から398号線を北に向かいます。
海岸から離れ標高の高いところを走ります。
※NHK東日本大震災アーカイブスより
浸水している場所が低地であり、人々はそこに住んでいます。
内陸部は白図のようになっています。
道も集落もほとんどないのでしょう。
東に島があります。
出島(いずじま)です。
1台残った衛星電話で救助要請、3月12日に全島民400名余りが自衛隊のペリコプターで救助 . . . 本文を読む
女川町の中心であり港に面している女川浜に向かいます。
左手前方の高台に建っている建物が地域医療センター(旧町立病院)です。
かなりの高台です。
でも無傷ではありません。
1階まで津波が押し寄せてきました。
この町を襲った津波がどんなにすごかったか。
いつものように2枚の地図を並べてみます。
この画像は少し広域になっています。
黄金町の上に赤で丸いラインを描いたあたりが、地域医療センター . . . 本文を読む