病院が津波に襲われる3時30分の直前に警報が発せられている。
2時50分に6mの津波警報が、3時15分には10mへと警報が引き上げられている。
この警報通りならば、雄勝病院が水没することはなかった。
病院周辺に住んでいる人の中には尋常ではない津波がくるかもしれないと思った人も多い。
「近隣のお年寄りが急ぎ足で病院の駐車場に入ってきた。
『津波さ来る。早く逃げろ』」
病院の工事に入っていた現場監督も避難を促した。
「山さ、逃げた方がいい」
副院長は答えた。
「患者を置いて逃げられない。さぁ、(病院に)戻りましょう」
副院長の後を追う二人の派遣の女性事務員に、現場監督は「あんたら残らなくてもいい」と腕をつかんで逃げた。
100mも走れば高台だ。
付近の住民が避難している姿が病院からも見えた。
もちろん、この時点ではどの程度の津波が来るか誰もわかっていないが、病院の職員にとって、
どのような津波が来ようが、自分たちだけが裏山に逃げるという選択肢はなかった。
日ごろから患者の命を守ることを使命としてきた人々は、患者のそばからは離れられない。
看護師の中には、非番で自宅にいた人も病院に戻っている。
平時には、そのような生死を分ける選択を行わなくてはならない事態には陥らないのだが、災害時にはありうることだ。
船や飛行機の乗務員も同様な事態に遭遇する。
介護施設職員も同じだ。
雄勝病院の職員の方々はそのように行動し流されてしまった。
28名の職員が病院内に残り、わずか4名が助かった。
『海の見える病院ー語れなかった「雄勝」の真実』は、無念にもなくなった方々の生きてきた日々を蘇らせる。
夫や家族の行方を捜す方々の姿も書かれている。
読むのがつらい。
3月11日、病院を離れていた職員がいた。
出張、訪問看護、非番などの人である。
多くの仲間を失った病院職員はいかに行動されたのか。
それは新たな闘いが始まったといっていいだろう。
自分自身の思いとの闘いでもあった。
復興診療所のブログに現在取り壊し中の病院の写真が掲載されています。
2時50分に6mの津波警報が、3時15分には10mへと警報が引き上げられている。
この警報通りならば、雄勝病院が水没することはなかった。
病院周辺に住んでいる人の中には尋常ではない津波がくるかもしれないと思った人も多い。
「近隣のお年寄りが急ぎ足で病院の駐車場に入ってきた。
『津波さ来る。早く逃げろ』」
病院の工事に入っていた現場監督も避難を促した。
「山さ、逃げた方がいい」
副院長は答えた。
「患者を置いて逃げられない。さぁ、(病院に)戻りましょう」
副院長の後を追う二人の派遣の女性事務員に、現場監督は「あんたら残らなくてもいい」と腕をつかんで逃げた。
100mも走れば高台だ。
付近の住民が避難している姿が病院からも見えた。
もちろん、この時点ではどの程度の津波が来るか誰もわかっていないが、病院の職員にとって、
どのような津波が来ようが、自分たちだけが裏山に逃げるという選択肢はなかった。
日ごろから患者の命を守ることを使命としてきた人々は、患者のそばからは離れられない。
看護師の中には、非番で自宅にいた人も病院に戻っている。
平時には、そのような生死を分ける選択を行わなくてはならない事態には陥らないのだが、災害時にはありうることだ。
船や飛行機の乗務員も同様な事態に遭遇する。
介護施設職員も同じだ。
雄勝病院の職員の方々はそのように行動し流されてしまった。
28名の職員が病院内に残り、わずか4名が助かった。
『海の見える病院ー語れなかった「雄勝」の真実』は、無念にもなくなった方々の生きてきた日々を蘇らせる。
夫や家族の行方を捜す方々の姿も書かれている。
読むのがつらい。
3月11日、病院を離れていた職員がいた。
出張、訪問看護、非番などの人である。
多くの仲間を失った病院職員はいかに行動されたのか。
それは新たな闘いが始まったといっていいだろう。
自分自身の思いとの闘いでもあった。
復興診療所のブログに現在取り壊し中の病院の写真が掲載されています。
海の見える病院 語れなかった「雄勝」の真実 | |
辰濃 哲郎 | |
医薬経済社 |