女川町から再び石巻市に入りました。
雄勝町は2006年に石巻市と合併しました。
だから雄勝町は石巻市雄勝町なのです。
雄勝町の中心部は雄勝湾の最奥部に位置します。
波坂、分浜、水浜と浜辺の集落が続いた先です。
女川から通過したすべての集落が津波に襲われ消失しています。
雄勝町については、昨年までまったく知識がありませんでした。
医療NGOアムダの職員の方にお聞きしたのが最初でした。
「すごい被害を受けたところがあるのですよ。支援に入っています」と。
この方は震災直後から被災地に入って支援活動をされています。
それから少しずつ調べ始めました。
ところが記事も少ない。
河北新報の『再び、立ち上がる!』にも記載はありません。
図書館に出かけて調べると学術書に「雄勝名振浜」の旧家の古文書について書かれている本がありました。
実はこの本が素晴らしい。
岩清水日記でも紹介させていただきました。
その後、FACEBOOKでぜひ読んでほしいと本の紹介がありました。
『海の見える病院 語れなかった「雄勝」の真実』です。
著者である辰濃哲郎さんは、当時の雄勝病院に関わった多くの人々の行動や思いを私たちの目前に再現させてくれます。
人々の生活をたどる中で雄勝を中心に近隣の町々の姿も浮かび上がってきます。
私はこの本を東北から帰ってから読みました。
そして、繰り返し読むことでずいぶん身近になりました。
それだけに、雄勝町訪問をどのように書くか、迷うばかりです。
とにかく書いていきます。
雄勝湾内の岬を巡っていくと対岸に小さく3階建ての灰色の建物が見えてきます。
雄勝病院跡です。アップしてみます。
この病院に行くためには、雄勝湾の最奥部(町の中心)を通って行くことになります。
地図で見てみましょう。
病院は雄勝中央公園と印字された場所の少し右側です。
撮影場所は対岸の岬の少し南です。
この写真では写っていませんが、左側に町の中心があります。
雄勝小学校です。海側から撮影しています。
右隣は新山神社です。小学校の生徒たちは神社へと逃げました。
標高はあまり高くないように見えますが、登っていくと、
本殿跡です。本殿は流されました。
さらに上に行くと、
一番上に忠魂碑があります。
ここは流れていません。
ここまで登ってきて児童たちは難の逃れたのです。
※新山神社は、雄勝法印神楽の演舞場でもあります。
法印神楽については多くの動画がアップされています。
素晴らしい神楽です。
ブログでの紹介です。
ブログの2枚目、写真右側に映っているのが震災前の階段と本殿です。
その左に舞台を作っていたのですね。
振り返って町をみます。
雄勝町は2006年に石巻市と合併しました。
だから雄勝町は石巻市雄勝町なのです。
雄勝町の中心部は雄勝湾の最奥部に位置します。
波坂、分浜、水浜と浜辺の集落が続いた先です。
女川から通過したすべての集落が津波に襲われ消失しています。
雄勝町については、昨年までまったく知識がありませんでした。
医療NGOアムダの職員の方にお聞きしたのが最初でした。
「すごい被害を受けたところがあるのですよ。支援に入っています」と。
この方は震災直後から被災地に入って支援活動をされています。
それから少しずつ調べ始めました。
ところが記事も少ない。
河北新報の『再び、立ち上がる!』にも記載はありません。
図書館に出かけて調べると学術書に「雄勝名振浜」の旧家の古文書について書かれている本がありました。
実はこの本が素晴らしい。
岩清水日記でも紹介させていただきました。
その後、FACEBOOKでぜひ読んでほしいと本の紹介がありました。
『海の見える病院 語れなかった「雄勝」の真実』です。
著者である辰濃哲郎さんは、当時の雄勝病院に関わった多くの人々の行動や思いを私たちの目前に再現させてくれます。
人々の生活をたどる中で雄勝を中心に近隣の町々の姿も浮かび上がってきます。
私はこの本を東北から帰ってから読みました。
そして、繰り返し読むことでずいぶん身近になりました。
それだけに、雄勝町訪問をどのように書くか、迷うばかりです。
とにかく書いていきます。
雄勝湾内の岬を巡っていくと対岸に小さく3階建ての灰色の建物が見えてきます。
雄勝病院跡です。アップしてみます。
この病院に行くためには、雄勝湾の最奥部(町の中心)を通って行くことになります。
地図で見てみましょう。
病院は雄勝中央公園と印字された場所の少し右側です。
撮影場所は対岸の岬の少し南です。
この写真では写っていませんが、左側に町の中心があります。
雄勝小学校です。海側から撮影しています。
右隣は新山神社です。小学校の生徒たちは神社へと逃げました。
標高はあまり高くないように見えますが、登っていくと、
本殿跡です。本殿は流されました。
さらに上に行くと、
一番上に忠魂碑があります。
ここは流れていません。
ここまで登ってきて児童たちは難の逃れたのです。
※新山神社は、雄勝法印神楽の演舞場でもあります。
法印神楽については多くの動画がアップされています。
素晴らしい神楽です。
ブログでの紹介です。
ブログの2枚目、写真右側に映っているのが震災前の階段と本殿です。
その左に舞台を作っていたのですね。
振り返って町をみます。