ビル・ゲイツが1位から転落した、インド人の大富豪がすごい、などと
いう話題を聞いて馬鹿馬鹿しい話だと思う人が多いことを願う。
世界のスポーツ選手の高額所得にあほらしくなっているのだが、
世界トップテンの資産家となると、金額が二桁は違う。
トップテンは数兆円の資産だ。
日本人で年間所得が200万円以下の方が1000万人と言われているが、
年間所得200万円程度の方300万人の年間所得でトップテン富豪一人の
資産にしかならない。資産家3人で1000万人の所得だ。
これはとんでもないことではないか。こんな社会が許されていいのだろうか。
言い換えれば、数百万人の低所得者が大富豪に自らの資産を渡していると
考えてもいい。
この資産家の職業の多くが投資ファンドという。
すなわち、日本の低金利で集めた金(これを金余りというらしい)で、
高金利の国に投資し、回収するのだから、不道徳なほど儲かるのだ。
これがグローバル化の実態だ。
日本の財政当局の政策が、この金余り現状を世界的に助長しているのは間違いない。
それが、世界のマネーとなっている。
日本の財務当局がせっせと他国の富豪のために金利政策を進めていると思うと
馬鹿馬鹿しくなる。
このようなことはあってはならないと強く思っている。
とても許されないことが、自由という名の下に行われてる
このような不公平なことが行われていいはずがない。
ところが、このような富豪になる夢を持てる社会がいいという人が多いのも
確かだ。
能力さえあれば、ビル・ゲイツのようになれると思っている人がいる。
これはとんでもない勘違いなのだが、それがわからない。
現代世界は、とてつもないスピードで、不平等が進行していると思う。
特に新興国ではそうだ。
「先に金持ちに成れるものから成れ」といった中国の首脳がいたが、
大きな間違いだった。
そして、強者と弱者の力の差は拡大を続けている。
もう「機会の平等」という言葉のリアリティは皆無だ。
繰り返していいたい。
投資ファンドの経営者が、世界トップテンの大資産家になっている世界はまったく
おかしい。
やはり破滅的な構図だと思う。
「なんとかせにゃおえん」のは、この構図だ。
いう話題を聞いて馬鹿馬鹿しい話だと思う人が多いことを願う。
世界のスポーツ選手の高額所得にあほらしくなっているのだが、
世界トップテンの資産家となると、金額が二桁は違う。
トップテンは数兆円の資産だ。
日本人で年間所得が200万円以下の方が1000万人と言われているが、
年間所得200万円程度の方300万人の年間所得でトップテン富豪一人の
資産にしかならない。資産家3人で1000万人の所得だ。
これはとんでもないことではないか。こんな社会が許されていいのだろうか。
言い換えれば、数百万人の低所得者が大富豪に自らの資産を渡していると
考えてもいい。
この資産家の職業の多くが投資ファンドという。
すなわち、日本の低金利で集めた金(これを金余りというらしい)で、
高金利の国に投資し、回収するのだから、不道徳なほど儲かるのだ。
これがグローバル化の実態だ。
日本の財政当局の政策が、この金余り現状を世界的に助長しているのは間違いない。
それが、世界のマネーとなっている。
日本の財務当局がせっせと他国の富豪のために金利政策を進めていると思うと
馬鹿馬鹿しくなる。
このようなことはあってはならないと強く思っている。
とても許されないことが、自由という名の下に行われてる
このような不公平なことが行われていいはずがない。
ところが、このような富豪になる夢を持てる社会がいいという人が多いのも
確かだ。
能力さえあれば、ビル・ゲイツのようになれると思っている人がいる。
これはとんでもない勘違いなのだが、それがわからない。
現代世界は、とてつもないスピードで、不平等が進行していると思う。
特に新興国ではそうだ。
「先に金持ちに成れるものから成れ」といった中国の首脳がいたが、
大きな間違いだった。
そして、強者と弱者の力の差は拡大を続けている。
もう「機会の平等」という言葉のリアリティは皆無だ。
繰り返していいたい。
投資ファンドの経営者が、世界トップテンの大資産家になっている世界はまったく
おかしい。
やはり破滅的な構図だと思う。
「なんとかせにゃおえん」のは、この構図だ。
さすが
『岩清水日記』です!
1 日本の金融政策は大企業のためにある。
2 国際金融の荒波をにらんでいる政治家は日本にはいないのか?
(三國陽夫『黒字亡国』2005ではいないようだが・・)
技術的にわからないままに
国を売るようなことのないように
見守りたいです。
富の偏在については、お金のことでもあり、
身近な問題に思えながらも、
数字が大きくなりすぎると誰にも実感が
わかなくなります。
我々が日頃、目にしている紙幣と、投資ファンドが
あつかう紙幣に兌換性があることが問題だと
思っています。
しかし、大富豪がいる国は普通の市民にとっては
とんでもなく不平等な国ということは間違いない
でしょうね。
このような世界に対峙するための武器はやはり、
「原理」なのではないでしょうか。