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岩清水日記

「あしひきの岩間をつたふ苔水のかすかにわれはすみわたるかも」良寛

資料:日赤、戦地報告200冊保管 朝日新聞8月31日朝刊

2008-08-31 10:54:39 | 戦争を語り継ぐ
第2次世界大戦中、戦傷病者を救護するために国内外に派遣された日本赤十字の救護班955班が
戦地などで書き残した「業務報告書」が、日赤本社に大量に保管されていることがわかった。
今回初めて外部に公開された。

日赤の救護班:1937年以降、陸海相の命令で960班が編成された。
原則として医師・書記各1名、看護婦約20~30名の構成。
10代後半から20代を中心に「赤紙」召集された看護婦ら、
二万六千人余が国内の陸海軍病院のほか外地の戦線に送られ、
1187人が殉職した。(5班は派遣に至らなかった)

救護班は、旧満州、中国、フィリピン、仏印、タイ、シンガポール、ビルマ、パプアニューギニアなどの
極寒地からジャングル地帯まで派遣された。


・戦時救護や赤十字の歴史に詳しい小菅信子・山梨学院大教授(国際関係論・金現代史)のコメント
「個々の戦場の現実」
戦いで傷ついた人を戦地で看護した人たちは、ある意味で戦争のもっとも悲惨な局面を見ている。
従軍看護婦たちが書いた体系的な文章が出てきたことは、軍の文章ではわからない個々の戦場の
リアリティを明らかにするものだ。
看護婦は傷病兵を戦線復帰させる軍事戦略上の役割をも担っており、
軍事史研究にとって非常に重要な資料になる。


※戦場に派遣された日本人は、兵隊だけではない。女性も派遣されていた。
従軍看護婦がどのような規模で派遣されていたか、知識がない。
日赤以外にも派遣された看護婦はいるわけだから、調べておかなくてはならない。
私自身がジェンダーの視点が十分でないので、このような知識が抜けている。

沖縄戦の一翼を担った「ひめゆり部隊」は、従軍看護婦の役割を担わされている。
沖縄にも正規の従軍看護婦はいたはずである。
しかしすっぽり抜けている。少なくとも私の頭の中では。

課題は多いけれど、避けては通れない。


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