この記事は、重要な資料としてアップします。8年前の議事録の中からAMDA菅波理事長の発言部分のみの転載です。
日本の援助は現地からどのように見られているのか
議事録
日時:2004年11月15日(月)午後2:00~5:30
開催場所:国連大学(ウ・タント国際会議場)
共催:外務省/国連大学/JICA
後援:日本経済新聞社/朝日新聞社
菅波茂(特定非営利活動法人アムダ理事長):まず最初に、こういう場を与えてくださいました主催者の方々そしてODAの内容に関しまして非常に実りのあるお話をしてくださった大使の方々に感謝します。
私はNGOの立場から述べさせていただきます。私たちNGOがODAに参加しましたのは1991年です。すなわち、コロンボプランから始まったODAは50年の歴史がありますが、私たちNGOがODAに参加しましたのはわずか13年の歴史です。
そしてなぜ私たちNGOがODAに参加するようになったのかということが非常に大切です。
それは1990年の湾岸戦争のときに、日本が140億ドルを出したにもかかわらず、クウェートがアメリカに感謝した30カ国の中に日本の名前がなかった、そのことから全てが始まっています。
そして「顔が見えない日本」というのが日本中をパニックに陥れまして、そこで初めて1億7000万円という外務省からの補助金がNGOにつきました。
実は税金がNGOに使われるということは憲法違反で、国が管理しない団体の教育と、こうした博愛事業にお金を使ってはいけないとなっているのですが、
それでも私たちNGOがお金を使うようになった一番の理由は「顔が見える日本」をNGOのサイドで何とか発信できないかというところにあると思います。
また、私たち日本のNGOの原点はそこだと考えて私自身は行動しております。
顔が見えるということはどういうことかと言いますと、顔が見えないからお金だけではダメだから人を出せばいいというものではないと思います。
ちなみに、今まで海外の人が日本に対して援助してくれたときに何を言っているのかというのが大きなヒントになります。ここで「賢者は歴史に学び、愚者は自分の経験しか考えない」いう諺を引用いたします。
1951年にスリランカのJ.R.ジャヤワルダナ蔵相(のち大統領)がサンフランシスコ講和条約で日本に課された戦後賠償を放棄したとき、こう言っています。
「日本は隣人である。そして私たちスリランカは仏教徒の国である。仏教徒は寛大な精神を持っている。従って私たちは戦後賠償を放棄します」とこのようにしっかりとしたメッセージを出しています。
そして、シアゾン大使が言われましたように、「額」よりもその「質」、「なぜか」というところが一番大切になっています。
そしてつい最近では1991年の1月の阪神大震災がありましたときに、フィリピンのラモス大統領が「1か月分の給料を被災者のために出す」というメッセージを出しました。
なぜを出すのかというと、「友人として日本の被災者のために私の1か月分の給料を出す」ということでした。
これによってフィリピンと日本の心理的な距離が非常に近まってきたという事実があります。
従って、一番大切なのは「なぜ私はあなたに援助するのか」という、この基本的なメッセージを出すか出さないかが一番大切になってきます。
欧米の国々は人権ということでこうしたODAをしています。
私たち国連NGOでもあるアムダという団体は28カ国に支部がありまして、アジア、アフリカ、中南米におきまして、民族・宗教・文化の壁を越えて活動しています。
例えば、宗教もキリスト教、イスラム教、仏教、ヒンズー教いろいろあります。そして、私たちアムダはフレンドシップのために、つまり「相互扶助」を行なっています。
友達が困ったときに助けるのは友達の責務である、
そして友達が困ったときに助けることでフレンドシップからパートナーシップという人間関係になります。
この、パートナーシップになったときの精神を「相互扶助精神」と言います。
そしてパートナーシップとは苦労を共にする人間関係です。
ではなぜ人間は苦労を共にするのか。
苦労を解決する過程において自分にないものを相手に見出したとき、尊敬の念が起きます。
どんなに苦労が重くなっても相手が逃げないときに信頼が生まれます。
すなわちパートナーシップという関係は尊敬と信頼という新しい人間関係を生み出すのです。
そして尊敬と信頼という人間関係に入ったとき、民族・宗教・文化の違いを超えた新しい人間関係になれるのです。
だから、私たちはお互いに援助しますという形で、28カ国の多様性に富んだ支部が一緒に前向きになって活動しています。
このように、私はメッセージ性というのが一番大切だと思います。
では、日本はどうしたらいいのか。今も新潟で大地震が起きましたので沢山の人が行っています。特に阪神の被災者の方が行っています。その理由をこう話されています。
「今から9年前の阪神大震災のときに、私たちは新潟の人にお世話になりました。だから、今私たちは助けに行きます。」
これは取りも直さず、相互扶助の考え方です。困ったときはお互いさま。
これが日本の「なぜ人を助けるのか」という原則的な考え方です。
これは私たち日本から、ODAに行っている国々は、多くは血縁共同体の社会で、ファミリーが一番大切な国で、フレンドシップが一番分かりやすいからです。
私はメッセージというのは、平和や人間の安全保障は手段であって目的ではないので、大切なのは「あなたと私は友達なのだから、困ったときはお互いさまではないですか」という、このようなメッセージをしっかり届けることが一番大切だと思います。
そういった意味で、ヨーロッパの首相が日本は友達は少ないのではないかとコメントを出しました。
なぜかというと、日本が「私は友達だから支援します。逆に、私たちが困ったときは助けてください。」と言わなかったからです。
歴史に学ぶとしたら、100年以上栄えている国というのは非常に珍しいのです。
これが500年、1000年となるとまた変わってきます。
今、日本が他の国を支援していますが、逆に日本にいろいろな状況になったとき、私たちは助けてもらわなくてはならなくなります。
そうした中で、一番分かりやすい言葉はフレンドシップ、すなわち「友達同士、困ったときはお互いさま」というメッセージです。
私たちには相互扶助に基づいた人道援助の3原則があります。
第1原則は「誰でも他人の役に立ちたい気持ちがある」、
二番目は、「この気持ちの前に民族・宗教・文化の壁はない」
そして、一番大切なのが「援助を受ける側にもプライドがある」。
すなわち、友達同士、人間同士助け合うとき、相手のプライド・人間の尊厳を傷つけてはいけないのです。
そこをどう説明するのか。このメッセージなくして、ただ、金額がどうだったこうだったということは、あまり後には残りません。とりあえずは役には立ちますけど。
しかし、友情を長続きさせていくためにはメッセージが必要です。
このメッセージが欠けているところに今の日本のODAに最大の問題があるのではないかと思います。
メッセージをしっかり出せば、金額を超えた新しい多様性の共存ができるのではないでしょうか。
これが私たちNGOサイドの考えです。
なぜ私たちNGOが1990年以後税金を使っているのか、なぜODAに参加しているのかというと、政府が行なっているODAに加えてNGOとしてもっともっと世界の人たちにメッセージを出していくという役割を担っているのです。
この観点から私たちはODAに参加しております。どうもありがとうございました。
日本の援助は現地からどのように見られているのか
議事録
日時:2004年11月15日(月)午後2:00~5:30
開催場所:国連大学(ウ・タント国際会議場)
共催:外務省/国連大学/JICA
後援:日本経済新聞社/朝日新聞社
菅波茂(特定非営利活動法人アムダ理事長):まず最初に、こういう場を与えてくださいました主催者の方々そしてODAの内容に関しまして非常に実りのあるお話をしてくださった大使の方々に感謝します。
私はNGOの立場から述べさせていただきます。私たちNGOがODAに参加しましたのは1991年です。すなわち、コロンボプランから始まったODAは50年の歴史がありますが、私たちNGOがODAに参加しましたのはわずか13年の歴史です。
そしてなぜ私たちNGOがODAに参加するようになったのかということが非常に大切です。
それは1990年の湾岸戦争のときに、日本が140億ドルを出したにもかかわらず、クウェートがアメリカに感謝した30カ国の中に日本の名前がなかった、そのことから全てが始まっています。
そして「顔が見えない日本」というのが日本中をパニックに陥れまして、そこで初めて1億7000万円という外務省からの補助金がNGOにつきました。
実は税金がNGOに使われるということは憲法違反で、国が管理しない団体の教育と、こうした博愛事業にお金を使ってはいけないとなっているのですが、
それでも私たちNGOがお金を使うようになった一番の理由は「顔が見える日本」をNGOのサイドで何とか発信できないかというところにあると思います。
また、私たち日本のNGOの原点はそこだと考えて私自身は行動しております。
顔が見えるということはどういうことかと言いますと、顔が見えないからお金だけではダメだから人を出せばいいというものではないと思います。
ちなみに、今まで海外の人が日本に対して援助してくれたときに何を言っているのかというのが大きなヒントになります。ここで「賢者は歴史に学び、愚者は自分の経験しか考えない」いう諺を引用いたします。
1951年にスリランカのJ.R.ジャヤワルダナ蔵相(のち大統領)がサンフランシスコ講和条約で日本に課された戦後賠償を放棄したとき、こう言っています。
「日本は隣人である。そして私たちスリランカは仏教徒の国である。仏教徒は寛大な精神を持っている。従って私たちは戦後賠償を放棄します」とこのようにしっかりとしたメッセージを出しています。
そして、シアゾン大使が言われましたように、「額」よりもその「質」、「なぜか」というところが一番大切になっています。
そしてつい最近では1991年の1月の阪神大震災がありましたときに、フィリピンのラモス大統領が「1か月分の給料を被災者のために出す」というメッセージを出しました。
なぜを出すのかというと、「友人として日本の被災者のために私の1か月分の給料を出す」ということでした。
これによってフィリピンと日本の心理的な距離が非常に近まってきたという事実があります。
従って、一番大切なのは「なぜ私はあなたに援助するのか」という、この基本的なメッセージを出すか出さないかが一番大切になってきます。
欧米の国々は人権ということでこうしたODAをしています。
私たち国連NGOでもあるアムダという団体は28カ国に支部がありまして、アジア、アフリカ、中南米におきまして、民族・宗教・文化の壁を越えて活動しています。
例えば、宗教もキリスト教、イスラム教、仏教、ヒンズー教いろいろあります。そして、私たちアムダはフレンドシップのために、つまり「相互扶助」を行なっています。
友達が困ったときに助けるのは友達の責務である、
そして友達が困ったときに助けることでフレンドシップからパートナーシップという人間関係になります。
この、パートナーシップになったときの精神を「相互扶助精神」と言います。
そしてパートナーシップとは苦労を共にする人間関係です。
ではなぜ人間は苦労を共にするのか。
苦労を解決する過程において自分にないものを相手に見出したとき、尊敬の念が起きます。
どんなに苦労が重くなっても相手が逃げないときに信頼が生まれます。
すなわちパートナーシップという関係は尊敬と信頼という新しい人間関係を生み出すのです。
そして尊敬と信頼という人間関係に入ったとき、民族・宗教・文化の違いを超えた新しい人間関係になれるのです。
だから、私たちはお互いに援助しますという形で、28カ国の多様性に富んだ支部が一緒に前向きになって活動しています。
このように、私はメッセージ性というのが一番大切だと思います。
では、日本はどうしたらいいのか。今も新潟で大地震が起きましたので沢山の人が行っています。特に阪神の被災者の方が行っています。その理由をこう話されています。
「今から9年前の阪神大震災のときに、私たちは新潟の人にお世話になりました。だから、今私たちは助けに行きます。」
これは取りも直さず、相互扶助の考え方です。困ったときはお互いさま。
これが日本の「なぜ人を助けるのか」という原則的な考え方です。
これは私たち日本から、ODAに行っている国々は、多くは血縁共同体の社会で、ファミリーが一番大切な国で、フレンドシップが一番分かりやすいからです。
私はメッセージというのは、平和や人間の安全保障は手段であって目的ではないので、大切なのは「あなたと私は友達なのだから、困ったときはお互いさまではないですか」という、このようなメッセージをしっかり届けることが一番大切だと思います。
そういった意味で、ヨーロッパの首相が日本は友達は少ないのではないかとコメントを出しました。
なぜかというと、日本が「私は友達だから支援します。逆に、私たちが困ったときは助けてください。」と言わなかったからです。
歴史に学ぶとしたら、100年以上栄えている国というのは非常に珍しいのです。
これが500年、1000年となるとまた変わってきます。
今、日本が他の国を支援していますが、逆に日本にいろいろな状況になったとき、私たちは助けてもらわなくてはならなくなります。
そうした中で、一番分かりやすい言葉はフレンドシップ、すなわち「友達同士、困ったときはお互いさま」というメッセージです。
私たちには相互扶助に基づいた人道援助の3原則があります。
第1原則は「誰でも他人の役に立ちたい気持ちがある」、
二番目は、「この気持ちの前に民族・宗教・文化の壁はない」
そして、一番大切なのが「援助を受ける側にもプライドがある」。
すなわち、友達同士、人間同士助け合うとき、相手のプライド・人間の尊厳を傷つけてはいけないのです。
そこをどう説明するのか。このメッセージなくして、ただ、金額がどうだったこうだったということは、あまり後には残りません。とりあえずは役には立ちますけど。
しかし、友情を長続きさせていくためにはメッセージが必要です。
このメッセージが欠けているところに今の日本のODAに最大の問題があるのではないかと思います。
メッセージをしっかり出せば、金額を超えた新しい多様性の共存ができるのではないでしょうか。
これが私たちNGOサイドの考えです。
なぜ私たちNGOが1990年以後税金を使っているのか、なぜODAに参加しているのかというと、政府が行なっているODAに加えてNGOとしてもっともっと世界の人たちにメッセージを出していくという役割を担っているのです。
この観点から私たちはODAに参加しております。どうもありがとうございました。