ほとほと通信

89歳の母と二人暮らしの61歳男性の日記。老人ホームでケアマネジャーをしています。

存在意義

2012-12-09 | 独居中高年
今日は昨日に増して寒い一日だった。

私は寒さに弱い。
気温や日照時間は「抑うつ感」と関係があることは良く知られているが、確かに寒いとウツウツとした気分になりやすい。

昨夜、友人と会食をした。
私より少し若い独身男性だが、そこで「やっと自分の生理に実年齢が追いついたね」と話し、共感しあった。

それは、どういうことか?

私は大学生時代から、友人たちに「ジジイ、ジジイ」と呼ばれていた。
その呼称は、就職し人間関係がまるで変わっても継続した。

それだけ言動に若々しさがなく、年寄り染みていたのだろう。
ある種の若者が良くする韜晦趣味の気味もあったが、それは本質的なことではない。

私は、若くして生理的に老いていたのだ。
性徴も社会的活力も、ついに一般成人男性の平均に遠く及ばないまま、五十代半ばに達してしまった。
今なら、そうハッキリと認めることが出来る。
魂の奥底ではそれを感じとっていて、ずっと無念で仕方がなかった。
でも、ようやく「もう、仕方ないや」と思える年齢になった。

私は動物番組が好きで良く見る。
そこでは、オスとメスの生きる目的が、どの種をとっても見事なほど同じであることが分る。
オスは、いかに自分の種をメスに生殖させるかで他のオスと争い、闘う。
メスは、勝ち残った強いオスの種を孕み、優秀な子孫を残すことに全力を注ぐ。

哺乳類だけでなく、爬虫類も両生類も、魚類すらも同じである。
そうしないと、他の種との生存競争に負け、地上から淘汰されてしまうのだろう。

それは「天然の原理」とでも言うべきもので、いっそ爽快なほどである。
「弱くて、どうもすみません」と、頭を垂れるしかない。

しかしもちろん当事者としては、黙って淘汰されよう…というようなことは言ってられない。

また、人間は「弱い種」であっても共生しようと努力するのが、他の動物と違うところだ。
聖書にもそう努力するよう書いてあるし、私の仕事である高齢者介護の世界でもそんな風なことを言っている。

私たちにとって幸いな状況もある。
現在の日本では、中年期で独身の男性は増えているし、これからも増える一方だと考えられる。
昔のように絶対少数派ではなくなってきているのだ。

生活に困った中高年男性が事件を起こす…というニュースがしばしば流れる。
私は、その原因は単に経済的な問題だけではないと感じている。
そもそも自分の存在意義が実感できないことの方が、ずっと根源的な問題ではなかろうか。
そこに経済的な困窮が被さるから、大きなパニックを起こしてしまうのだ。

どうすれば、私たち「弱い種」が、自分たちも恥じずに生きて良いんだ…という実感を抱くことが出来るのだろうか?

それは恐らく、途方もなく難しいことに違いない。

私の体験から今言えるのは、「孤立するな。弱さを隠すな。繋がろう」ということだけだ。