金戒光明寺の駐車場に車を置いておき、法然寺の方へ歩く。
其の途中に在った「安楽寺」。中には入らず門までで次の所へ引き返した。
浄土宗の寺院。正しくは住蓮山安楽寺。法然上人の弟子、従蓮上人と安楽上人の二人が
鹿ケ谷(ししがたに)草庵を建てて人々に念仏を布教していた。
たまたま、後鳥羽上皇の官女の松虫姫と鈴虫姫が教化をうけて、ひそかに
出家をする出来事があった。
上皇の立腹を受け「専修(せんじゅ)念仏停止(ていじ)の宣下によって
両上人は死刑、法然上人は讃岐(現在の香川県)に、親鸞聖人は越後国に配流された。
これは山門を背にして登って来た方を振り返って見た風景。
これがいわゆる建永二年(1207)の法難でした。下って室町時代の末、に
両人の供養の為、この地に伽藍が再興されたのが当寺だそうだ。
外壁の様子。
少し歩いた所の風景。
安楽寺終ります。
其の途中に在った「安楽寺」。中には入らず門までで次の所へ引き返した。
浄土宗の寺院。正しくは住蓮山安楽寺。法然上人の弟子、従蓮上人と安楽上人の二人が
鹿ケ谷(ししがたに)草庵を建てて人々に念仏を布教していた。
たまたま、後鳥羽上皇の官女の松虫姫と鈴虫姫が教化をうけて、ひそかに
出家をする出来事があった。
上皇の立腹を受け「専修(せんじゅ)念仏停止(ていじ)の宣下によって
両上人は死刑、法然上人は讃岐(現在の香川県)に、親鸞聖人は越後国に配流された。
これは山門を背にして登って来た方を振り返って見た風景。
これがいわゆる建永二年(1207)の法難でした。下って室町時代の末、に
両人の供養の為、この地に伽藍が再興されたのが当寺だそうだ。
外壁の様子。
少し歩いた所の風景。
安楽寺終ります。