小彼岸桜のズクなし写真ブログ

デジタタルカメラで小旅行や近場の被写体を自分流で写し止めたものを不定期に更新していきます。

深妙寺(伊那市)のアジサイ 其の2 (2015年07月04日 土 曇 パナFZ200)

2015年07月31日 | DMC-FZ200

                深妙寺(伊那市)のアジサイ 其の2 です。

               今回はお寺を取り巻く紫陽花の花をアップします。

 

                アジサイの花は見頃が今始まったばかりでした。

               

 

 

                                             土壌の酸性度が比較的高いのだろうか。

                                            

 

 

                ここの場所は赤いアジサイですが、全体では青いアジサイが多いようです。

               

 

 

                土壌がアルカリ性だと花は赤くなるそうです。

               

 

 

                境内の外の青山風景。

               

 

 

                大きな木立の中は白い花と青の花ばかり。

               

 

 

                本堂と庫裏を繋ぐ渡り廊下。

               

 

 

                巨大な鬼瓦。

               

 

 

                「水をかけるとなく蛙」・・・・良い音がする。

               

 

               其の3へ続きます。

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深妙寺(伊那市)のアジサイ 其の1 (2015年07月04日 土 曇 パナFZ200)

2015年07月29日 | DMC-FZ200

                深妙寺は2500株200種のアジサイに囲まれる信州最大規模のアジサイ寺です。

               深妙寺はもう一つ石臼の寺としても有名で、2000個からなる石臼庭園は日本一といわれます。

 

                雨の合間をみて、深妙寺の紫陽花を撮りに行って来ました。

               

 

 

                早すぎも、遅すぎもしない、マアマアの時でした。

               

 

 

                                            本堂。長野県の南部には使えなく成った石臼はお寺に奉納する習わしが有ったようです。

                                            

 

                                             江戸時代には広く石臼が使われていたようです。

                                            

 

 

                境内一杯に引き詰められた2000個の挽き石臼。我が国最大規模の石臼寺と言われ居ます。

               

 

 

                石鉢も良いですね。

               

 

 

                鐘楼の鐘の傍から本堂の方を撮ります。

               

 

 

                石臼で挽いたソバ粉のソバは大変美味しいそうです。

               

 

 

                長姫堂・・・長姫堂は深妙寺の特徴ある建造物のひとつです。

              公家の姫君、長姫(おさひめ)様は、文政年間旅、の途中伊那の郷で亡くなられました。

              旅の慰めに鈴虫を携えたそうです。このお堂の周りでは毎年、野生の鈴虫が鳴いています。(深妙寺HPより)

               

 

               次回はアジサイ&石像をアップします。

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近江八幡堀 其の2 最終 (2015年06月02日 火 晴 EOS5DⅢ )

2015年07月24日 | EF24-105mmF4 IS L

                近江八幡堀 其の2 最終 です。

                ここへは何回も来ていますが、何度見ても飽きない

                でも、今回が一番、舟の行き来が多かった様な気がします。

                 舟が現れると心が踊ります。

               

 

 

                「鉄道写真」を「鉄ちゃん」と呼ぶとしたら、差詰(さしずめ)「舟ちゃん」か。

               

 

 

                観光舟が居ない時はこんなです。

               

 

 

                この青いハッピの船頭さん、お客さんが結構居て良かったですね。

               

 

 

                 こんな所も歩けます。

                

 

 

                堀の水は底が見えるほど、透き通って居ない。連れの撮影。パナソニックFZ200。川の両サイドには細いが道が有ります。

               

 

 

                連れの撮影。パナソニックFZ200。

               

 

 

                連れの撮影。パナソニックFZ200。正面は東屋と同じ無料休憩所。

               

 

 

                                           小さくて解りにくいが正面の杖を握っている人が絵の先生。

                                           川の直ぐサイドの小路の上の遊歩道。

                                          

 

 

                  橋の下の景色。

                 

 

 

                 桜の根元は人の足ん踏まれないよう模様入り鉄板が、ガードしています。

                

 

 

                風景画を描いている二人が風景になってます。皆さん水彩画でした。

               

 

 

                 創作店の一角から堀を撮る。

                

 

                近江八幡堀、終わります。

 

 

               

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近江八幡堀 其の1 (2015年06月02日 火 晴 EOS5DⅢ )

2015年07月23日 | EF24-105mmF4 IS L

                昨日は姫路城、好古園、天空の城竹田城跡を回った。

                今日は滋賀県の八幡堀へやって来ました。

 

                この堀は太閤秀吉の甥・豊臣秀次が八幡山に城を築きました。

               

 

 

            八幡堀はお城の濠(堀)として作られたが、防衛としての役割のほか、琵琶湖を往来する船にここへの立ち寄りを義務づけ城下の発展を促進する企図もありました。

            

 

 

           近江商人の発祥と発展、また町の繁栄に八幡堀は大きな役割を果たしました。

           

 

 

                堀に沿って、白壁の土蔵や旧家が立ち並び、華やかだった当時の様子をよく伝えています。

               

 

 

                写生をする人々、船で堀を楽しむ人達、・・・ソレを撮る私たち。

               

 

 

                映画のロケに盛んに使われました。

               

 

 

                看板の通りの「お土産・食事処」。

               

 

 

                「ギャラリースペース のコーヒー屋さん」

               

 

 

                                            時間に余裕があれば中に入りたかった。

                                           

 

 

                店主の心が分かる様な気がします。

               

 

               次回も近江八幡堀です。

 

 

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天空の城 竹田城跡 其の2 最終 (2015年06月01日 月 晴 ニコンD7100)

2015年07月18日 | DX1685F/3.5-5.6G ED

                天空の城 竹田城跡 其の2 最終 です。

                竹田城跡は石垣遺構としては日本屈指のもので平成18年には日本城郭協会により

               「日本100名城」に選定されました。

                築城は1440年代。資料が乏しくハッキリしないことが多い様だ。

               1431年に山名持豊によって築城され、初代城主に太田光章が成った。室町時代の事である。

                

 

 

                 其の後、戦国時代、安土桃山時代を経て、豊臣秀吉の異父弟の羽柴秀長が1567年にコノ城に入る。

               

 

 

                更に1579年以降秀吉は異父弟の羽柴秀長を有子城主に据えた。

               

 

 

                織田信長の命を受けた秀吉は中国攻めが起こると、初めこそ敵外していた赤松広秀を1577年に降伏させた。

               

 

 

                羽柴軍の配下になった赤松広秀は、信長の死後、秀吉に従い、中国大返し、や、賤ヶ岳(しずがたけ)の戦い(1584年)、

               小牧、長久手の戦い(1583年)、小田征伐、朝鮮出兵などで武功を挙げた。⇒竹田城に最後の城主になる。

               

 

 

                赤松広秀は、関ヶ原の戦いで西軍に属し、田辺城(舞鶴城)を攻めたが、敗戦した。が

               

 

 

                 鳥取城攻めに加わり落城させたが、城下の大火の責任を負わされ

                 家康の命により1600年鳥取の真教寺にて切腹

                

 

 

                其の後、家康の命令で竹田城は廃城にさせられて仕舞う。

               

 

 

                                           どんな時代でも、制圧とか制覇の証は敵の城を破壊する事なんですね。(勿体無い

                                          

 

 

                ひっそり咲いていた ササユリ。連れFZ200での撮影。

               

 

 

                 連れFZ200での撮影。

                

 

 

                連れFZ200での撮影。遠方のサテライト。

               

 

              天空の城 竹田城跡 完了します。

 

 

                

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