トラス英政権のサプライサイド革命が成功するには? 世界中からのバッシングは不信任投票に当たらない
2022.10.02(liverty web)
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《本記事のポイント》
- 保守党は「分配党」になり、「保守」の精神を失った
- 減税は働くインセンティブを高め、経済成長率を高める
- サプライサイド改革成功に向けて必要なものとは?
イギリスのトラス首相が、減税・規制緩和を中心とし、5年で約1610億ポンド(約25兆円)の経済政策を発表するとともに、市場が動揺し、ポンドと国債が下落し金利が上昇。株安も重なりトリプル安に陥った。英中央銀行のイングランド銀行は、市場安定化のために、英国債を買い入れる措置を取らざるを得なくなった。
トラス政権の経済政策
では、9月初めに発足したトラス政権が発表した経済政策とはどのようなものだったのか。
ジョンソン前首相による2.5%の給与税の引き上げの撤廃。法人税を19%から26%に引き上げる計画の中止。15万ポンド(約2400万円)以上の個人所得税の最高税率を45%から40%に引き下げ、ドイツやフランスの最高税率よりも低くする。さらに投資を促す施策として、初年度の原価償却を100%認め、不動産取得税の税率を引き下げる。光熱費を抑えるために、電気・ガス料金の半年間の凍結も発表した。
この減税による経済成長を目指す「トラスノミクス」は「財政拡張型のバラマキだ」(市場関係者)、「上位20%の所得シェアを増やすと逆に成長率が低下する。金持ちがさらに金持ちになると、恩恵は全体に行き渡らない」(国際通貨基金[IMF])、「トリクルダウン経済学にはうんざり。それは全く機能しない」(バイデン大統領)といった批判が行われ、否定的な審判が下された。
保守党は「分配党」になり、「保守」の精神を失った
では、「トラスノミクス」批判はどれだけ妥当なのか。ジョンソン政権路線を引き継げば、このような市場の混乱はなかったとされるが、それは本当に正しい選択なのか。
ここでトラス氏が党首選で勝利するまでの経緯から振り返ってみたい。
ジョンソン政権で財務相を務めたスナク氏と元外相のトラス氏の党首選での最も顕著な違いは、経済政策であった。スナク氏が成長よりも財政均衡を掲げていたのに対し、トラス氏はジョンソン氏の増税路線からの転換を訴えた。
所得再分配ではなく経済成長こそが、イギリスの抱える問題を解決でき、政府が民間を指導するよりも、民間企業の力を解き放つ方がよいと強調したのだ。
2010年から12年にわたり政権与党を務めた保守党の経済政策の左傾化は、キャメロン元首相から始まり、ジョンソン氏の増税路線で頂点に達する。増税による歳入の見込みは、1950年代から最も高くなるものと見込まれた。
政府による所得再分配という意味で、保守党は野党「労働党」と際立った相違点はなく、保守党は「社会分配党」へと変貌を遂げ、国の衰退に拍車がかかった。
金融政策の面でも英中央銀行とオズボーン財務相が、量的緩和による低金利の形で、政府支出の増大を支えた。
党員17万人のうち、57%の得票率を得て、トラス氏が決選投票でスナク氏を破ったのは、党員が「保守党」に変革を求めていたことの一つの証だった。
成長によりパイが増えなければ、縮小するパイを分配するしかなく、国民の貧困化は止められない。このまま流れに任せ衰退を余技なくされるか、あるいはここで流れを転換させるかの2つに1つの選択肢の中で、サッチャー元首相を尊敬するトラス氏は、サッチャー氏同様、保守党を真の保守政党に変革させるラディカルな道を選んだのである。
このトラス氏の減税による成長路線を支持する声もある。
ハドソン研究所の名誉フェローで政治学者のウォルター・ラッセルミード氏は、米ウォール・ストリート・ジャーナル紙に寄せたコラムで、こう述べている。
「トラス氏の計画にはそれなりの価値がある。経済成長レースを挑むことは勇気あるものであり、マーガレット・サッチャー氏が理解していた基本的事実を反映している。それは低い生産性と成長率が、帝国主義後にイギリスが衰退した根本原因だということだ。規制緩和や減税を計画するといった、トラス氏が提案する一連のサプライ(供給)サイドの改革は、改革が実を結ぶまでの時間が市場と政治から与えられるならば、こうした問題の対処法になり始める可能性がある」
減税は働くインセンティブを高め、経済成長率を高める
さらに言えば、「(最高税率を下げることは)成長率を下げ、その恩恵は全体に行き渡らない(トリクルダウンがない)」というIMFやバイデン氏の批判は乱暴すぎると言える。
これについては、レーガン政権下の1983年1月から1984年6月までの1年半に、年率で8%の経済成長率を遂げ、トランプ政権下では、黒人の所得中央値は最も高い伸び率を示したという歴史的事実がある。
また税率を下げることは、トリクルダウンと同じではない。働くインセンティブが高まることで、働くことを魅力的にすることに主眼が置かれている。お金持ちがレストランなどで、チップをはずむといった行為を意味するのではないのだ。
富裕層に減税すると、彼らはより多くの収入を得て、より多くの税金を払うようになる。そうすれば、減税をしても歳入が確保され、経済成長が貧困層に恩恵をもたらすことになる。フラット化と歳入の関係を検証したアーサー・B. ラッファー博士の研究が示す通りである(関連書籍『「大きな政府」は国を滅ぼす』参照)。
もっと言えば、減税で企業や個人の手持ちの資金が増えると、雇用を増やしたり、設備投資を増やしたりする。民間のインセンティブを高め、経済を成長させることは、お上が何でも知っているから政府が民間に指示を出せばよいと考える「大きな政府」よりもはるかに自由で民主的だ。
もとより金利を上げても、供給が増えなければ、10%近くのインフレ率を抑えることはできない。供給サイドの強化は、物価高対策においても不可欠である。
サプライサイド改革成功に向けて必要なものとは?
気になるのは、エネルギー価格の高騰である。トラス政権は、光熱費を抑えるために、家計や企業向けの電気・ガス料金の半年間の凍結に向け、政府が企業に差額を負担する形をとる。そのための政府支出は、約600億ポンド(約9兆円)にも上る。
ラッファー博士らのサプライサイドは、減税、規制緩和、健全な貨幣とともに、自由貿易と政府支出の抑制を重視する。政府支出はいずれ国民に課税となって跳ね返り、貨幣の増発はインフレ税となって国民を苦しめることになるからである。
エネルギー問題は、ウクライナ紛争の早期終結にもかかっている。トラス氏は外相時代からジョンソン氏とともに対露強硬路線をとり、アメリカと歩調を合わせてきた。外交面からも、ウクライナ紛争の早期終結を図らなければ、イギリス国民の物価高への不満を抑えるのは難しくなるだろう。
この点で、冷戦時代にソ連を倒すために戦ったレーガン政権の歳出増とは、その質において区別されなければならない。外交政策も含め、エネルギー政策面でも、政府支出の抑制に向けて手を打たなければ、サプライサイド改革は不徹底に終わる。
成功すれば、世界に影響を与える
さて前出のラッセル・ミード氏は、「彼女の取り組みが成功する保証はないが、もし成功すればそれはイギリスと世界にとって状況の改善につながるだろう」と述べ、こう指摘した。
「英資産の急落は、決してイギリスの新政権に対する信任投票ではない」
世界の左右両極のエスタブリッシュメントが、一斉にトラス氏を批判している。 そうした中、 ウォール・ストリート・ジャーナル紙も社説で、経済危機の時代には「スケープゴート」が必要になるものだとし、トラス氏批判がインフレと低成長をもたらした失策から国民の目を逸らすのに好都合だと主張する。
ラッファー博士も、FOXニュースのインタビューで9月28日、こう述べている。
「サッチャー政権が88年に個人所得税の最高税率を60%から40%に引き下げたことで、イギリスの経済成長率が高まりました。一方で、2010年にゴードン・ブラウン労働党政権が個人所得税を40%から50%に引き上げたことで、歳入が減りました。今回の個人所得税の40%への引き下げは、サッチャー氏の88年減税の税率に戻ることを意味し、これはイギリス国民と世界のためになります。とりわけアメリカでは来年に、法人税率を21%から25%に引き上げることが予定されているため、 19%から26%へ法人税率を引き上げる計画を中止することは、 アメリカにおいても必要なことなのです」
このような主張を見ても、サプライサイドによる成長路線を充分に検証することなく、否定的に評価するのは、早急にすぎると言えるだろう。
さて政府支出を増やして、選挙前に票の買収に近い政策を続けるバイデン米政権がトラス氏の経済政策を批判するのは、自己正当化のためであり、ある意味分かりやすい。
だがより深刻なのは、主要国の保守政党の左傾化の問題である。
ウォール・ストリート・ジャーナル紙は、ジョンソン前政権を「最も大きな政府だが保守(biggest-government-yet conservatism)」と揶揄しているが、真正の保守であれば、「法の支配」を守ることができなければならないはずだ。
古代より法の支配とは、国民の自由、とりわけ財産権を守ることであった。国民の自由を守ることが政府の仕事であり、そうでなければ法の支配が存在しているとは言えない。法の支配を守らない政府は、自由の価値が分からず、もはや「保守」と称することはできないのである。トラス首相が、サッチャーのごとく、神から与えられた自由を守る「保守党」へと生まれ変わらせることができるか。幸運を祈りたい。
【関連書籍】
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2022年10月号 「ポスト・バイデン」を考える 中間選挙間近のアメリカ
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