『南京大虐殺』の論点
2014.07.12
文/幸福実現党政務調査会 佐々木勝浩
昨日の江夏政調会長の論考に続き、『南京大虐殺』を検証してみたいと思います。
◆諸説ある『南京大虐殺』の虐殺数
旧日本軍の虐殺数は、日本軍と戦った蒋介石が率いる国民党政府は、1947(昭和22)年の南京戦犯裁判軍事法廷で30万人以上とし、また中国共産党(現在の中国政府)は、30万~60万人で100万人と言うこともあります。
東京裁判(米国を中心とする連合国が日本を裁いた裁判)では、20万人以上です。アイリス・チャン著『ザ・レイプ・オブ・南京』では26~35万人。日本の識者の研究 は 20 万人を上限として、4 万人、2 万人などがあります。
しかし、国際委員会の活動記録(1939年に出版)では、殺害件数は26件と報告(南京事件の研究家・板倉由明氏は46件と分類)しています。しかも目撃されたものは1件のみで、他は伝聞や噂によるものです。
ちなみに米国は、広島や長崎に原爆を落とし、東京空襲では一夜で10万人の市民を虐殺するなど、トータルで30万人の日本の非戦闘員を殺害しました。これは否定しようがない事実です。
米国は自国の大虐殺を打ち消すため、ドイツと同じようなユダヤ人大虐殺に匹敵する事件を日本を裁くために、でっち上げる必要があったわけです。
そこで東京裁判で、はじめて「南京大虐殺」をつくり上げました。裁判では、日本軍がやったこととして虐殺などの証言は嘘でも認められ、それに対して日本側は反論の場も与えられない一方的な裁判を行ったのです。
◆当時の新聞記者の証言「見たことも聞いたこともない」
日本軍が南京に入城したのは、1937(昭和12)年12 月、世界のマスコミも含めて100人を超える報道機関が日本軍と南京城内に入っていますが、しかし当時30万人にも及ぶ虐殺があったという報道は当時されていません。
朝日新聞は従軍記者とカメラマンを16人派遣し自動車を使って南京戦を取材しました。
南京戦での朝日新聞従軍記者の証言として、「南京事件ねえ、全然聞いてない。もしあったとすれば、記者の中で話が出るはずだ。記者というのは、少しでも話題になりそうなことは、互いに話をするし、それが仕事ですからねえ。噂としても、聞いたことがない。朝日では、現地記者を集め、座談会もやったが、あったなら話がでるはずだ。報道規制?何も不自由は感じていない。思ったこと、見たことはしゃべれたし、書いていた。」(橋本登美三郎氏 朝日新聞南京派遣記者団キャップ)
「私が編集局長の時、南京に特派した記者たちを集めて、一人一人 聞いてみたが、そのようなことは見たことも聞いたこともない、という返事ばかりだ。何万、何十万なんていう虐殺など、絶対にない。」(細川隆元氏 朝日新聞編集局長)
◆30万人の遺体が出ていない
アメリカが広島に落とした原爆で亡くなったのは10万人、だとしたら日本軍は原爆3つ分の兵器に匹敵する大虐殺を銃剣で行い、しかも世界のマスコミが一緒に入城していながら、誰にも見つからず12月の凍った土地を掘って30万人の遺体を埋めたということになります。
また南京では戦後、ビル建設も行われていますが遺体が出てきた話は全くありません。ですから中国が主張する日本軍の30万人大虐殺は常識的に考えてあり得ません。
◆中国が『南京大虐殺』を捏造する訳―対日外交圧力のカードとして利用
1998年、当時の中国の江沢民国家主席は会議の席上、「日本に対しては歴史問題を永遠に言い続けなければならない」と指示し、歴史問題を「対日外交圧力の重要カード」と位置付けていたことが「江沢民文選」の中で明らかになっています。
ですから、事実を捻じ曲げてでも、「日本を悪者」にしておく必要があるのです。
◆改革が求められる日本の「自虐史観教育」 (例・中学校の教科書)
東京書籍「首都南京を占領した。その際、婦女子を含む約20万人とも言われる中国人を殺害した(南京大虐殺)。」
教育出版「日本軍は、シャンハイや首都ナンキンを占領し、多数の中国民衆の生命をうばい、生活を破壊した。ナンキン占領のさい、日本軍は、捕虜や武器を捨てた兵士、子供、女性などをふくむ住民を大量に殺害し、略奪や暴行を行った(ナンキン虐殺事件)。」
戦後の教育の中で捏造された歴史が子供たちに教えられています。これでは日本の子供たちが自分の国に誇りを持てるわけがありません。日本の子供たちが自分に自信が持てない理由の一因でもあります。捏造された歴史を正し、先人の名誉を回復し、日本人の誇りを取り戻すことが必要なのです。
【参考図書】 『南京事件の総括 虐殺否定十五の論拠』田中正明著/謙光社
『南京虐殺の検証―南京で本当は何が起こったのか』阿羅健一著/徳間書店
『南京事件の核心』冨澤繁信著/展転社