五代 友厚-46 2016-04-04 07:25:28 | 長崎の歴史 技師館は、イギリス人技術者が予定を早めて 1年で帰国した後、大砲製造支配所として使用され、 1877年(明治10年)の西南戦争では 西郷軍の負傷兵の仮病院にもなった。 1882年(明治15年)に鹿児島城本丸跡に移築され、 鹿児島学校、中学造士館(七高造士館) の教官室としても利用されていた。 長崎の歴史 « 五代 友厚-45 | トップ | 五代 友厚-47 »
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