明治維新に際しては小松帯刀の推挙により
明治元年(1868)徴士参与職、
外国事務局判事に任ぜられた。
キリスト教禁令についての
イギリス公使パークスとの交渉などで
手腕を発揮するとともに、
明治2年(1869)からは会計官副知事を兼務し、
高輪談判の処理や
新貨条例の制定などの金融行政にも携わった。
明治3年(1870)に参議に補され、
明治6年(1873)5月、大蔵省事務総裁、
10月から参議兼大蔵卿になった。
古美術 崎陽
明治元年(1868)徴士参与職、
外国事務局判事に任ぜられた。
キリスト教禁令についての
イギリス公使パークスとの交渉などで
手腕を発揮するとともに、
明治2年(1869)からは会計官副知事を兼務し、
高輪談判の処理や
新貨条例の制定などの金融行政にも携わった。
明治3年(1870)に参議に補され、
明治6年(1873)5月、大蔵省事務総裁、
10月から参議兼大蔵卿になった。
古美術 崎陽