
きのう鷹中央例会に出席した。
句会の前にひとつ用足しをしたが早く済んだ。したがっていつものバイキングレストランへ入ったのが11時15分。空いていてよかったが時間をもてあまし句会場がひらく正午をひたすら待った。航空会館へ近づくと長蛇の列。バーゲン会場みたいなあさましい光景。
会館内へ入れない人が路上に列をつくっている。ざっと100人。
うーん、行き場のない年寄たちが診療所へ押しかける図でもある。
やむなく列の一員となっているといきなり袖を引く女がいる。
ネット句会の友アイ。ぐいぐい列から植込みのほうへ連れ出される、すわ逢引の耳打ちかと思うと俳句の話。
50周年記念大会の作品集のなかで小生の句がわかった、すごくいい句◎よ、と言うではないか。
長く句会をともにしているとちょっとのヒントでわかってしまうようだ。型があるのはいいが書く方法に進歩がないとすればこわい。
こんなに早くから押しかけてみなさんが会場の後方の席から埋めていく…? はて、ふつう同じ料金で寄席に入るとき最前列から埋まっていくのではないか。
消極的でもったいない。
それでいて耳が遠くて主宰が何を言ったかわからないとほざく。
ぼくのように常に最前列へ来ればいいのに。最前列だと主宰の顔色がよく見える。
採った句でもその中での優劣が主宰の表情、口吻によってビビッドにわかるのだ。みなさん何の遠慮をしているのか、わからない。
受付へ行くと小生の名前がない。
作品集にわが句がない。はがきが着かなかったようだ。帰って相撲を見ようかと思ったら係が紙片に書いて出してみたらと救済してくれた。
しかし作品集にない句会は主宰が採るか否かの興味しかない。
何点入ったとか、あの重鎮が興味を示したとかといった要素がまるでないのは透明人間が好きな女を抱きたいと懊悩するようなもの。つまらない。
刈込みて垣根平らや皐月富士 わたる
主宰は予想通りこれを採った。「上五中七はよくあることでどうということはありませんが皐月富士で持ちこたえましたね」。評価は高くない。これじゃ相撲見に帰ってもよかったわい。
主宰の指摘するように季語で持たせたのは事実。
15年以上前、主宰がまだグリーンボーイだったころ同じくグリーンボーイの加藤静夫らと対談した企画で、
主宰が小生について「この人は良くも悪しくも図形的ですね」と評したことを思い出した。小生の本質を見抜いている、若いのにすごい眼力をもっていると驚いたものだ。
以来、主宰のこの評価がずっと小生に付きまとってきた。下五に皐月富士を置いたとき小生は15年以上前の「図形的」を意識していた。
良かれ悪しかれ俳句は図式。
いい方の図式をめざしたが、それは主宰に通じていたようである。
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