
仙台・宮城観光キャンペーン推進協議会がタレント壇蜜を起用してつくった「伊達な旅」という夏のキャンペーン動画が当初の予定より早く削除することになったようだ。
推進協議会会長の村井嘉浩知事は7日の定例記者会見で「一般世論は8割ぐらいが評価している」と反論したが、宮城県議会の野党4会派や女性団体などは相次いで配信停止を県に要請し、奥山恵美子仙台市長も「品位を欠くと言われてもやむを得ない」と指摘した。
そういう意見に配慮しての措置であったようだ。
壇蜜が牛タンやずんだ餅を妖艶な言い回しで紹介するシーンなどが反響を呼び、動画再生回数は300万回を突破。一方で「性的な表現が不快」「税金を使うべき動画ではない」との批判も相次いだ。
壇蜜が寄り添ったことで像の伊達正宗が頬を赤らめたり、壇蜜が喋る口をアップで捉えてエロティックに見せる演出をしているが、ぼくはエロティシズムになんの反感も持たない、いや支援したいのでユニークな観光誘致動画だと思った。壇蜜さんらしいやわらかな抒情性がよく出ていた。
市長を務めるような女性が性的であるとかエロティックだからダメとかいうのを聞くとこの国は暗いと思ってしまう。
村井知事がいうように「一般世論は8割ぐらいが評価している」が正鵠を得ていると思いたい。
そうでなかったら宮城県民は詩文芸ができない県民ということになってしまう。
およそ人に性的とかエロティックなものに反応する心がなかったら心というほんとうはやわらかなものは岩盤になってしまう。それがどれほど怖いことなのか。
俳句や短歌や川柳、詩や小説、音楽、絵画、ほか情操に寄与する芸術等にかかわれない人間になってしまうではないか。
人は自分自身の内面に性的な衝動があろうとそれを押し隠し、人のそういった衝動に対していちゃもんをつけたり批判をしたりする。
それがぼくにはわからない。
エロティシズム批判は端的にいって自分の老いを認めること、あるいは自分に愛情生活が欠けていることを告白していることではないのか。
俳句を真にやろうという人は壇蜜さんのこのていどのエロティシズムを批判しないだろう。ぼくらはそういうテーストも含めて心浮き立つことを求めているのだから。
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