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天地わたるブログ

ほがらかに、おおらかに

鷹2月号小川軽舟を読む

2024-01-28 07:19:46 | 俳句



小川軽舟鷹主宰が「鷹」2月号に「倭人」と題して発表した12句。これを山野月読と合評する。山野が〇、天地が●。ここに出した句のいくつかはすでに当ブログで取り上げたが山野が加わることで新し景色も見えるかもしれない。それを期待する。

やどりぎの高きに曙光年明くる
●新年の句で「やどりぎの高きに曙光」は見たことがありません。落葉樹だと寄生木は目立つ存在。ここを見たのは手柄だと思います。 
〇要は季語的には「初日」であるのを、本句では「曙光」、「年明くる」と費やして示しつつ、「初日」と言ってしまうのとは異なる細やかさで状況を提示していると思いました。一方で、「初日」を用いれば、もっと他の情報の取り込みも可能だったのではないかという見方もあるかと思います。 
●「やどりぎの高きに初日」と一度は思ったたかもしれません。そこで季語を使ってしまうと後の五音をどうするかという切実な問題に直面します、実作者は。あなたのいう「もっと他の情報の取り込み」はかなりハードな課題です。作者は巧妙にそれを避けて季語を「年明くる」として着地させましたね。 
〇「初日」を用いなかった事自体が新鮮でした。

朝日子の幸(さきは)ふ国ぞ初山河 
〇 いわゆる「日出ずる国」、太陽へのアニミズム的な素材。上五中七があってこその下五「初山河」であり、国を統べることが見渡すことであるようなそれかなと。 
●アニミズムをいうと作者は喜ぶと思います。かつて、自分の句にはアニミズムがほとんどないという趣旨のことを言っていますから。聖徳太子のイメージも立つ勇壮な句柄です。 

黥面の倭人を祖とし初日浴ぶ
〇私が「黥面」という言葉を初めて知ったのも魏志倭人伝でした。この措辞に対しての下五「初日浴ぶ」は、古代の太陽信仰的なイメージとも重なり、インパクトがあります。 
●自分の先祖は邪馬台国であるということですね。この季語に対して上五中七はふるっています。

初日さす竹藪に風なみなみと 
●朝から風があるのかなという疑いはあるものの「竹藪に風なみなみと」は味わいのある言い方です。 
〇通常は液体に用いる「なみなみと」を「風」に用いて新鮮。これも作者得意の五感クロスオーバーの一種とも言えます。「風」が強いとか冷たいとかではなく、量的な擬態表現である「なみなみと」を用いることで、「初日」の目出度さも一層極まります。 
●そうとう気に入っていますね。 
〇写実でなくても構わないと思わせる豊かさがあります。

狛犬の獅子吼聞かせよ初御空
○対として設置されるいわゆる「狛犬」の片方が獅子であり、一般にはこちらは口を開けた像になっていることに、本句の「獅子吼」は対応しているものと思います。正月でもあり、現場の人の賑わいも想像し得るのですが、私には正月とは言え、まだかなり早い時刻で人の賑わいもまだないような静けさゆえの「獅子吼聞かせよ」なのかなと捉えました。 
●小生はこの句をあまり買っていません。「獅子吼聞かせよ」といっても石の置物でしょう。吼えるわけがないでしょう。もっと吼えそうなものにそういうのならともかく……。
〇そこは亀でも蚯蚓でもなく世界ですから(笑)。

亀の水とろんと澄めり初詣 
〇考えてみたこともありませんでしたが、言われてみると違和感もなく、どこか納得できる把握です。「澄めり」という状態に用いられる表現も多様だとは思いますが、「とろんと」は意表を突かれましたが、「亀」のいる池の水だと思うと説得力があります。 
●夏の亀のいる池を思い出しました。これは、どろんと濁っているので「とろんと澄めり」は意表をつくかもしれません。
〇「とろんと」は粘性を内包する言葉であり、本句では例えば「さらさらと」どの対比として用いられていると考えていたのですが、わたるさんの示した「どろんと」というこれまた粘性を有する言葉がありましたね。「どろんと」との対比で考えると、「とろんと」の方は透明性、本句で言えば「澄めり」に対応していますね。

向う疵見せて勝独楽止まりけり
●「向う疵」がいいですね。「敵に立ち向かって戦って、体の前面(特に額や顔面)に受けたきず」と広辞苑にあります。 
〇「向う疵」とあるので、独楽遊びとは言え、なかなかの激しい独楽のぶつかり合いも想像されます。下五にて「止まりけり」までを言ったのも勝ち独楽が悠然と見えを切るような華を感じさせてとてもよいと思いました。

羽子つきの木の鳴る響き木の家に 
〇 「木」のリフレインを活かした句。昔ながらの木造の日本家屋、その庭で家族が興じる「羽子つき」の音風景を言うことで、幸せな家庭状況も理解されます。 
●調べのいい句でたしかに幸福な気分になります。

追羽根の高く上がれば流れけり
●「ホトトギス」にあってもおかしくない句ですが見たことがありません。多くの俳人が見逃してきた情景です。 
〇「追羽根」なる言葉を知らず、調べちゃいました。羽根つきもいろんな言い方があるんですね。ある高さを超えるとすーっと流れてしまうことは確かにありますね、羽根つきに限らないでしょうが。 
●ほのかのな味わいの一物仕立て……書きたくてもなかなか書けない境地です。こういう句を見ると俳句は瞬間を見逃さない目が大事と痛感します。

地雷踏み一回休み絵双六 
〇双六には色々な試練が待ち受けていますが、こうした「地雷」とかは家庭遊戯の世界から排除されてしまう時代が来るかもしれないなとふと思いました。 
●そうですね。すぐウクライナにおける地雷地獄を思いました。そこだけでなくかつて戦争のあった場所での地雷事故などを。ブラックユーモアの含みがあります。

いちにちに浮く綿ぼこり寝正月
●前の絵双六の句同様、遊び心があります。ほんとうに埃はなぜかくも湧いて積もるのかと思います。その思いをくだらないと捨てないで大事にしています。 
〇こうした日常の再発見も「寝正月」 の効用。
●従来の美意識に挑戦しています。「寝正月」という季語からみて「いちにちに浮く綿ぼこり」が新鮮です。これを拾い上げた感性には脱帽です。

吹けばまた七草粥の野の香り 
〇「七草粥」の句として出色ではないでしょうか。 
●はい、出色です。 
〇「吹けばまた」の導入で、食卓に供された時点から既に香り豊かであること、熱々の粥であることなどご示されています。中七下五「七草粥の野の香り」となっていますが、「七草粥に野の香り」とする手もあったと思うのです。しかし、そうはしなかったことで、この「七草粥」と「野の香り」が一体のものとなっていることを示し得ているのだと思います。 
●巧まずにして巧いという立ち姿の句でしょう。 

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