藤田湘子は躑躅が嫌いだと思っていた。けれど、句集『黑』に
築山の紅きつつじを白ぼかし 湘子
があって、おやっと思った。先生は必ずしも躑躅嫌いではなかったのか。小生が勝手に躑躅嫌いと思い込んでいたのか。先生は朴が好きでそれを自宅の庭に植えて愛でていた。あの気品のある白が好みであった。
よって、
椿翁去ればうるさの躑躅翁
という句を書いていて躑躅はそう好感を持っていない。「椿翁」「躑躅翁」は花の擬人化であろう。椿が咲き終えると躑躅が咲くということ。「うるさの」といっているからやはり躑躅はそう好みではなかろう。
躑躅の赤系統は嫌いだっとと見え、躑躅でも白を書いている。
老骨の骨のあそべる白つつじ
夢を出ていま日の赫と白つつじ
白つつじをリアルに描写するのではなく、現実から遊離したところで書いている。
次の句は赤か白かはわからないが、廃れている躑躅を書いている。わっと満開のつつじからは逃げ腰であったようでおもしろい。
躑躅野の咲きのこる花に馬遊ぶ
好きでなかった割にはよくこんなに躑躅の句を残したものである。
「築山の紅きつつじを白ぼかし」はこの写真のように、赤と白が混じっているもののことか。
先生が躑躅が苦手であったことはよく理解できる。
小生もこれが咲くとうんざりする。躑躅は黄金連休の代表的な花。どこで出かけてもこれに遭遇し、見ただけでどっと疲れる。
饒舌の世にわつと出し躑躅かな わたる
躑躅咲く土の熟れぬ造成地
土を選ばず根を張るのか庭に手っ取り早く植えられる。都合のいい植生である。
さて小生の躑躅2句、先生は採るであろうか。
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