goo blog サービス終了のお知らせ 

天地わたるブログ

ほがらかに、おおらかに

孤独の人は俳句がうまい

2018-05-30 02:17:27 | 


五木寛之『孤独のすすめ』(中公新書クラレ/740円+税)を、讀賣新聞からいただいた図書券で買った。
人生いかに生きるべきかという本は興味がなかったが、帯の「後ろを振り返り、ひとり静かに孤独を楽しみ、思い出を咀嚼したほうがいい」という文言に疑問を持ったことが本書を求めた理由である。

俳句をやっていると興味はほとんど今である。自分が最近見たり聞いたりしたもの、世の中で今起きていることが俳句を詠む衝動になることが多い。
しかし初心者や老齢者は過去をよく書く。それはたいていたんなる郷愁であり詩のインパクトのない色褪せたものになりがち。それで藤田湘子は「過去は書くな、回想は弱い」と言い続けた。
湘子の教えが染み込んでいて五木さんの姿勢は消極的に思えた。それで彼の真意を探りたくなった。

帯に「人は年をとると、孤独という自由を手に入れる」とあるからこれを深めているのが中身とふつう思うが、まるで違った。孤独そのものについて書いている分量は10%もない。羊頭狗肉である。
孤独について触れているのは、「ガラクタも捨てなくていい」という項目で、むかし買った記念の品をときどき出して回想すると元気になるというくだり。
古いマッチとかレコードとかがきかっけになって記憶が引き出される。回想を精神科が治療に使うほどであるから昔を思い出すのがいい、とすすめている。

●ボランティアなどに参加してなるべく積極的に他人とコミュニケーションをとる
●カラオケや旅行へ行くなどレクリエーションを生活に取り入れる
●体操やウォーキングを習慣にしなるべく体を動かすようにする
●いろいろなことに好奇心を持つ
五木さんは世間がよくいうこういうことに懐疑的という。それは小生も肯ける。やたら前向きに、ポジティブに、といわれても年寄はそう体力も気力もないのだから、一人静かに時間を過ごすというのはわかる。

けれど静かに過ごす中身は回想だけなのか……これには釈然としないのだが……と思っていて待てよ、となった。
先日、ハーモニーヒロが小生を酒と食事でもてなして色恋沙汰を聴いたことを。ヒロは絶妙な聴き手であった。善悪の判断をせず小生の心の襞をくすぐるように合いの手を入れてはうながした。まんまとそれにはまって今まで誰にも話すことのなかった話をしてしまった。
それは蜜のように甘美で俺にも映画みたいに甘美な時間があったのだと満足したのであった。俺の人生、まんざらでもなかったわいと舞い上がっていた。
これは五木さんのすすめる回想ではないか。ヒロがアシストしてくれた。

回想は認めてもいいが、ほかに孤独を楽しむことの提案がないのはもの足りない。
本書の「はじめに」で、
春愁や老医に患者のなき日あり  五十嵐播水

を取り上げている。
この句を引いて五木さんは、「人生の最後の季節を憂鬱に捉えるのではなく、おだやかに、ごく自然に現実を認め、愁いをしみじみ味わう。こうした境地は、まさに高齢者ならではの甘美な時間ではないでしょうか。」と結んでいる。

そう、「孤独のすすめ」とは「俳句のすすめ」ではないか。俳句をやれば一人の時間が輝く。俳句を書く目的で野山や海辺を歩くとき同行者はいないほうがいい。人とおしゃべりしていては俳句はできない。一人で森羅万象に向くことを自然に望むようになる。
これは一人を愛した飯島晴子のみならず小生も、ほかの俳句をやる輩の多くが感じていることだろう。
「孤独のすすめ」というテーマは小説家の五木さんより五十嵐播水さんみたいなレベルの高い俳人がこなしたほうがはるかに具体的でおもしろくなるのではと思った。
ぼくが編集者ならそうする、『孤独の人は俳句がうまい』とかいう題で。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 栃ノ心VS照ノ富士を見たい | トップ | ひこばえ句会は6月9日(土... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。

」カテゴリの最新記事