
北大路欣也と優香
藤沢周平原作の「三屋清左衛門残日録」をゆうべ時代劇専門チャンネルでやった。主演・北大路欣也。初老のご隠居を好演した。
時代劇はいい女が出るので好きである。男にとっていい女ということだが、清左衛門の場合、行きつけの飲み屋の女将(麻生佑未)と息子の嫁里江(優香)がそれに当たる。前者はうっすらとした恋愛感情であり後者はかしずいてくれる好ましさである。清左衛門は妻に先立たれ隠居しているが息子の嫁がしっかり身の回りの世話をしてくれる。しゃしゃり出ず必要なときに必要なことをする。饒舌でなく内容のある会話ができ愛嬌がある。
優香をみていて年とって麗しいのは息子の嫁ではないかと思った…とたん打ち消した。時代劇は現実にほぼあり得ない人間関係を描いている。
清左衛門と里江の姑嫁の関係は桃源郷であろう。現代でいちばんないものではないかと思った。
封建制の江戸時代、老いた者を看取るのは息子の嫁であった。2世帯が同居するのが当然であった。それが毀れて現代がある。ひとつの家に1世代が住むという形である。男女同権という考えに基づいている。封建時代、女は家事・育児をし、さらに夫の親を看取るということまでした。他人のために犠牲になったといえばいえる人生。
それを核家族は解放した。
けれど人は老いて寝込む。それを誰がみるのか、という問題はついてまわる。嫁にしても老いるのである。身体が動かなくなったとき誰がみるのか、という問題から逃れられない。
もう10年したら小生もどうなるかわからない。自分で自分をどうすることもできなくなったときどうするのか。
1956年に出た「楢山節考」がいまだに燦然と輝いている。老いるということと社会との関連でここに出された命題をわれわれは克服できていない。姥捨である。老人の遺棄である。遺棄される老人がそれを納得しているというところに凄みがある。社会が棄民を求めるのである。
この問題を考えていくと安楽死にも通じる。死病でない安楽死ということも起きてくる。生産できなくなった人生をどうするか。むだに飯を食ってどうなるのか、とういうところへ行きつく。
そういう予感があるせいか、ゆうべ北大路欣也と優香がつくった空間を珠玉のように感じた。
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