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天地わたるブログ

ほがらかに、おおらかに

5月の空中散歩

2025-05-02 14:03:59 | 身辺雑記

トミンハイム中庭

 

しばらく黒鐘公園(森林公園)を歩いていたが久しぶりにきのうトミンハイムへ帰った。階段の昇降をしたくなった。ウォーキングは気分である。トミンハイムは何棟あるかわからないが最上階はどこも14階。1階分の階段の数は16段。きのうは3棟昇ったから、14×3×16で672段。

昇っていて四国の金毘羅様を思う。金刀比羅宮の本宮へ昇る階段の段数を。奥社まで行くと1368段あるそうだ。672段の約2倍。2倍あっても奥社まで行けそうな気がした。年寄が金毘羅様参りを企図するのは励みになるだろう。小生はあんな遠くへ行かないけれど。

 

 

スポーツクラブルネサンスの向こうが、西国分寺駅

14階から北を見ると中央線の線路があり、建物では「スポーツクラブルネサンス」が印象的。その中で体の鍛錬をしている人たちは隣の団地の階段など見向きもしないだろう。若いころジムトレーニングに励んだことがあったが次第にそういう場を離れた。室内より外がいい。風や景色の動きがある環境のほうがエクササイズは持続する。水泳は好きだが最近プールも行っていない。壁から壁の往復に飽きた。外を歩くとよけいなことを思い、俳句が浮かぶ。

 

 都立多摩図書館

14階から俯瞰しておもしろいのは他の建物の屋上。たとえば、多摩図書館の屋上の一部には草が植えられている。なぜ屋上で草を育むのか。そこへは業者でないと上がることができない。デパートの屋上でないところになぜそんな意匠を施すのか。よもやトミンハイムの上部に住む人たちの目の保養のためではああるまい。

また、ビルディングの屋上がフラットであることにずっと疑問を持っている。一般家屋の屋根のようにすこし傾斜をつけた方が雨水が流れやすい。雨水が滞留する構造は長い間に雨漏りの原因にならないのか。小生が建築家ならビルの屋上に少し傾斜をつけるだろう。一般家屋の屋根ほどではないが。

高い建物の階段を昇ることは新宿に勤めていたころからやった。通称「新宿三角ビル」に職場がありそこでデスクワークをしていたとき、さぼってよく51階を昇った。そのころ小生のようにトレーニングのために昇る人を見たことはなかったが、高層ビルの階段昇りはスポーツの種目になっていて好事家たちを集めている。

名付けて、「ステアクライミング」。超高層ビルやタワーの階段を駆け登る競走である。

ニューヨークのエンパイアステートを駆け上るのを「エンパイアステートビル・ランアップ」という。ここは86階まで1576段あるそうだ。参加費1人125ドルは高いが世界中のエリートランナーにとってバケットリスト(死ぬ前にやっておきたい)レースであるという。これまでの最高記録は、男性はオーストラリアのPaul Crake氏の9分33秒(2003年)、女性はオーストリアのAndrea Mayr氏の11分23秒(2006年)。

小生は新宿三角ビル51階昇りに13分かかったからエンパイアステートビルは20分かかる。したがって彼らの記録はべらぼうに速い。

エンパイアステートビル・ランアップの人たちは帰りはエレベーターだろう。しかし小生は今、階段下りもしている。新宿三角ビルのころは昇るだけで下りはエレベーターのお世話になったが今は下りも重要視する。スポーツ医療の偉い先生が階段は下りるときの方が筋肉は鍛えられると言った。スキーを思うと納得する。彼の意見をすぐ取り入れ、2月からエレベーターを使っていない。

エンパイアステートビル・ランアップの人たちはそう広いとも思えぬ階段に殺到して転倒・転落等の事故はないのか。大丈夫かなあと思いつつ一人のんきに昇り下りする。

 

ニューヨーク、エンパイアステートビル辺り

 

 

 

 

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異界の偉友サチ先生

2025-04-29 00:06:36 | 身辺雑記

  ボストン大学

 

山田幸子には揺さぶられ続けている。

2月14日、山田は横浜から突如、札幌の某病院へ派遣された。そこの心臓血管外科の執刀医師死亡につき彼に代わる優秀な執刀医の派遣要請が横浜へ来たのだ。双方の医局長同士が知り合いであった。まるでメジャーのトレード、山田は異動通告を受けたその夜すぐに病院へ行き業務の引継ぎをし翌朝一番、羽田から飛び立った。「ジャンヌ・ダルクは闘いに行きます!」というおどけた洒落たメールが来たものである。寒い札幌に寒がりのサチが着の身着のままで身柄だけ動く慌ただしさ。札幌で衣服を買い、なんとか環境になじんだかと思った矢先の3月26日、山田から来たメールに息を吞んだ。

 

がんの骨への転移か

「わたると医局長だけには告げておくことだけど……」といって、腫瘍マーカーの悪化を伝えてきた。「この辛さは大腸がんのときと同じなんだ……グレード4、骨に行ってたらもう治療法はない」と。山田はプロゆえ自分の病状を冷徹に見ていた。

去年の7月、天地ブログに「サチです。覚えてますか」という書き込みがあったのは去年の7月のこと。すぐ山田幸子とわかった。びっくりした。同年齢の仲間が次々世を去っていく晩年、新たに知人が出来するとは……感動した。35年ぶりのことである。

サチは47歳のときの大腸がんとの闘病に言及、その闘病の苦しかったことを連綿と語った。奇跡の生還だったらしくいま腹にストーマを付けている。以後、メスをふるい続けながら、定期的に検診し腫瘍マーカーへの注意を怠らない。そのがんが再び頭をもたげたのか、あたりがどんより黒ずんだ。

横浜の担当医から「大腸がんの腫瘍マーカーは正常だがほかの腫瘍マーカーが高くて嫌な感じ。札幌で調べなさい」と通達してきた。サチには自覚があった。腰痛で歩くのがままならないのだ。「足に強い痺れと麻痺がある」、また「1トンもある岩の下敷きになっているような凄いからだ全体のだるさ。呼吸が苦しい」と夜中にメールが来た。泣いたことも告白した。「自分はどんな傷みにも耐えて立ってオペをする自信がある。けれどオペの途中で意識を失って倒れたときが心配。クランケを放り出すことが……」と訴える。この事態でそこまで心配する医師にかける言葉がない。聞くだけで何にもできない無力感に打ちひしがれた。

 

せめて横浜に帰せ

「これは息子にも伝えてない」というので、もしやを思い母危篤を伝える速達を息子あてに出した。ひとりで背負うには重すぎる事態。血を分けた息子と連携しないと自分がつぶれそうであった。

食欲はなく寮の食事は食べられない。紅茶とスープ、アイスクリームしか喉を通らず痩せてゆく。大腸がんのときは35キロまで体重が落ちた。それに酷似しているという。

メールのやり取りでお互い「死」という言葉を封印したが、死がそこに来ている。ならば異郷に放置せず双方の医局長はサチをせめて横浜に帰せ、と怒りが込み上げた。医師でなくクランケじゃないか、それも重篤の……。12月まで札幌に置いておくつもりか、ひとでなし! 無駄でも何か治療しろよ!  

小生の罵詈雑言が聞こえたかのように渡瀬医局長が動いた。「山田幸子救済プロジェクト」をひそかに立ち上げていて、深夜、酸素が足りなくてのたうつサチに放射線治療を施した。やはり医療は頼りになる。その1回の治療で「嘘のように軽くなっちゃった! 食事もできる!」とメールが来たとき嘘かと思い、逆に呆然とした。

「がんが骨髄に転移していたら一度の放射線照射で治るはずがない」と医局長は判断。骨髄の病理検査をしたところそこにがん細胞は皆無。背骨をめぐる周辺に病原菌が巣くっていての炎症との結論に至った。一度の放射線照射でもろもろの病原菌が雲散霧消したのであった。医局長を拝む気持ちだった。

めでたし、めでたい……こんな奇跡があるのか! ゴーストバスターみたい。笑いがこみ上げひとり笑った。

以後、健康不安のなくなったサチは年下の麗華医師を熱血指導しつつ、難解オペに邁進している。

 

アメリカ仕込みのスキル

山田は慶應大学医学部を卒業するとすぐ渡米。マサチューセッツ州のボストン大学へ入学。入学の難度が高いレベルの高い大学。6年ここに在学して大学院へ進んだ。

驚いたことに、サチは慶應大学在学中の21歳のときに長男を産んでいた。息子のことが気になり一時帰国していた。そのとき、サチはわたると遭遇した。サチ27歳、わたる36歳であった。彼女はインターンだといった。2年ほど海山で遊んだりしたがそれはアメリカでの緊張から解き放たれての束の間の色恋であった、といま思う。

驚いたことに6歳の息子がいた。慶応大学在学中に出産したというではないか。「お前はめちゃくちゃ!」といったら「早く生まなきゃだめ、卵子がどんどん古くなる。出産は21歳と決めていた」という。この考えには生殖に関して筋が通っていて感心してしまった。

サチの両親また夫は言い出したら聞かないサチの性格を知っていて、出産して置き去りにしたといえる子どもの養育を引き受けた。彼女の実家は資産があったと思う。

サチは小生と別れて再び渡米。ボストン大学大学院を卒業してシカゴに渡り、シカゴ大学病院へ就職。勤めて2年で執刀医となりバチスタ手術、心臓移植といった難易度の高い症例を多数こなし、高給を得るまでに成長。ここに5年勤務した。スキルを磨かないと生き残れない実力主義のアメリカ。その厳しい現場で粉骨砕身の努力を積み重ねた。高度のスキルはアメリカの競争社会で培われたのである。この履歴は最近、知ったばかりである。

 

 シカゴ大学病院

 

腕で黙らせてやる

サチは小学生のとき医師になることを決めたという。「生と死を司る職業に就きたい」と思ったとき心臓に思い当たった。それにかかわる医師になるため高校、大学と突き進んだ。

慶應大学卒業後の渡米も早くから決めていたらしい。ボストン大学における勉学のレベルは慶應よりハード。それについて行けず辞める仲間を次々見送ったという。

ボストン大学を終えて帰国せず、シカゴ大学病院へ就職したということは、もし息子がいなかったら当地でメスをふるい続けていた可能性さえある。一人息子はいま44歳。母を尊敬していて夜、緊急の呼び出しがあるとクルマで母を病院へ送る。

サチは帰国してすでにトップレベルの執刀医のスキルがあるにもかかわらずインターンから出発。「日本だから仕方なかった」。男性主体の医療現場にあって、「女だてらに」といった女医への蔑視、揶揄、陰口など有形無形のバッシングを受け続けた。けれどサチの精神力はそんなものは物ともしない。「腕で黙らせてやる」という強い胆力と、患者を一人でも多く救いたいという倫理観で医療の道を邁進してきた。

小学生のときの抱負を貫き、その意思を異国の11年間の競争と自己をのみを頼るアメリカ文化の中で鍛え上げた。筋金入りである。「アメリカで男がいなかったのか」と聞くと「デートしていたら落ちこぼれるし、わたるほどの男はいなかった」と笑った。

サチは自分が人にどう思われようと、言われようといっさい意に介さない。風評などどこ吹く風でおのれの全てをメスにかける。「その点で私とわたるは似た者同志。得難い味方」という。

しかし、サチと自分とは全く別の異界の偉人と思う。サチのメスさばきを目撃したいと思うがそれは夢であろう。遠くから見守る。

 

 

 

 

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結の病気癒える

2025-04-27 05:14:58 | 身辺雑記

きのう、結と優希を妻と協働してみた。子ども2人を妻とみるのは4月5日以来。結が発熱・咳・下痢で半月も家に籠っていた。近頃のテレビが子どもに百日咳が流行っていることを報じた。それかと納得したが母に聞くとそうではないという。それは病院で検査したらしい。ウイルスは検出されなかったそうだ。病気は不可思議である。

東京競馬場遊園地へ行くのは結にはまだしんどいと妻がいい、では、国分寺市プレイステーションとなった。あそこは室内に玩具がたくさんある。

 

おれは塗ってるぜー

室内玩具遊びで1時間ほど費やす。兄弟一緒だとそれだけで間が持つ。一人だけよりぐっと時間が濃くなる。

外は子どもたちがいっぱい。それぞれ勝手なことをしている。結はしゃぼん玉をやった後、絵筆を使って塗ることに目が輝く。画用紙でなく木の枠を塗る。本来の塗り場ではないが子どもは本来を逸脱する。結の絵具塗りをみていて俳句をつくるのもこんなものかと思う。そうそう他人にとって意味のない営為に没頭して悦に入る。

 

 

 

おれは走ってるぜー

一方、優希はとにかく走り回る。紐のついた箱車が大好きで無軌道に走り回る。地面はそこらじゅう穴だらけ。優希はとにかく、めちゃくちゃ。妻は笑いながらただ見ている。その運動量は半端ではない。病み上がりの兄の3倍は動く。アスリートがトラックを30周するのには意味が感じられるが、優希のそれはカオスだ。

やむにやまれぬ内奥の衝動が彼をむやみに走らせている。

 

 

てんとう虫を見つけたらしい。このとき二人の興味が一致した。とりあえず平和なひとときであった。

 

 

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多摩川で藪漕ぎする

2025-04-26 06:08:04 | 身辺雑記

地図を見ると立川市民の憩いの場。胡桃を拾う人も多いと思く、争奪戦が予想される。

 

 

 残堀川。むこうが多摩モノレール。

 

きのう、今週の月曜日探索した多摩川(立川市柴崎町界隈)をまた歩いた。あのとき外観した森や藪に立ち入って見ようとした。「藪漕ぎ」である。

藪漕ぎは登山用語かと思っていたら広辞苑も採用していて「登山で、道のない藪の密生地を進むこと」とある。まさにそれである。

 

 一見簡単に進めそうな柔らかな草地だが…

 

腹まで茂る草に向かい足を引き上げて前に出すがその足が土を踏めない。枯れ枝などを踏むと足が宙を泳ぎ体が傾ぐ。体は風雨の中の帆柱のように前後左右に揺さぶられる。自然の柔軟体操みたい。尻もちをつく。何十年ぶりかの失態。脛を何かで打った。

藪漕ぎの疲労は尋常ではない。急坂を上るのははるかに快適、地に足が着くことはすばらしいのである。

跨ぐ倒木もぐる倒木さへづれり

 

この句は湘子に師事してすぐ作った句。「これはいいぞ!」と言われた。同時に「万緑や敷くに包むに新聞紙」も「おもしろい」との評。これは後で知った「対句・並列」でありこの技法は俺の得意技かと気づいたものだ。以来、自分の見たこと経験したことを言葉にするだけでやってきた。倒木の上に野茨が見えてもぐるしかない。もぐると胸が地を擦る。藪漕ぎで進む100mはべらぼうに遠い。1キロ歩くほうが楽だし快適。

 

野茨に立ち往生や天仰ぐ

野茨は動物を寄せ付けないために無数の棘で身を鎧うのか。この棘のあるところ不思議と胡桃もある。胡桃の木の砦のようにしばしば思う。

 

川跳んで草に縋りぬうららけし

幅が2mある川は助走して跳ぶ。むこう岸の草が頼りである。

 

踏青やホップステップ穴に落ち

年を取るとホップステップまではできるが三つ目はしんどい。飛んだり跳ねたりはしないほうが身のためである。けれど春の野外は歩きまわるだけで楽しい。

 

 

 胡桃の花の跡、下部がふくれて実になる

 

 

 誰か作ったかのような造形。庵である。

 

羽目を外し歩け歩けと百千鳥

句会などで人の句を見る機会が多いが行儀のいい句が多すぎる。常識をあらためて句で言ったり、親子や孫の人情ものや、これみよがしで美しいでしょう、といった句を見ると俳句なんかやめて野外へ出て歩け、という気分になる。湘子が「大遊びせん七十の初御空」と書いた理由がよくわかる。人は何かに囚われていて遊べないのだ。恋をしよう。それで女が孕むことはもうないのだ。

 

春の日の鳥のおしやべりきりもなし

藪の中を歩いて難渋した結果、この地域の藪に入ってもそう胡桃はゲットできないことがわかった。これを徒労という。足を上げおろしてふらつき転んで立つ。そんなことを繰りかえしている間、頭上で鳥たちがずっと鳴いていてくれた。鳥声を聞き、かくもいろいろな色が声にあることを実感した。鳥がいて藪漕ぎは無駄ではないのである。

えらく腹が減って立川着くとすでに12時30分。そこで酢豚定食を食べ生き返った。

 

 

 

 作業員に聞くとメーデーのための設営とか。

 

 

 

春、このような胡桃の殻に出会うのはめったになくこの異様に立ち止まった。胡桃が3年ほど拾われず堆積したとき殻が多量に残るが、ふつう胡桃の木の下に殻は残らない。すごく性急な人は青胡桃をその場で皮を剝き殻を割って食い殻を残すが、多くの人は胡桃を持ち帰り自分のテリトリーで腐らせる。よって、この場に立ってこの事態を長いこと考えたが、結論は出ない。

9月の終りにここへ来てみて、なにかわかるかもしれない。それほど、不可思議な見物であった。疑問は未来への楽しみである。

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羽村のさざれ石

2025-04-23 07:50:11 | 身辺雑記

 

きのうのKBJ句会は16:45に終わった。

司会者の座持ちがよく、次々意見を引き出し戦わせ、いつも以上に盛り上がった。

Мさんから「ビンビン響きました。家へ帰ってまとめます」といった興奮したメールが届いた。後輩先輩、座長なしの全員同列、歯に衣着せぬ意見交換、議論百出が当句会のモットーである。自由からしか文化は生まれない。小生も言いたい放題言ってくたびれた。帰りに有志から小さな包み紙をいただいた。

開くと菓子が二つ。それは、

「羽村のさざれ石」と銘打った和菓子であった。会場の鍵を靴修理店へ返す道すがらエネルギーを補給すべくそれを一つ食べた。甘くて濃厚。美味い! 

子規に「三千の俳句を閲し柿二つ」という句があるが彼の事情はよく理解できる。

かの有志はよくもまあ珍しい逸品を持って来てくれることか。ありがたい。物により世間が広がる。

 

 「羽村のさざれ石」

 

               大國魂神社のさざれ石

 

ここからは「羽村のさざれ石」メーカーの宣伝であるが、

多摩川の清流の石をあらわし大納言の餡に独特の風味のそぼろで仕上げたお菓子です。

クルミ、レーズンをまぶし、中にぎゅうひを入れて焼き上げたものになっています。

「さざれ石」は、洋菓子のような、中華の月餅のような趣きもありながら、決してくどくない、奥深い甘さがある日本のお菓子です。

問合せ

(有)山田屋
堰店(羽村市羽東3-20-15)
電話 042-554-2161
営業時間 午前9時から午後6時
定休日 水曜日

駅前店(羽村市羽東1-15-2)

 

羽村は、玉川上水へ取水口のあるところ。川の風情が府中の是政橋あたりとも、立川の鉄橋あたりもと異なる。吟行にでも行ってみようかという気になった。

 

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