
きのう踏み台を積んで自転車を多摩川へ駆った。桑の実摘み初日である。結と土曜に行こうと思っていたら妻が「雨の予報だし結は咳が出るからやめて欲しい」という。女はどうしても安全を最優先して冒険しない。おもしろくないが、まあ、一人の方が採取に集中できることは確か。
誰でも知っている大樹Aへ行くが誰もいない。この木は河岸の道から丸見え。近くに暗渠からの排出口がある。夏草が胸のあたりまで繁茂している向こうに桑大樹Aがある。
夏草を搔き分けてゆく泳ぐがに
夏草に置きし踏み台ふはふはと
金属製の高さ60センチの踏み台が重みを失ったように落ち着かない。おまけに土も凸凹。野外は庭園のように平たくない。踏み台の上で体をひねったり枝を引っ張ったり。
桑の実を摘む踏み台に爪立ちて
大樹A
時候の挨拶をすべくヨミトモF子に桑の実の写真を送った。すると彼女から「養蚕の遺産の世話になっていますね」と素早い返信が来た。ああ、彼女は誤解している。地方の人は小生を含め、桑は低木だと思い込んでいる。
小生は18歳のとき伊那から東京へ来た。ビルや人、車両が多い都会の混雑ぶりに驚いたがそれにも増して、直径が30㎝、樹高が7mもある桑の木が散在することに仰天したものである。養蚕に精を出していた父母は葉が取りやすいように桑の木を2m以上にならぬように管理した。よって桑の木は自生しないと思っていた。多摩川へ来て桑の木は好きなだけ太りかつ伸びることをはじめて知った。人が植えるのではなく鳥によって種が運ばれ実生で増えることを実感した。伊那の栽培された桑の木と多摩川のそれが同じ種類かどうか知らぬが桑の実はほぼ同じ。郷愁を覚える。ヨミトモF子にそれを教えると彼女もびっくりしていた。
柵をよじ登るのは河川巡回員
桑苺胸汚すほどなだれたる
ヨミトモF子は多摩川の桑の木が楠ほどの大きさであることがわかったであろうか。木の下に入ると中はひろびろしていて大樹Aの木陰の直径は10mある。枝は幾筋も垂れ下がる。そのさまは枝垂れ桜のようである。一本の枝に桑の実が鈴なりになっている。密集しているのでひと粒ずつ取らず、しごくこともする。
木下闇の直径およそ15mの巨木B
大樹Aから巨木Bに移って摘む。大樹Aは野天だが巨木Bは森の中。胡桃や柿やほかの木とともに森を作っている。鬱葱としている。
赤く黒く桑の実光る木暗がり
枝の裏表から桑の実を摘む。裏側の方がたくさんある。雌伏している感じである。踏み台に立って枝と枝の間に顔を出したりする。剪定作業にも似る。
人の手の気配に零れ桑苺
零れゆく桑の実無数桑の実摘む
木によって桑の実の風情はかなり異なる。最初の大樹を長いこと諦めていた。年を取って実に水分が少なく硬いと思っていたが誤解であった。来る時が遅かったのである。5月16日だとここの桑の実はみずみずしい。けれど、熟していない薄赤がぼろぼろ落ちるのはやるせない。やはり木が老齢化して堪えられないのか。豊かさと虚しさを同時に感じるとき。
木に満ちて地にも散らかり桑苺
2本の大樹で3リットルの桑の実を摘んだ。1時間半、踏み台に立って摘むことのみ考えた時間。首と脚の凝りと張りを感じつつ摘むことに集中。句作に集中するとき頭はフル回転させる。それとはまったく異なる時間。ほかのことは考えずに取ることのみに集中する時間は格別。雑事が霧消する。取り終えて地を踏むとかなり消耗していることに気づく。

ブログファンにも写メールで挨拶する。乗りがいいのでチアガールAとしておこう。すぐさま返信がきた。「また多摩川ですか。いつまでも少年ですね。すばらしいです!」。馬鹿なことばかりするという意味か。茶化されている気はしない。74歳になってどうでもいい桑の実に狂奔するなど酔狂であることは間違いない。いま、いちばん、おもしろいことである。Aに触発され少年の気分になった。
少女仰ぐ桑の実を摘む少年を
むかし少年はガールフレンドが欲しかった。チアガールAのような。「少年の見遣るは少女鳥雲に 草田男」は絶品。この句が小生の前に立ちはだかる。
桑苺少年少女恥ぢらへり
桑の実に汚れし唇を笑ひ合ふ
清らかな妄想が浮かんで楽しい。
乾いてはならぬ女も桑の実も
女が乾く。老化することであるが、桑の実採りを何年もして感じたことは卵子の老化である。桑の実は熟すのはこれから5月いっぱいまで。6月になると木に付いていても熟すことなくぼろぼろ地に落ちてしまう。
江戸時代、女の結婚適齢期は18歳であった。16歳の嫁入りもあった。子どもは20歳前後で生んだ。これは卵子から見て生殖の本質にかなっていた。卵子が若くいきいきしていて元気な子が生まれる。ところが現代は女が男同様に社会へ進出して競うようになった。現代の女は高齢化出産という問題に直面している。出産と社会における活躍の両方をこなすのは過酷である。人間の文化に生殖という自然が立ちはだかる。
これから卵子の冷凍保存が本格化するのではないか。そうしないと女の人生は過酷すぎるように思う。
桑の実に夕日少年老い易く
少年老いたり桑の実に唇汚し
俳句も自分の箍を外してやるのがいいだろう。考えるより感じることだろう。草を見て感じ、風の中を歩くのがいい。
クサフジ
旅人に茅花流しと太虚あり
多摩川の茅花が美しい季節になる。これが風になびくさまは無常である。
踏青や景色を隠す大男
おいおい君はどこから来たのか。俺の前を歩くなよ。景色が楽しめなくなる。先日、祭警備の警察官の肥満を句にしたが世の中に肥満がはびこっている。太ろうと痩せようと知ったことではないが、せめて俺の前を歩かないで欲しい。
彼は小生の快適な一日に闖入してきた、ああ。
