諏訪湖の花火
山田幸子の骨髄性白血病は末期。7月3日、左膝に激痛が生じふつうの薬は効かず「神経ブロック」を施してもらいやっと痛みを一時和らげた。赤血球の生産量が減るので細胞への酸素配給量が減る。血液中の酸素量の割合のことを「サチュレーション」といいその数正常値は95~99とされるが山田のそれは一時80まで落ち込んだ。食事はスープをかろうじて飲んでいるていど。
第1助手の江藤医師が駆けつけてきて「師匠、大丈夫ですか! 今夜、緊急オペが入ったら俺が執刀しますから休んでいて下さい」と訴えた。「バカ、おまえにまだ執刀医は無理だ。10年早い!」と山田が返すと「ドクターストップがかかっているんですよ!」と江藤医師。「ドクターストップなんて関係ない。何があってもクランケを助ける」と山田は言うのであった。
「私は大丈夫」と突っ張るが発熱もしていた。山田は横浜にいる息子と電話して「ママは絶対大丈夫! 闘おうぜ」と励まされた。息子は羨ましいくらい冷静なのだ。メールでそんなやり取りをするうち日が変わって4日。3:30にメールが来た。山田は3時には起きている。11時就寝3時起床である。「オペが入ったからジャンヌ・ダルク出陣します!」と。
ほっとした。良かった! 山田自身の病状を救うのは薬よりオペなのだ。御飯を食べるより、音楽を聴くより、息子と話すより、メスを手にしたとき心底から湧き上がる胆力、これが彼女を元気にするのである。「私がこのクランケを救う」という精神力と倫理感の強さが自身の病気も圧倒する。オペと聞くと別人のように奮い立ちジャンヌ・ダルクに変身したと思い込む。それがサチの唯一の少女っぽいロマンチシズム……結果、難易度の高い「大動脈瘤解離スタンフォードA型」を16時間要して終了した。疲れているだろうと思ったが5日19:10、電話して労を労った。
ほかに聞きたいこともあった。信頼している腹心の江藤医師に「執刀は10年早いといったのは言葉の綾でもっと早く彼は執刀できるんでしょ?」 どのタイミングで第一助手から執刀医に昇格するのか。
山田が執刀医になったのはシカゴ大学病院に勤務して3年目。「それは上の医師や指導医が見ていてゴーサインを出す」と。落語の真打ちみたいなものと思った。シカゴで執刀医としてメスをふるう3年間で心臓移植、バチスタ、冠動脈バイパス等難易度の高い症例をマスターして帰国。しかし日本ではインターンからスタート。「インターンってオペ見学要員よ」と山田は笑う。本塁打50本打つ王貞治がテレビで巨人戦を見ているようなもの。ベンチ入りさえしていないとは、ああ、もったいない。
「クロちゃん(黒田医局長)はさすがにわかってくれて半年で執刀医にしてくれたけどそれでも遅いよ」と。医局長は悩んだだろう。アメリカ仕込みの弟子は優秀だ。すぐうちのエースになる逸材だ。しかしここは日本。長幼の順序やら穏健主義やらあって、山田を抜擢すればえこ贔屓と言われかねない。そんなとき、さる大学病院の心臓血管外科から誘いが来た。その病院の大物がシカゴ大学病院における山田の実績を知って興味と好意を持ち招いたのである。
進取の気性に富んだ黒田医局長は諸手を上げてこの要請に応えて山田を送り出した。管理者として無鉄砲な山田をコントロールしつつさらに実力の涵養を他病院で行おうとした。
ここで山田は1年働いてさらに技量を磨いて横浜へ帰った。引き留められた山田だがそこで習得した技術を自分の病院で広める開拓の道を選んだ。山田自身は自立し、他の医師たちを育てる意欲旺盛なのだ。こうして「チーム・ジャンヌ・ダルク」は不世出の執刀医山田をリーダーにして横浜で発足した。
執刀医は10年早いと言った江藤医師とは彼が第3助手のときから言一緒にやってきて今、第1助手。彼の力は着実にステップアップしている。
「10年早いは言葉の綾でしょう」と聞くと「優秀で熱心だから1、2年で執刀医になれるかも」と山田は笑う。「それは私が決める。彼を執刀医にして私が札幌を去る」という。
そんなことをメールでやりとりしていた6日21:00、またサチは緊急オペに呼ばれた。前回のオペが終了して2時間しかたっていない。大丈夫かなあと思ったが颯爽と寮を後にした。
それから15時間後の7日の正午近く、メールが来た。「感染症心内膜炎合併大動脈弁狭窄症」のオペを12時間かけて終えたと。「いろんな治療法があるが今回はロス手術を行った。説明は面倒だから自分で調べて」と言われてネットを見た。ロス手術は大動脈弁の疾患において、病的な大動脈弁を患者自身の肺動脈弁で置き換える手術である。肺動脈弁摘出部位には死体ドナー由来の同種弁などの人工弁を植え込む。ちょっと聞いただけでも難解な手技が必要。12時間かかるはずである。
しかし、難解な症例ほど山田の闘争心は燃える。自分の病状はどうなっているのか。「痛いよ。けれど新しい薬は合うみたい。食欲もあるし熱も下がった。サチュレーションは95まで回復した。酸素吸入の必要なし!」
山田を治すのはオペであると痛感する。毎日、急患のむつかしい患者さんが来てほしい。人の病気を望んでいるわけではないが世の中は病人が目白押し。人の世の病気と格闘することで山田も自分の病気を克服していって欲しい。腹心の江藤医師が真打ち(執刀医)になる。そのとき山田は横浜に帰ることができる。待っている。