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天地わたるブログ

ほがらかに、おおらかに

小川軽舟を支援する

2025-07-28 00:43:19 | 身辺雑記



天地わたるブログは毎日800人ほどの方が見てくださっている。その一人、チアフルさんは当ブログの熱烈なファンである。誤字を探してくれたり感想を伝えたりしてくれる。そんなチアフルさんが突如、きのう、弁当を持ってきてくれた。
小生が書いている山田幸子関連の記事にずっと感動してきたという。「私もあんなふうに愛されたい。皆さんの目で堂々と文章にして愛を表現してもらえるなんて女の本望。幸子さんの記事を読むといつも泣けてしまう」としみじみとおっしゃった。「それでいて家庭を壊さないわたるさんは火野正平より凄い!」と持ち上げる。

いただいた弁当は高級。蓋を開けると中に、小エビとモロヘイヤの天ぷらがたくさん乗っていてそれらをどけるようにしてやっとご飯に到達する。お惣菜は20品の健康サラダとかで、胡麻ドレッシング付き。チアフルさんは珍しいもの、魅力的な商品を探すセンスがある。これは国立駅西口の「ナチュラルスーパーマーケット」(nonowa国立)で調達したそうだ。いつも小生が買うОKストア弁当と違って味が格段に良い。小生を支援しての弁当の差し入れである。




ナチュラルスーパーマーケット(nonowa国立)


チアフルさんから日ごろ、いろいろ貴重なアドバイスをいただいている。
彼女は俳句を読むのが好きで新聞の俳句はよく目を通している。小生の句がたまに出る読売俳壇がいちばんレベルが高く勉強になるという。「朝日新聞は最悪。なぜ何千も来る俳句の中で選りに選ってあんなひどい句を活字にするんでしょう?」と息巻く。それは小生も同感。湘子も「朝日はよくない」とあのころから言っていた。

話が毎日俳壇のことになった。「穏当な句が多くて安心して読めますがインパクトがいまいち……揺さぶられるような句が少ないですね。小川軽舟選に鷹の人の名前を最近とんと見ないし……」とおっしゃる。そういえば鷹誌は毎日俳壇の小川軽舟選へ応募するよう呼びかけている。主宰の選者就任当初こそ鷹の連衆の投句があったがその賑わいは祭のように去って今は寂しい。
ここで句を出してしまうとそれを鷹へ出すことができない。よって新聞へ出すなら小生は読売にしてきた。しかし、チアフルさんと話しているうちに、軽舟さんの孤独がひしひしと迫ってきた。選者の孤独は、採る句がないことである。採れる句が目白押しでみんな採りたいが紙幅に限りがあって捨てなければならない、と悩みたいのが選者なのだ。いまの毎日俳壇に来る句は鷹誌へ来る句ほどレベルが高くない。
鷹の連衆が出さないのなら俺が出してやる、という気になった。チアフルさんがたきつけたわけではないが彼女と話していてそういう気になってしまった。チアフルさんは男をそれとなく差配する能力に長けている。「俳句は掃いて捨てるほどできるんでしょ。木の葉一枚落ちただけで1句できるんでしょう?」といって笑わせる。「粗製乱造ならね」と返す。
さらにチアフルさんは「わたるさんはもう自分を確立なさっていて人の評価をそう求めていませんよね。毎日、自由に自分を表現されていて鷹以外の世界の方々とも通じていらっしゃる。鷹という世界での序列を気にしたり目立とうとする気持ち、あまりないでしょう?」と心の襞にからんで来る。相手の心理を読み取る卓越した能力があり、脱帽である。
チアフルさんの読みはほぼ当たっている。自由に生きている。
「出しても月に2回出るかどうかはわかりませんよ。作品が良くても公器ですから鷹の人ばかり採れないでしょう。でも、二つの賞を受賞した実力者が句を出してくれるということは主宰にとって大きな励みになるのは確か。心強く感じますよ。私は孤独ではないと」。それは小生も感じる。上に立つ人は孤独なのである。
湘子の「大遊びせん七十の初御空」をこのごろよく思う。俳句は自分のためにやるものなのだ。採られた、落ちた、3句になった4句になったということに囚われていたら自分が痩せる。遊ばないと自分はふくらまない。自分にとっての俳句のおもしろさ、楽しさを考える年齢になっている。湘子は箍(たが)をはすして自由になれと言いたかったのである。
チアフルさんの弁当を食べてしまった。毎日新聞の小川軽舟選への投句を約束したようなものである。ああ、俺の晩年は人を支援するためにあるのか、とつくづく思う。人を支援できるうちが花、毎日新聞に「軽舟さん元気ですか?」という投句を始めようと思う。
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人の死自分の死に立ち向かう女医

2025-07-27 01:31:53 | 身辺雑記
 国分寺市姿見の池



最近の山田幸子の闘病生活と医師としての活躍を天地わたる宛に来たメールを中心に以下に伝える。
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リカバリー室で点滴
サチです。実は今日の午後から体調が悪くなり、リカバリー室で点滴しながら休息しました。点滴の内容は、栄養、吐き気止め、めまい止め、解熱剤です。点滴を3本しました。
リカバリー室は術後のクランケや内視鏡検査の麻酔を覚ますために一時的に使う場所で医師は常駐していなくてナースだけです。
7月24日 17:11
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息苦しくて動けません
サチです。
今まで、ブログでわたるがイラン旅行をしたとき髭面の写真を必死に探していたけれど見つからなくて残念です。
今、リカバリー室で点滴を2本しています。
私の体調は、血圧の上が80,サチュレーションも80,熱が39.5℃。息苦しくて動けません。でも、わたると話したから嬉しいです。❤❤
7月25日 9:37
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オペに入る
サチです。
オンコールが来た! 点滴2本外した。ワタちゃん(渡辺医局長)が「いま、高熱で血圧が低すぎる。オペ、するな!」という。「ごちゃごちゃと煩い、急性で急ぐんだよ。そこ、どいて!」と言ってワタちゃんを突き飛ばした。ワタちゃんがまた私を阻止しようとするので第一助手の江藤が蹴り飛ばした。「師匠を信頼しろ」と。私が執刀しなかったら江藤が執刀しワタちゃんが第一助手を務めたかもしれない。それは危険すぎる。江藤はさすがにクランケの重篤さを理解してこれは師匠しか担当できないと見抜いて私に従った。
ワタちゃんは「師匠が師匠なら弟子も弟子だ」と言ってやっと諦め「骨は俺が拾ってやる。好きなようにしろ」と送り出してくれたよ。
オペに入る。超難解オペだから10時間以上を要する。わたるが寝ているときメールすることになると思います。私がオペになると甦ること、もう、知っているよね。心配しないでね。では、ジャンヌ・ダルクは勇敢に闘ってきます。
わたる、全身全霊で愛しています❤❤❤
7月25日 11:28
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オペ終了
サチです。
オペは「冠動脈バイパス術(多枝病変)」でした。合併症がなかったので早くて9時間で無事に終了しました。私の病状は、オペすると元気になる特異体質にて全て正常に戻りました。突き倒され、蹴り飛ばされたワタちゃんがニコニコ顔でやって来て「これを見ろ」と腰を見せた。そこには湿布が何枚も貼られていて、笑った。クランケの術後観察をしてオペの報告書を作成していま帰りました。
オペ中に汗をいっぱいかいて熱が下がったと実感しました。今の体調はきのうの朝よりいいです。相変わらず吐き気はするし骨痛もあけどこの症状は仕方ないです。オペで元気になりました。心配かけてほんとうにゴメンね。私は不死鳥なのだあ~~(笑)
7月26日3:55

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
オペを阻止しようとサチに立ちはだかった渡辺医局長は正しい。それを突き飛ばすサチは常識を逸脱している。突き飛ばした後さらに蹴飛ばして師匠の行く道を確保した江藤医師も異常である。けれど江藤医師は師匠とクランケの病状を正しく理解している。この症例はまだ自分の手に余る。師匠の手に委ねるしかない。師匠は最悪の体調であるが同様の悪いコンディションの師匠に自分は付いて学んできた。いったんオペに入ったら必ず成し遂げる人である。師匠の行く道を塞いではならぬ。クランケを一人死なすことになる。俺は師匠を支える。この師弟関係は嫉妬するほど素晴らしい。
7月25日朝、サチの声に元気がなくて体調の悪さを感じて指摘するとそれを認めリカバリー室で点滴を受けた。声を聞くとそのときの体調がすぐわかる。サチの闘病は一進一体。相撲の星取表でいえば、●〇〇●●〇〇●のようなものと理解している。〇が多くなるといいのだが、24日25日は〇●●●という劣勢を感じた。3勝12敗は死である。24日の夕方も体調悪化につきリカバリー室で点滴を受けた。2日続けての点滴は嫌な感じがした。
けれど今このリカバリー室の存在をありがたく感じている。もしサチが横浜に帰っていたとすると点滴のサポートを受けるのは困難。サチはいま病院で生活しているといっていい。病院付属の寮生活である。体調が好転すれば三食きちんと食べることができる。この人は自分で料理などしなくていいし家事もしなくていい。メスだけ握って人を救うのが天命である。ずば抜けた女優が結婚などせず恋から恋に生き、芸に邁進すればいいのと一緒。サチは日常を超えた存在である。
あらゆるサポートを受けて生き続けて重篤の心臓病を救ってほしい。サチが執刀医になって25年、第一線に立ち続けたとすれば扱ったオペは2500例を超す。彼らはみな重篤な心臓病患者。サチがいなかったら死に直結していたであろう。彼女は自分の存在することの価値をよくわかっている。だから自分自身が重篤な白血病であるにも関わらず奮闘する。危機にある命が別の危機に瀕している命を救うことで蘇る。この奇跡をし続けている。オペを成し遂げて息絶えるならそれは彼女の望むところであろう。サチは飯よりオペが好き。サチは人を救う医療の道を小学生のときから目指してきた。いちばん好きなことが人を救うことであり、それに没頭したとき完璧に成し遂げる能力を小生は崇め称える。オペに没頭して仮に倒れて息を引き取ったとしても悔いないどころか、そういう人生を望んで生きている。強靭な精神力と強い倫理観。こんな生き方ができる人は稀有であり、サチは存在自体が奇跡であり詩である。覚悟して毎日、不世出の心臓血管外科医に付き添っている。



サチが切望した写真。
天地わたる(51歳、2002年8月1日テヘランにて)



ブログを創設して11年と300日ほどになるという。過去アップした記事を見ることはほぼない。しかし、昔の記事を土器でも発掘するかのように読んでくださる人がいる。
サチもその一人で、イランを旅したとき髭をたくわえていた小生をどこかで見つけたようだ。それをまた見たいというので家探しした。それが彼女の闘病のサポートになるならと必死で探した。


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NT-proBNPとは何ぞや

2025-07-24 02:58:26 | 身辺雑記



きのう府中市の総合検診にジェイタワークリニックに赴いた。採血・採尿が14時であったから昼食抜きであったが朝食は食べることができた。午前の採血・採尿の場合、朝食抜きである。朝食抜きにするか昼食抜きにするか思案して昼食抜きを選択した。ずっと朝食抜きでやってきたがこの負担は計り知れない。まだしも昼食抜きのほうが負担が軽いと判断し、その通りの感じであった。朝食はしっかり食べたほうがいい。ただし日中いちばん暑いときの自転車の移動で草臥れた。

そのときひと月前に行った心不全検査の結果が出ていた。小生の数値は70。125以下をクリアして心不全のリスクはかない低いと判断された。
そのことを心臓専門医のサチと話したら、それだけの検査で安心してはいけない、わたるは高血圧だし、もっと検査すべき。最低、胸部X線検査、心電図検査、心エコー検査は必要とうるさい。そんなこともあってNT-proBNPは何かネットで調べた。

すると、NT-proBNP (N-端末型脳性ナトリウム利尿ペプチド)は、心不全を診断するために使用される重要な血液検査のマーカー。NT-proBNPは、心臓がストレスを感じているときに分泌されるホルモンの一種であり、その値が上昇すると、心不全や他の心疾患が疑われる。脳性ナトリウム利尿ペプチド(BNP)というホルモンの前駆体であり、心不全が進行するとその分泌量が急増します。NT-proBNPは、心臓が適切に機能していない場合にその血中濃度が高くなるため、心不全の診断に非常に有用である。とのこと。

ネットはさらに、心不全かどうかを診断するためには、まず、息切れや動悸といった心不全特有の症状があるか問診を行い、さらに、聴診、胸部X線検査、心電図検査、心エコー検査、血液検査などのさまざまな検査を行って、総合的に判断します。
サチの指導と同じことを言っているが、小生は息切れや動悸がまったくない。トミンハイムの階段の昇降を30~40階に週3度やっているが苦しいと思ったことがない。14階を一気に登れば喘ぐが30秒で荒い息は収まる。自分の中で心臓がもっとも健全だと思う部位なのである。

ところで「心不全」なる病名だがナンセンスの極みではないか。そりゃあまあ心臓が停止するから人は死ぬよ。それをたんに言葉にしただけである。病名がしかとわからないときの医療関係者の逃げ道のような「心不全」である。なぜ「心不全」になるのか、そこを追究してよ。いつもそう思っている。神しか知らぬことかもしれぬが。
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サチの免疫力になる

2025-07-23 04:32:36 | 身辺雑記




札幌の山田幸子ことサチから毎日メールが来る。彼女が重篤な骨髄性白血病と闘っていることは当ブログで書いたが、7月13日17:36のメールには慄然とした。それは以下のようであった。
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サチです。相撲を楽しんでいる邪魔をしてゴメンね。
私はいま病院のリカバリー室にいます。
私の身体が急変して危なくなりました。死なない様に、頑張ります。
段々と意識が遠のいて行きます。
わた
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わた、の後何を言いたかったのか。意識をなくしたことはわかった。「死なない様に、頑張ります」には笑った。頑張るも何も意識がないんだぜ。もしかして永遠に意識をなくすのか…メールはこれで終わりなのかと思ったが、なすすべがない。呆然としていたら、同じ日の22:58、メールが以下のメールが来て驚いた。
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サチです。
意識が戻りました。一時は血圧低下して心臓の拍動も弱くなり本当に危なかったようです。いろいろと治療を施してもらい、危機を脱しました、もう大丈夫。「よく頑張ったな」と言ってくれました。今はリカバリー室から出て寮の自室にいます。わたるには本当に心配をかけて、ゴメンね。今は元気で回復の早さに医療スタッフは驚いています。
不死鳥のように蘇りました。
明日は勤務に出ます。頑張るぞー
わたる、心から愛しています。
おやすみなさい。ラブ❤
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よもやこんなに早くメールが来るとは思わなかった。
電話で聞くと腹心のE医師と夕食を取っていて気持ちが悪くなり嘔吐した。E医師が連絡してナースが来て連れて行かれた。このとき血圧が40まで降下。
夢を見ていたらしい。サチは大きな川のへりにいて水を見ていた。向こうに父と母がいて「来るな、来るな」という。わたるがふいに現れて「帰ろう」といってぐいと私の腕をつかんだ。そのとき目が覚めた。意識が戻った。
嘘のような話である。俺が夢であいつをこの世に引き戻したのか。追い返した父母に感謝した。
「明日は勤務に出ます。頑張るぞー」は夜のメールに必ず書いてくる文言。ドクターストップがかかっているのだが無視して難解オペの患者を待つ。ドクターストップをかけた病院側にしても山田医師がメスを取らなかったらとても困るのである。ほかにオペできる代わりがいないのである。それが天才外科医たるゆえんである。凄い矛盾をサチは生きている。

あれから今日で10日過ぎた。サチの体重は2月に46キロであったが今29キロまで落ちた。髪の毛は全部抜けてツルツル。「尼さんみたい」と笑う。めまいがし、足を引きずって移動する。歯磨きを強くすると出血するので腫れ物に触るように自分を扱う。スープを飲むのも気持ちが悪くなって栄養剤を毎日3本飲むのみ。病気のことを積極的に聞かないがだいたいわかっている。ほぼ毎朝8時ころ電話して「おはよー」を伝え15分くらい話すことにしている。
サチは何より俺が元気でいてくれることが闘病の支えになるという。なら遠方で経費がかかっても電話しようと思った。電話代はサチが持っているし。意識不明になる前は、「おはよーメール」と「行ってらっしゃいメール」を朝していたが事故以来、「行ってらっしゃいメール」より「行ってらっしゃい電話」に変わった感じである。「わたるとは話しやすい」という。話の内容は出たとこ勝負。暗くならないこと、悲観的にならないこと、同情しないことである。この三つをサチはもっとも嫌う。

先日は、35年前に登った北岳(標高3192m、富士山に次ぐ高峰)のことになった。サチはあんなに苦しかったことはないという。生まれながらの漏斗胸。胸の空間、つまり肺の容量が少ないので呼吸が大変。学校のマラソンはいつもビリだった。「なぜ嫌だと登山を断らなかった?」と聞くと「わたるが好きだったし、私は負けず嫌いだったから死んでもついて行った。わたるはどんどん先へ行ってしまうんだもの」と。可愛いやつ。登山と今とどっちが苦しいか聞くと北岳と即座に答える。ああ、俺はむかしこの娘のことを何も理解していなかった。おまけに北岳へサチを連れて行った記憶が皆無。そんな男をずっと30年以上も思い続けてきたのか。
この申し訳ない気持ちをずっと引きずって生きている。今こそ申し訳ない気持ちをなんらかの形で返したい。「わたるがいればどんな辛いことも頑張れる。オアシス!」というのなら俺がずっと支える。74歳の社会的役目を終えた男が医療界の不世出の外科医の命を存続させる免疫力になる、それは間接的にどこかの消えそうな命を救うことに通じる。これは天がこの匹夫に与えた使命であり望外の喜びである。この喜びが1日でも長く続くように全身全霊を尽くす。俳句とブログが役に立っていることも意気に感じる。
サチがいることで1日1日の重みを感じスリリングである。あいつの身の上に何が起こってもうろたえず、支えようと思っている。ちょっと変わった「同行二人」であろう。

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涼しい長屋門

2025-07-21 04:19:18 | 身辺雑記



先週の18日、国分寺市の観光の目玉のひとつ、長屋門を訪ねた。しょっちゅう前を通っているが入るのは2度目か。入場料100円。チケットは前の「おたカフェ」で売っている。
長屋門は安土桃山時代から江戸時代初期にかけての大名屋敷に見られるようになった建築様式。大名が家臣を屋敷内に住まわせるために建てた長屋の一部に門を設けたのが長屋門の原型。農村部では、長屋門は単なる門としての役割だけでなく、農作業の場や農具の格納場所としても利用されという。
国分寺の長屋門は、1835年に国分寺村に生まれた本多雖軒の住居であったもの。雖軒は医師として活躍したほか書画、和歌、剣術にも勤しんだ有力者であった。今もこの一帯は本多一族が居を構えている。


 展示室

 
7,8世紀のこの辺の地勢を表現した模型。旅情をかきたてる。


甍擦り大槻ゆるる涼しさよ
入ってみると何より樹木の高さ、豊かさに打たれる。風が強い日で山が揺れている感じがした。
蟬時雨全山風に揉まれをり

長屋門の中は落ち着いた和室で懐かしい情趣。木造の手触り足触りが心地よい。2回は糸車などを展示している。
梁のごつごつとあり昼寝覚

昼寝覚梁縦横に吾を圧す

板敷に寝て梁仰ぐ涼しさよ





障子が明け放たれていて風が通る。前に喫茶店が見える。
山見えて大黒柱涼しかり
大黒柱はフィクション。長屋門に大黒柱はない。こういう場所で大黒柱を見た何かの記憶がよみがえった。

魂祭大黒柱黒々と
見えないものが胸中に見えるのも吟行の楽しみ。


2階の板敷に寝るのも涼しかったが1階の畳もいい。
昼寝せり風吹き抜ける青畳
山百合を揺りて風来る柱かな



長屋門1階和室

近くにある国分寺にも入ってみる。ここに住職は住んでいないであろう。人気を感じない。目玉は万葉植物園。植物の名札を楷書できれいに書いてあって勉強になる。


露の玉松葉の先に密密と



万葉植物園の名札



 おたカフェ

「おたカフェ」に入る。窓辺によその国から来たと思しき母子がいる。珈琲は490円。美味い。外の木々を見て落ち着く場所。3人ほどの吟行句会に使ってもいい。



調度品も綺麗


国分寺名所の地図
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