
天地わたるブログは毎日800人ほどの方が見てくださっている。その一人、チアフルさんは当ブログの熱烈なファンである。誤字を探してくれたり感想を伝えたりしてくれる。そんなチアフルさんが突如、きのう、弁当を持ってきてくれた。
小生が書いている山田幸子関連の記事にずっと感動してきたという。「私もあんなふうに愛されたい。皆さんの目で堂々と文章にして愛を表現してもらえるなんて女の本望。幸子さんの記事を読むといつも泣けてしまう」としみじみとおっしゃった。「それでいて家庭を壊さないわたるさんは火野正平より凄い!」と持ち上げる。
いただいた弁当は高級。蓋を開けると中に、小エビとモロヘイヤの天ぷらがたくさん乗っていてそれらをどけるようにしてやっとご飯に到達する。お惣菜は20品の健康サラダとかで、胡麻ドレッシング付き。チアフルさんは珍しいもの、魅力的な商品を探すセンスがある。これは国立駅西口の「ナチュラルスーパーマーケット」(nonowa国立)で調達したそうだ。いつも小生が買うОKストア弁当と違って味が格段に良い。小生を支援しての弁当の差し入れである。

ナチュラルスーパーマーケット(nonowa国立)
チアフルさんから日ごろ、いろいろ貴重なアドバイスをいただいている。
彼女は俳句を読むのが好きで新聞の俳句はよく目を通している。小生の句がたまに出る読売俳壇がいちばんレベルが高く勉強になるという。「朝日新聞は最悪。なぜ何千も来る俳句の中で選りに選ってあんなひどい句を活字にするんでしょう?」と息巻く。それは小生も同感。湘子も「朝日はよくない」とあのころから言っていた。
話が毎日俳壇のことになった。「穏当な句が多くて安心して読めますがインパクトがいまいち……揺さぶられるような句が少ないですね。小川軽舟選に鷹の人の名前を最近とんと見ないし……」とおっしゃる。そういえば鷹誌は毎日俳壇の小川軽舟選へ応募するよう呼びかけている。主宰の選者就任当初こそ鷹の連衆の投句があったがその賑わいは祭のように去って今は寂しい。
ここで句を出してしまうとそれを鷹へ出すことができない。よって新聞へ出すなら小生は読売にしてきた。しかし、チアフルさんと話しているうちに、軽舟さんの孤独がひしひしと迫ってきた。選者の孤独は、採る句がないことである。採れる句が目白押しでみんな採りたいが紙幅に限りがあって捨てなければならない、と悩みたいのが選者なのだ。いまの毎日俳壇に来る句は鷹誌へ来る句ほどレベルが高くない。
鷹の連衆が出さないのなら俺が出してやる、という気になった。チアフルさんがたきつけたわけではないが彼女と話していてそういう気になってしまった。チアフルさんは男をそれとなく差配する能力に長けている。「俳句は掃いて捨てるほどできるんでしょ。木の葉一枚落ちただけで1句できるんでしょう?」といって笑わせる。「粗製乱造ならね」と返す。
さらにチアフルさんは「わたるさんはもう自分を確立なさっていて人の評価をそう求めていませんよね。毎日、自由に自分を表現されていて鷹以外の世界の方々とも通じていらっしゃる。鷹という世界での序列を気にしたり目立とうとする気持ち、あまりないでしょう?」と心の襞にからんで来る。相手の心理を読み取る卓越した能力があり、脱帽である。
チアフルさんの読みはほぼ当たっている。自由に生きている。
「出しても月に2回出るかどうかはわかりませんよ。作品が良くても公器ですから鷹の人ばかり採れないでしょう。でも、二つの賞を受賞した実力者が句を出してくれるということは主宰にとって大きな励みになるのは確か。心強く感じますよ。私は孤独ではないと」。それは小生も感じる。上に立つ人は孤独なのである。
湘子の「大遊びせん七十の初御空」をこのごろよく思う。俳句は自分のためにやるものなのだ。採られた、落ちた、3句になった4句になったということに囚われていたら自分が痩せる。遊ばないと自分はふくらまない。自分にとっての俳句のおもしろさ、楽しさを考える年齢になっている。湘子は箍(たが)をはすして自由になれと言いたかったのである。
チアフルさんの弁当を食べてしまった。毎日新聞の小川軽舟選への投句を約束したようなものである。ああ、俺の晩年は人を支援するためにあるのか、とつくづく思う。人を支援できるうちが花、毎日新聞に「軽舟さん元気ですか?」という投句を始めようと思う。














