市庁舎へ至る歩道
先だって亡くなった歌手・女優のいしだあゆみを偲んで横浜港で歌を口ずさもう。そう言ったら、句友Aさんが「いいね、いいね」とスピッツのように叫んだ。それで天気のいいきのう出かけた。
春光やいしだあゆみの歌声は
彼女の声はやや鼻にかかっていた気もするが、今にして思うと明るく希望に満ちていた。亡くなってしまうとよけい明るく感じ、「春光」を置いてみた。
春めきぬビルの狭間をゆく川も
朝食を済ませて7時ちょっと過ぎに家を出た。関内駅でAさんと10時半に落ち合う予定が2時間も早く着く。吟行は人と群れるより一人のほうが良い。Aさんと会う前にひと仕事すべく早出した。氷川丸をまず見ようとしたが、とにかく海をみたく桜木町で下車したのが8時半。海へ向かってひたすら歩いた。
こんなに高いビルがあったのか。途中、通路(橋)は川を跨ぐ。はっとした。

海わたる風の強さや春ショール
海が見えて風が強いが寒くはない。春である。海はさえぎるものがないことを思い知る。海上で遭難したら逃げ場がない。風が吹きわたる海は怖さもある。
波立つも潮とどこほる春愁
海は流れているのかいないのか。港湾だから流れを感じない。川も多摩川に比べて流れを感じない。やるせない気分。
海に向き言ふことなし春の風
ああ、横浜へ来てよかったっと思う。この開放感をもたらす春の風。
船溜り落花浮かべてどんみりと
どこから花が飛んでくるのか。落花が点々と散らばっている。溜り水はあたたかそうで濁っている。

春愁や海をただよふ一紙片
むこうに赤レンガ倉庫が見える。そこへ海岸伝いに歩く。落花より大きい紙は憂いもひとしお。
花びらと泡一緒くた春の潮
春は胡乱な季節である。命も死も、歓びも悲しみも憂いもなにもかもある。
片方よりいつも海風シクラメン
2棟の赤レンガ倉庫の間の花は見物で大勢の人を集めている。多種多彩の小花が輝いている。ホースで水をかけて世話をする人がいる。


煉瓦見てワイン飲みたし春灯
Aさんに落ち合う場所を桜木町に変更した。改札口は追ってしらせるとメールしたら、すぐ返信が来て、すでに桜木町に着いたとか。あせった。赤レンガ倉庫から戻ると20分はかかる。しかたないので赤レンガ倉庫へ来るように伝える。レンガの赤い色に赤ワインを思い、飲みたくなった。単純である。
逢引か春服のひと橋に立つ
明るいベージュの軽そうな装いの女性。異性を待つ風情。頑張ってね、と心の中でエールを送る。
人待ちて橋を行き来や花の雲
歩くことが嫌なAさんはバスに乗ったようだ。彼女を待つがなかなか落ち合うことができない。当初の予定を変えた自分勝手の小生が悪い。やがて「倉庫の軒下にいる」とメールが来て、やっと落ち合うことができた。10時半。やれやれ。
コーヒーを飲んで1時間ほど取材して、11時40分発のシーバスに乗船して、山下公園へ行くということになった。乗船時間約10分。600円。
シーバス発着所
船を待ちみな笑ひをる桜かな
待合室が揺れて酔っぱらった気分。こういう場で怒った顔はめったない。
春興やゆるる桟橋ゆるる船
あっちもこっちも揺れていて春だなあと思う。揺れる春は気持ちよい。
麗らかや出船しばらく後退り
船が動き出してもAさんは気づかない。前に進んでいないせいもある。バックして船着場から離れ、それから向きを変えて船首を前にしてゴー!
大船に艀(はしけ)張りつく日永かな
むこうの大型客船に艀がずっと張りついたように停まっている。蛸でもないのにどうしたことか。そんなに時間をかけて商売になるのか。
船下りて足もとゆらぐ蝶の昼
10分の乗船で酔うわけがない。どだい乗り物で酔わない。海の上と陸上は根本的に違う。山国・伊那と港・横浜の差異か。春はよろめく季節である。
氷川丸の操舵室からの眺め
大船に乗りて沖見る虚子忌かな
虚子の命日は4月8日。釈迦が生れた日でもある。虚子は大きな船であった。実に単純な虚子忌。
魚氷に上る操舵手海を睥睨す
氷川丸を見るのは初めてではないが昔はそう熱心に見なかったし感じなかった。今回来てみてこの船は実に見どころが多いことに気づいた。船の最上階に操舵室がありハンドルを回すと快適。ここから海は丸く見える。操舵手をやってみたかった。
春灯樫のテーブル艶やかに
船内にある調度品がすばらしい。固い樫で光沢がすばらしい。テーブルの上で俳句をしばし考える。
氷川丸は氷川神社が守護神
春潮やデッキに並ぶ白い椅子
この椅子に座って海を眺めた上流階級の人を思う。氷川丸はアメリカ大陸を横断するグレイト・ノーザン鉄道へ乗るためのお客を運んだという。船の後に鉄道の旅。すごく贅沢な旅であり金持ちの上客が氷川丸を使ったのであった。
どつぷりと錨を沈め船涼し
とにかくその先に錨がついているであろう鎖の太さ。鉄鋼の力強さを鎖に感じる。デッキは風が吹き、船内は木材が多いがゆえにひんやりしている。

ソファーに尻沈みて足掻く目借時
船室のソファに腰をおろしたら30㎝も沈むではないか。丸い船窓から見える海が空になった。尻が奈落へ落ちてしばらく立てない。誰か手を引っ張ってくれ!
あたたかや甲板少し傾いて
氷川丸の甲板は水平ではない。海に向かって少し傾斜しいている。水はけを考えているのか。日をたっぷり受けてあたたかいこと。
大鏡一等社交室涼し
「一等社交室」という表示を何度も読みその響きのよさを味わった。調度品もすばらしく、ここで食事したらすばらしいだろう。
一等社交室
うららかやはためく旗と湧く雲と
港湾にある旗はいつもはためいている。風が強いのである。雲も流れが速いように感じる。
春なれや回る風車をみんな見て
電力をつくる風車であろうか。東京のほうにそれが一基立っていてよく回る。嫌でも目に入る。一基ならアクセントになるが5基もあったらうるさいだろう。一基が良い。
海へ行く途中の水にあめんばう
西国分寺駅の看板に「大人はみな、旅の途中。」というコピーがあった。では、水もどこかへ行く途中かと考えた。すると上記の句が成立した。
天鵞絨の撫づるがごとき春日和
春は天鵞絨の感触。素肌に天鵞絨をまとうような日和である。
花吹雪旅の身空を過ぎゆけり
身空は身分という意味らしい。音感が気に入ってつかってみたくなった。
この壁の繁茂する植生を見よ
ビルや塔高き横浜風光る
東京も高い建物は多いが横浜の方が多種多彩と感じた。氷川丸を下りて中華街へ行く途中、マリンタワーに気づいたが登らなかった。お金を使いたくなかったが高いところにそう興味がなかった。高いところは氷川丸の操舵室で充分であった。
基本的に物から離れずに、いや、近づいて見たいのが俳句なのだ。
「萬福大飯店」の五目蕎麦。小食のAさんから半分いただく。生ビール1杯飲み、よい1日であった。
