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天地わたるブログ

ほがらかに、おおらかに

高尾山口へ小さな旅

2025-06-15 04:46:05 | 紀行

 

きのう、ありがたいことに雨が降らなかった。結と優希を妻と引率して競馬場公園へ行こうとしたが結が「ぼくは京王線に乗りたい」と言い張る。しかたなく府中本町まで四人一緒に行き、そこで競馬場組と南武線組が別れた。

結は分倍河原が京王線への乗り換え駅であることを知っている。線路を見て驚いた。線路内に草が繁茂してところどころ線路が見えない。去年9月、銚子駅で草ぼうぼうの線路に驚き、「銚子電鉄線路の草を刈りたまへ」と書いたが、草の丈は銚子駅より凄い。よもや東京の駅の線路にかくも草が繁茂しているとは! 

 

おほらかに線路を覆ふ夏の草

駅長は草を愛でる風流の心があるやもしれぬ。こういうことがあるので俳句は外へ出て作りたいのである。

 

夏休千種の緑車窓過ぐ

京王高尾山口線はまわりに草木が多くぼうっと車窓を見ているだけで寛ぐ。

 

運転席覗き込む子や夏休

結は運転士さんが車掌さんを見るのが好き。自分も70年前をそうだったか。

 

 

終着駅ぐるりと山や風薫る

幾条も葛なだるるや夏の山

高尾山口へ来ると山深さを感じる。特に甲州街道左側の山の切り立った感じが良い。ものすごい量の葛が垂れ下がってまるで緑の簾を見るごとし。

 

 

 

麦の秋かつぱえびせん風に舞ひ

ホームの広い椅子に座ってカリカリした菓子を食べる。腹にたまらないで風に

飛ばされる。拾って食べようとする結を制する。

 

山峡の川のしぶきや百合の花

山といえば川。山の川は勢いがいい。百合が水のしぶきを引き立てる。

 

緑陰や水の染み出る厚き苔

苔は不思議な植物である。踏まれても平気であるし水をいくらでも含む。

 

五月闇仰げば山の伸しかかり

梅雨時の昏さと山の質量に人間などつぶされる感じ。

 

 

体中もぞもぞしたり栗の花

山腹に咲く栗の花が駅からよく見える。花の形、色、匂いすべてが痒い。

 

梅雨寒し終着駅の山颪

山は風が吹き下ろす。この時期は湿り気を帯びていて喉の悪い人にはよい。

 

鬱鬱と木々のかぶさる氷店

山裾の家屋は腐るのが早いだろう。湿気、虫、蔓草、病葉等々、もろもろの力が家屋をさいなむ。

 

梅雨晴やとりどりの傘稜線に

高尾山のような低山では強い風雨でなければ合羽より傘のほうが気持ちいい。皆わかっていて傘を使う人が多い。

われわれは改札を出ず、おやつを食べて電車に乗って帰る。

 

さみだれや鉄橋わたる貨車黒し

武蔵野線は貨物運搬線であり、「ももたろう」と名付けられた機関車がたくさん貨車を引いて走る。多摩川を渡る貨車を見るとき重量感が身にしみる

 

 

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船に乗り横浜を楽しむ

2025-04-10 00:01:06 | 紀行

 市庁舎へ至る歩道

 

先だって亡くなった歌手・女優のいしだあゆみを偲んで横浜港で歌を口ずさもう。そう言ったら、句友Aさんが「いいね、いいね」とスピッツのように叫んだ。それで天気のいいきのう出かけた。

 

春光やいしだあゆみの歌声は

彼女の声はやや鼻にかかっていた気もするが、今にして思うと明るく希望に満ちていた。亡くなってしまうとよけい明るく感じ、「春光」を置いてみた。

 

春めきぬビルの狭間をゆく川も

朝食を済ませて7時ちょっと過ぎに家を出た。関内駅でAさんと10時半に落ち合う予定が2時間も早く着く。吟行は人と群れるより一人のほうが良い。Aさんと会う前にひと仕事すべく早出した。氷川丸をまず見ようとしたが、とにかく海をみたく桜木町で下車したのが8時半。海へ向かってひたすら歩いた。

 

こんなに高いビルがあったのか。途中、通路(橋)は川を跨ぐ。はっとした。

 

 

海わたる風の強さや春ショール

海が見えて風が強いが寒くはない。春である。海はさえぎるものがないことを思い知る。海上で遭難したら逃げ場がない。風が吹きわたる海は怖さもある。

 

波立つも潮とどこほる春愁

海は流れているのかいないのか。港湾だから流れを感じない。川も多摩川に比べて流れを感じない。やるせない気分。

 

海に向き言ふことなし春の風

ああ、横浜へ来てよかったっと思う。この開放感をもたらす春の風。

 

船溜り落花浮かべてどんみりと

どこから花が飛んでくるのか。落花が点々と散らばっている。溜り水はあたたかそうで濁っている。

 

 

 

 

春愁や海をただよふ一紙片

むこうに赤レンガ倉庫が見える。そこへ海岸伝いに歩く。落花より大きい紙は憂いもひとしお。

 

花びらと泡一緒くた春の潮

春は胡乱な季節である。命も死も、歓びも悲しみも憂いもなにもかもある。

 

片方よりいつも海風シクラメン

2棟の赤レンガ倉庫の間の花は見物で大勢の人を集めている。多種多彩の小花が輝いている。ホースで水をかけて世話をする人がいる。

 

 

 

 

 

煉瓦見てワイン飲みたし春灯

Aさんに落ち合う場所を桜木町に変更した。改札口は追ってしらせるとメールしたら、すぐ返信が来て、すでに桜木町に着いたとか。あせった。赤レンガ倉庫から戻ると20分はかかる。しかたないので赤レンガ倉庫へ来るように伝える。レンガの赤い色に赤ワインを思い、飲みたくなった。単純である。

 

逢引か春服のひと橋に立つ

明るいベージュの軽そうな装いの女性。異性を待つ風情。頑張ってね、と心の中でエールを送る。

 

人待ちて橋を行き来や花の雲

歩くことが嫌なAさんはバスに乗ったようだ。彼女を待つがなかなか落ち合うことができない。当初の予定を変えた自分勝手の小生が悪い。やがて「倉庫の軒下にいる」とメールが来て、やっと落ち合うことができた。10時半。やれやれ。

コーヒーを飲んで1時間ほど取材して、11時40分発のシーバスに乗船して、山下公園へ行くということになった。乗船時間約10分。600円。

 

 シーバス発着所

 

 

船を待ちみな笑ひをる桜かな

待合室が揺れて酔っぱらった気分。こういう場で怒った顔はめったない。

 

春興やゆるる桟橋ゆるる船

あっちもこっちも揺れていて春だなあと思う。揺れる春は気持ちよい。

 

麗らかや出船しばらく後退り

船が動き出してもAさんは気づかない。前に進んでいないせいもある。バックして船着場から離れ、それから向きを変えて船首を前にしてゴー!

 

大船に艀(はしけ)張りつく日永かな

むこうの大型客船に艀がずっと張りついたように停まっている。蛸でもないのにどうしたことか。そんなに時間をかけて商売になるのか。

 

船下りて足もとゆらぐ蝶の昼

10分の乗船で酔うわけがない。どだい乗り物で酔わない。海の上と陸上は根本的に違う。山国・伊那と港・横浜の差異か。春はよろめく季節である。

 

 氷川丸の操舵室からの眺め

 

大船に乗りて沖見る虚子忌かな

虚子の命日は4月8日。釈迦が生れた日でもある。虚子は大きな船であった。実に単純な虚子忌。

 

魚氷に上る操舵手海を睥睨す

氷川丸を見るのは初めてではないが昔はそう熱心に見なかったし感じなかった。今回来てみてこの船は実に見どころが多いことに気づいた。船の最上階に操舵室がありハンドルを回すと快適。ここから海は丸く見える。操舵手をやってみたかった。

 

春灯樫のテーブル艶やかに

船内にある調度品がすばらしい。固い樫で光沢がすばらしい。テーブルの上で俳句をしばし考える。

 

 氷川丸は氷川神社が守護神

 

 

春潮やデッキに並ぶ白い椅子

この椅子に座って海を眺めた上流階級の人を思う。氷川丸はアメリカ大陸を横断するグレイト・ノーザン鉄道へ乗るためのお客を運んだという。船の後に鉄道の旅。すごく贅沢な旅であり金持ちの上客が氷川丸を使ったのであった。

 

どつぷりと錨を沈め船涼し

とにかくその先に錨がついているであろう鎖の太さ。鉄鋼の力強さを鎖に感じる。デッキは風が吹き、船内は木材が多いがゆえにひんやりしている。

 

 

 

 

ソファーに尻沈みて足掻く目借時

船室のソファに腰をおろしたら30㎝も沈むではないか。丸い船窓から見える海が空になった。尻が奈落へ落ちてしばらく立てない。誰か手を引っ張ってくれ!

 

あたたかや甲板少し傾いて

氷川丸の甲板は水平ではない。海に向かって少し傾斜しいている。水はけを考えているのか。日をたっぷり受けてあたたかいこと。

 

大鏡一等社交室涼し

「一等社交室」という表示を何度も読みその響きのよさを味わった。調度品もすばらしく、ここで食事したらすばらしいだろう。

 

 一等社交室

 

うららかやはためく旗と湧く雲と

港湾にある旗はいつもはためいている。風が強いのである。雲も流れが速いように感じる。

 

春なれや回る風車をみんな見て

電力をつくる風車であろうか。東京のほうにそれが一基立っていてよく回る。嫌でも目に入る。一基ならアクセントになるが5基もあったらうるさいだろう。一基が良い。

 

海へ行く途中の水にあめんばう

西国分寺駅の看板に「大人はみな、旅の途中。」というコピーがあった。では、水もどこかへ行く途中かと考えた。すると上記の句が成立した。

 

天鵞絨の撫づるがごとき春日和

春は天鵞絨の感触。素肌に天鵞絨をまとうような日和である。

 

花吹雪旅の身空を過ぎゆけり

身空は身分という意味らしい。音感が気に入ってつかってみたくなった。

 

 この壁の繁茂する植生を見よ

 

ビルや塔高き横浜風光る

東京も高い建物は多いが横浜の方が多種多彩と感じた。氷川丸を下りて中華街へ行く途中、マリンタワーに気づいたが登らなかった。お金を使いたくなかったが高いところにそう興味がなかった。高いところは氷川丸の操舵室で充分であった。

基本的に物から離れずに、いや、近づいて見たいのが俳句なのだ。

 

 

「萬福大飯店」の五目蕎麦。小食のAさんから半分いただく。生ビール1杯飲み、よい1日であった。

 

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木曽川界隈に女体を思う

2024-11-23 04:21:00 | 紀行

女子における尿道・膣・直腸(左)と桑名市における揖斐川・長良川・木曽川の類似性


宇能鴻一郎の「姫君を喰う話」における以下の知見を再び話題にする。
「この指、この二本指を使うんや。親指は前、人差指はうしろ。女性の、それぞれの穴に入れさせてもろて、指を閉じてみる。するとどや。女子(おなご)の前と後ろの通路は、ほんの五ミリか、七ミリぐらいの厚みしかないことが、よう判るもんや。……」
この知見は、地勢でいえば、三重県桑名市長島町あたりにおける木曽川、長良川、揖斐川の接近を思わずにはいられない。女体の3本の管と地理の3本の大河のありようが似ているのである。
AとBとの類似性の発見が比喩であり秀句を生む原動力になる。たとえば「渦巻くはさみし栄螺も星雲も 奥坂まや」(縄文)はAの栄螺とBの星雲の類似性に切り込んだのである。比喩の極意といっていいほど鮮やかである。
小生の類似性の発見も奥坂の栄螺と星雲に引けを取らないと興奮したが、たぶん誰も褒めてくれないだろう。自分で悦に入っている。
桑名という土地と女体との類似性はさておき、

七五三水の桑名の橋わたる 湘子(前夜)

が生まれたところである。主宰に同行しこの句の出来に感動した奥坂が、川を渡るのが七五三という通過儀礼を象徴している、という絶妙な読みをしてこの句の名声を高めた。
湘子が電車で渡ったかクルマで渡ったか知らぬが長島町あたりで木曽川と揖斐川の間は3キロほどしかない。実はそこにはまだ長良川が存在しており田んぼの土手みたいな堤で揖斐川と分かれているのではないか。
河口より6キロほど上流で両者の仕切りがなくなり一本化する。
一本化した川は河口で揖斐川と表示されたり、長良川と表示されたりする。
さらに調べると、東名自動車道路の北4キロのところ(木曽三川公園付近)では、東から木曽川、長良川、揖斐川の三つがなんと3キロの内を流れる。三つを分かつ仕切りは想像しただけで頼りない。




木曽三川公園(岐阜県海津市海津町油島255-3)付近


長良川の動きが曲者。その上流8キロあたりからここに至るまで木曽川と100 m~200mの堤で10キロ以上並走し木曽三川公園に至る。女体の膣の直腸の薄い壁よりデリケートではないか。そこに立ってみたい。
いま一番行ってみたいのがこのデリケートゾーンである。
むかし母が婦人会の旅行で赴いた長島温泉(ナガシマスパーランド)はいまも繁栄している。ここはもう海に面したとろで木曽川と揖斐川との間が1.7キロある。ここはほかと比べる広い。女体にたとえれば、「会陰」である。

さて木曽川、長良川、揖斐川が洪水で氾濫したニュースは最近、聞いていない。
災害がないのはありがたいのだが洪水の危険は絶えずあるだろう。大水が流れたとおき川から川へ水が乗り越すことはあるだろう。多量の水が3本の川の様相を簡単に変えてしまう。どの地図も現状を正確に表現していないのではないか。



会陰に相当するナガシマリゾート


女性が出産する場合、ときに「会陰切開」が行われる。
赤んぼが産道を降りてくる過程でなかなか会陰の皮膚が伸びない場合、赤んぼの呼吸不全に陥るし、会陰裂傷が起こるのでそれを軽減する「転ばぬ先の杖」的処置である。
洪水のとき3本の川のどこかに手を加えて洪水被害に対処することがあるかもしれない。かように、女体と木曽三川地域は似ている。

近畿日本ツーリストあたりが「女体を感じる川旅」なる一泊二日バスツアーを企画してくれないかな。地図の上で旅しただけでもうきうきする。そんな企画があれば乗りたい。


右から木曽川、長良川、揖斐川(木曽三川公園あたり)





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初めての欧州 初めてのスイス

2024-06-20 10:37:33 | 紀行

アイガー氷河


パソコンを見ていたら美しいスイスの風景に遭遇した。大手旅行会社の夏の旅の企画らしい。そこにグリンデルヴァルト、インターラーケンの地名を見て懐かしくなった。

20日間バックパッカー*************************
グリンデルヴァルト、インターラーケンはスイスの有名な観光地。
40年前、小生が初めて欧州を旅したとき行ったところである。当時勤務した文化学園文化出版局から小遣と有給休暇を20日もらい欧州を旅した。10年勤続の褒美であり旅は先進国のある欧州が望まれた。「高度経済成長」とかで今では考えられぬほど景気がいい時代であった。
行き帰りロシアのアエロフロート航空を使い、1泊3000円程度の宿に泊まるバックパッカーとなった。1泊目のモスクワのトランジットホテルは既定、2泊目のチューリッヒは予約した。後は…………………で、19泊目をブタペストとしそこからモスクワ経由で帰国する。どこへ行くかわからないので宿は行った先々で探す。

さてチューリッヒに着いたがあてがない。
呆然とチューリッヒの駅にいた。西も東も切符の買い方もわからない。するとインターラーケンと表示した列車が入線した。おおっ、これに乗ろう、となった。インターラーケンの背後に4000m級の高山ユングフラウヨッホがあることは知っていた。登る予定はないが高山は見たいと前からと思っていった。



トゥーン湖


女も湖も山も絶景*************************
首都ベルンは煉瓦作りの家が多く町全体がその色で調和していた。降りて散策したくなった。さらにトゥーン湖に列車が差し掛かったとき湖畔に黒いビキニを着た女性が金髪をなびかせていた。周りにイケメンの男子4人がいて1人が彼女の髪を梳いているではないか。映画の撮影かと見紛うほど。湖も女も絵のように透明度が高い。ここで下車してもいいと思いつつ通り過ぎたのをいま残念に思う。
ユングフラウヨッホは標高3454mの欧州最高地点駅。グリンデルヴァルト駅から登山鉄道(歯軌条列車)で9キロほどぎちぎち登って行く。
霧の深い日であった。
隣に座った女性が英語で話しかけてきた。どうやら韓国人の英語教師らしい。第三国人の英語は聞き取りやすい。彼女は英語を使ってみいたくてたまらないらしく小生はその相手になった。英語力がほぼ同じだったため話が弾んだいい時間であった。
ユングフラウヨッホの最大の見物はアイガー氷河。展望台は常に観光客がいる。団体さんが来るとすぐわかる。バシャバシャバシャとカメラのシャッターを押す音がこだまする。それが10分ほど。そして波が引くようにいなくなる。
肉眼で見るよりカメラを覗いている娘さん。日本人である。カメラより目で見たほうがいいのではとおせっかいなことをつい言う。すると「いいんでーす。家に帰ってじっくり写真見ますから」と来た。それ以上彼女に話しかけることはなかった。
その団体はその日のうちにフランスに入って泊まるらしい。バスツアーのせわしさに仰天した。小生は麓のインターラーケンで少なくとも3日は滞在する。




インターラーケンの通り


パン焼く奥さん*************************
インターラーケンで探した3000円の木造の宿。やわらかな雰囲気。窓からユングフラウヨッホが見える。宿の朝食のパンに注目した。3日3回朝食を頂いたのだがパンの焼き加減と風味が毎朝若干違う。それを女給に告げると「私ここの女給じゃありません」という。
ホテルのすぐわきの民家の奥さんである。「ここのパンは私の家で毎朝焼いて持ってきます」とのこと。パンと奥さんにぐっと親近感を抱いた。早朝彼女がパンを焼くところを見せてもらい「あなたのハウスキーピングは最高」などと言って喜ばせが、微妙な英語はわかったかどうか。

去年の夏、寝転んでいて富士山をえらく思い出して俳句を書いた。
今年は欧州の旅を思い出している。スイスの風景はでかくて日本はすべて箱庭に思えてしまう。けれど風景が壮大すぎて言葉が浮かばない。俳句は日本のちまちました景色に合っているのかと思う。

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初冬の御嶽山散策

2023-12-01 03:43:23 | 紀行

藤本荘

29日、藤本荘を発ち御嶽山界隈を散策した。
肉付きのよき女将なり冬あたたか
宿坊「藤本荘」に泊るのは3度目か4度目。女将は片栁日出子さん。宿を替えようかとたびたび思うが料理がいいのと女将の人のよさでまたここに。夏場は裏庭に目白が来て鳴いたが、いまは白い花がちらほら、冬桜だという。歳時記で知っていたのみ。初めてこれを見た。それがこの旅の最大の収穫である。

冬桜枝にちらほら雪のごと
たよりない雪片が木に付着しているように見える。

冬桜谷より朝日差してきし
夏は感じなかったが日が谷から突き上げるように感じ、宿の高度を実感する。

 冬桜


御嶽山へ来ると日陰と日向を強く意識する。藤本荘は崖を削ったようなところにあるから日陰の時間が長く上を見ることが多くなる。
日の当たる峰を仰ぐや着ぶくれて






ケーブルカーの終点に広場がある。標高880m、日が出ていると暖かくよい見晴台である。
小春日の綿雲浮かぶ日の出山
小春日、綿雲、日の出山という平凡な取り合わせ。特に日の出山という地名が小春日にふさわしいと思う。宿坊の女将が「日の出山の日出子です」と言った。日の出山も日出子さんものんびりした感じがいい。

一本の冬木のむかう都会の灯
日の出山を越えて町のたたずまいがよく見える。夜は照明が冴えるだろう。実際夜出てみて昼より近くに町の明かりが見えてびっくりした。町の明かりが押し寄せているような気がした。

色恋の果てし身空や紅葉狩
平日ここへ来る勤労者は少ない。たいてい人生の役目を終えた小生みたいな輩である。年取った女は大口を開けて笑うし‥‥およそ色恋からほど遠い。若者は紅葉を見なくても恋の火が燃えているだろう。





御嶽神社には1度行ったことがあるだけ。石段が長いし神社は参拝するほど好きではない。
よって
杉の木も神社も嫌ひ懐手
である。初詣も誘われないかぎりしない。
杉は千年も経て周囲3mもあるのは立派だがそれらが密集しているのが嫌いである。杉林は人も鳥獣も拒んでいる感じ。むかし、せっせと植林に杉を使った結果花粉症ももたらしている。植えてから山に携わる人が激減して放置され間伐をなされていないので暗さに死を感じてしまう。

地下牢の寒さなりけり杉木立

鬱鬱と杉山暗し北颪

凩や昼を点して杉林
ケーブルカーの終点から集落まで歩く平坦な道も杉の中。ところどころに明りがあってほっとする。嫌な杉の句も書けてしまう。好きも嫌いも書く衝動になる。




頼りなく電線つづく冬の谷
谷は寒くて心細い。しかし電線は町から来て奥まで伸びている。電線と電柱は文化である。奥地へつづく道とともに。


軒下の榠樝の他は店暗し
木造の古い家屋。軒下に榠樝が並んで1個100円とか。横に15㎝ほどの丸太を2㎝ほどにスライスしたものが積み重ねてある。一つ300円、これは茶碗ないし土瓶置きであろう。けれど売れた形跡がない。どだいここで店を営む人を見たことがない。珈琲でも中から香ってくれば入ってもいいという風情だが……。店のような物置といっていい。



大槻のかぶさる坂や暮早し
急坂の上に立つ大きな欅は御嶽山の象徴であり皆仰ぎ見る。夏は暗いほどだが冬は空が見える。





どうにでもなれと枯蘆風の中
芒や蘆は穂綿を風に飛ばすことで繁殖を意図する。けれどその末路はやけっぱちのような有様である。

水走る紅葉の奥の暗がりを
紅葉を暗いと思うのは小生のみか。確かに赤いのだが少しでも翳ると暗さを感じてならない。それに反して水はいつも獰猛だと思う。

岩の間を水ほとばしる紅葉かな


      


大岩に黒き苔むし冬ざるる
「山登り」「登山」が夏の季語であることに納得する。山というのは寒いのである。冬でなくても春秋は寒いときがありたやすく人が死ぬ場所である。山で寒さを感じる要素は多々ありこれもその一つ。



七尋の滝へ10年は行っていない。あの巨大な岩の塊を冬見たいと思って来た。下りてゆく道をえらく急と感じた。標識は長尾茶屋から滝まで600mだが随分足を動かし腿がぴくぴくし始める。けがをしないようになんとか着く。




寒暁の一枚岩に靴の音
この岩の上にまた立ち盤石の思いである。朝ではないが朝の寒さを思った。

岩盤に立つ岸壁や凍厳し
靴の音も凍るといって情緒に溺れるのもいいかと思うほどの場所である。

岩に立ち岸壁仰ぐ息白し
踏んでいるのが岩であり周囲も岩である。血の通っている生身をつよく感じる。




凩や岩の角より垂るる水
冬は水を貴重に感じる。関東には雨が少ないせいもある。

黒々と岸壁聳え冬の川
岸壁が黒いのはそう多くない。黒い岩のエネルギーをひしひしと感じる、川の勢いと。

     

岩盤を覆ふ木の根や寒寒し
走り根の中を水や養分が通っているかはわからない。たぶん根は生きていると思う。踏まれてできた光沢が哀れに美しい。

日陰山朴落葉踏み活気づく
朴落葉は大きくて頑丈である。踏めば大きな音がする。なかなか土に和さない朴落葉は足にも逆らう。その音に元気が出る。

雲下りて疎林に消ゆる翁の忌
雨意のない雲である。葉のない木々にそれを見ると芭蕉の風雅を思う。

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