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天地わたるブログ

ほがらかに、おおらかに

呉るる人ありて酸橘を知りにけり

2022-08-26 05:15:09 | 自然



ひこばえネットで句座をともにする松尾初夏から酸橘が届いた。むずかしい漢字を「すだち」と読むことも初夏がいなければ一生知らなかったであろう。彼女は徳島に住み毎年当地名物のすだちを贈ってくれる。柚子は知っているがすだちはそう知られていない。
留守のとき届いたが差出人が初夏であり中身はわかった。
明けずとも徳島発の荷は酸橘

縦21㎝、横16㎝、高さ7㎝の箱にすだちが40個入っている。上段が5個×4個の20個で下の段も同様と思われる。ひとつのすだちの直径約38m、高さ約33m、と大きさがそろっている。
初夏も「粒がそろうのを待っていた」という。すだちは緑が濃くいかにも山の気配がする。
海越えて来し翠巒の酸橘かな
翠巒(すいらん)という言葉は人の句をみて知ったがここで使ってみたくなった。

本によると、
スダチは、ミカン科ミカン属の常緑低木。ユズの近縁種として江戸時代に徳島県で誕生し、現在では徳島県の特産品として国内生産の99%を占めます。国内ではユズに次いで生産量の多い香酸柑橘類で、東洋のレモンと呼ばれることもあります。果汁を焼き魚、刺身、鍋物などに絞ってかけたり、果皮は刻んだりすりおろしたものを香味料として利用します。旬は8月~10月。

その土地の特産物が来ると旅情に誘われる。地図を見て徳島は瀬戸内海に接していないことを知った。吉野川が流れ込む海は紀伊水道である。

山の気の満ちて酸橘や鈴生りに
鋏持つ手がときに見え酸橘山
酸橘摘むときをり沖の白帆見て

酸橘噛む阿波の浮き浮き娘かな
「阿波の浮き浮き娘」は初夏をイメージした。小生より一つ下の69歳だと思うが今もしゃきしゃきしている。
初夏さん、ゆだち、ありがとう。

                           
         すだちの入っていた箱

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きみはこの朝焼を見たか

2022-08-13 05:19:30 | 自然

200m先が西国分寺駅(4:53)


4時半ごろ目が覚めた。空気を入れ替えようと窓をあける風が吹いていて空が赤い。
朝焼だ!
外へ出る気になった。1階に妻が寝ていて彼女にとって真夜中。音を立てぬよう階段を下りドアを開けて出た。それでもあとで「あんな時間にどうして外へ出るの」とたぶん叱責されるだろう。「目が覚めちゃったわ」と。朝を楽しめるか否かに彼女と小生の深い溝があるが死ぬまでどうしようもない。
台風が来ていて雨が涼しく降っている。それなのに東の空が赤く見えることはめったにない。夏の高山でも雨とモルゲンロートはなかなか両立しない。
朝焼は20分ほど楽しむことができた。赤は黄になって薄れていった。
須臾の眼福であった。


   反対側の西の空
         
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紫陽花は緑か白か

2022-07-25 05:41:05 | 自然
       


猛暑になってから紫陽花が気になっている。
この花は花期が長い。七変化と言われるように色を変えて人の目を楽しませてくれる。それもはるか前に終わっているのだが、花の形はしっかりしている。このことが、
紫陽花に秋冷いたる信濃かな 杉田久女
なる佳句を生んだゆえんであろう。

さてこの紫陽花だが最近、紫紺にならない種類が増えているのか。今年は紫紺が極まっている横に白いのものや緑のものをいくつも見た。その白や緑が別の色に転じていくのかと思ったがそのまま終わったような気がする。
七変化しない白い紫陽花、緑の紫陽花というのが出来したようである。
新しい品種のことを考えているうちに七変化する紫陽花のははじめの色は何であったか記憶があいまいになっている。
紫陽花が花を形にするときその色は白だったような気がする。そこにうっすら緑が出てきたように思う。「紫陽花の薄緑」で1句作ろうとしたように思う。

紫陽花の性抜けし色夏永し
白も緑も枯れ色になり秋になるだろう。久女は枯れ色に霜が来た場面を詠んだのであろう。しかしその枯れ色に赤みがあったかもしれない。額紫陽花であったなら色はもっとこんがらがって残る。
近所の公園の紫陽花が花のあたりから刈り取られてしまった。花期の終わった花を汚いと思うのか。衰えて立っているのはひとつの美である。そのままにして見せて欲しいのだが。


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多摩川の初夏

2022-05-09 04:49:52 | 自然



きのう育児から解放されて、さて多摩川に何が咲いているか見に行った。野の花の好きな弘子さんを近々花摘みに誘うと考えた。その下見である。




ギシギシの花

ぎしぎしの花緑なる夏はじめ
緑と思うのだがそれは花でないかもしれない。「花穂」という感じでぼかしたいが辞書にこの言葉はない。今の時期、これが突っ立っておもしろい。こんなものでもたぶん弘子さんは摘みそう。なにせ屁屎葛のような人の見向きもせぬものさえ摘んで楽しむ人。
次の句は弘子さんを称えたもの。

おほらかや屁屎葛を活けもして

いま多摩川で見られるのはツバナ、ムラサキツメクサ、シロツメクサ、ナヨクサフジ、ノイバラ、ヒメジョオン、カラシナ、ギシギシ。後は名前を知らない。

草原の波打つ光夏来たる
北海道やロシアの草原を思うとまるで小さいがそれでも河原は気持ちがのびのびとする。



右ナヨクサフジ、左ムラサキツメクサ

草を揺り袖ひるがへし初夏の風
夏めきぬ粘つく草も刺す草も
茨線にからみ野いばら居丈高
花いばらほんわかとして砦なす
兵隊のほかは進まぬ花いばら

野いばらは棘が痛い。摘んで飾るに向かない花。さらにナヨクサフジは蔓性で立たない花でこれも摘むのに不向き。


痛い野いばら

行々子鳴いて朝から上天気
辰雄忌や踝に草やはらかく
二の腕に草張りつきし薄暑かな
草叢に足もつれたり雪加鳴く
雪加鳴きラジオ体操したくなる




この広場は去年まで厳重に柵がしつらえられていた。今は市民に解放された。東京に3000人台のコロナ感染者が連日出ていても。1000人未満のとき閉ざされていて今それ以上の感染者がいても開かれる……世の中や人間どもの考えはわからない。
小市民集ひ肉焼く夏の川
おほかたは男肉焼くキャンプかな
異なものを犬咥へ来しキャンプかな



まだまだ感染症が心配で旅はしたくない。そうおカネも使いたくない。でもちょっと気持ちよくなりたい。そういう人は大勢いて多摩川は市民のオアシスである。
多摩川で花を摘む、ささやかな楽しみである。それでも足腰がしっかりしていないとできない。弘子さんも、ほかの年配の方々もいつまで歩けますように。


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辛夷が咲いた国分尼寺

2022-03-16 06:17:52 | 自然



国分寺市の名所「国分尼寺跡」に辛夷が咲いた。これが咲くと春爛漫。さて辛夷の句を歳時記からいくつかピックアップする。

花辛夷空青きまま冷えてきし 長谷川櫂
この花は白いので青空との配合を誰しもが考える。青い空が冷たいということは納得できる。素直な句。

青空ゆ辛夷の傷(いた)みたる匂ひ 大野林火
林火らしい感傷的な内容であるがいまどきこんな助詞「ゆ」を使える人は少ない。「青空を経て」という意味である。やはり文語表現は味が出る。

青空に顔ひきしまる花辛夷 奥坂まや
これも空が青い句だが「顔ひきしまる」で自分に引き付けたところが見どころ。

満月に目をみはらいて花こぶし 飯田龍太
擬人化したくなるほどひとつひとつの花に存在感がある。目と言いたいほどの。

山国の雲軽く行く花辛夷 藤田湘子
都会の雲も軽いものは軽いのだろうがこの句には旅の吟行の喜びがある。「雲軽く行く」はたぶん作者の心理でもある。

一むきに蕾ならびて辛夷かな 星野立子
実直な描写である。「一むき」の方向は空である。

甲斐駒の一巌(ひとついはほ)や辛夷咲く 小澤 實
「一巌」は小澤さんらしい一種の造語で「摩利支天」のことである。大きな瘤のような山塊で中央線の車中からでも見える。

風さわぐ辛夷や天に八ヶ岳 深津孝雄
これも山とのからみ。遠景に八ヶ岳、近景に辛夷という配置に絵画の風情あり。


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