
是政橋
木曜日、結を連れて多摩川へ行った。「多摩川へ行く」と告げると結が「これまさ」と答えた。覚えていてうれしくなった。西武多摩川線の終点是政まで電車に乗り徒歩で是政橋の下で遊んで帰ると2時間半時間を費やす。子守りの献立を考えるのが面倒なときは多摩川へ行く。
枯蘆に火を放ちたし日本晴
火をつけたらおもしろいだろうな。春書いた「轟然と火の壁立ちぬ枯蘆原」を思い出す。いまいちばんしたいことは枯蘆に火をつけることかもしれぬ。できそうでできない夢である。
枯草を突つ切りし子や棘まみれ
結の手を引いて籔に入った。5mほど過ればいいのだが結が全身に棘をいただいてしまう。回り道すべきであった。
歩くなり呵々大笑の冬晴を
その日、夕方まで雲が発生しなかった。天が笑っているように感じる。関東特有の冬の空模様。北陸は泣いている。
からっとした乾いた空は法螺吹き野郎という印象でもある。
冬晴や大きな法螺を吹くごとく

最も水の少ない冬
冬晴に身包み剥がさるる如し
空が晴れわたっていると逃げ場がない感じ。風に吹かれてすべて失くしてしまう感じ。
本流を逸れし細流冬ざるる
冬、多摩川の水量は最も減る。本流といっても是政橋あたりで25mあるかないか。本流を離れた水は本流に戻らない。
冬の河己が石踏む音を聞く
無数の石を踏みながらそぞろ歩き。意味がない行為に音が伴う。心落ち着く時間である。結は石を拾っては水へ投げる。単純な行為がおもしろいらしい。
浮石を踏み仰け反るや空つ風
結を抱いて細い流れを渡ろうとしてぐらっとした。あやうく結を水に落としそうになった。
枯芒破れかぶれや風の中
枯芒を見ると言葉にならないかと常に思う。枯芒は人を揺さぶる存在である。穂絮はじきに全部風に飛ばされるだろう。芒のその後を見たことがない。

流木の這ひ蹲へる冬の川
でかい木が根こそぎ流れ着くこともある。枝が四肢のように踏ん張って幹を支えるさまは獣を連想する。
冬ざれや空のみ映す捨て鏡
「これなに?」といって結が拾ったのが小さな鏡。まだ使える。ときに位牌が漂着することもあって川は人の営みを反映する。
爺も子も尿朗らかや枯葎
河原がいいのはどこでもおしっこできること。女子でないありがたさといってもいい。こういうときの枯葎は格別。結が最近「たからもの、たからもの」としきりにいう。まだ意味がわかっていないがこれが男子の「たからもの」である。

結にとっていま石は「たからもの」
紙屑の飛ぶがに鷺や空つ風
最初ほんとうに紙屑だと思った。白鷺であった。多摩川を美しく見せる鳥である。
橋の影伸びて薄しや枯芒
芒に橋は梅に鶯と似通う。両者の物としての違いが互いを支え合い詩情を生み出す。冬の寂寥感は芒と橋にある。
冬晴の圧倒的な青さなり
大きな青いカーテンに包まれているような思い。夕方になって雲が二三片出たほどの快晴であった。
公園の砂と違い細かい砂
