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天地わたるブログ

ほがらかに、おおらかに

冬晴の多摩川

2023-12-23 06:45:25 | 自然

是政橋

木曜日、結を連れて多摩川へ行った。「多摩川へ行く」と告げると結が「これまさ」と答えた。覚えていてうれしくなった。西武多摩川線の終点是政まで電車に乗り徒歩で是政橋の下で遊んで帰ると2時間半時間を費やす。子守りの献立を考えるのが面倒なときは多摩川へ行く。

枯蘆に火を放ちたし日本晴
火をつけたらおもしろいだろうな。春書いた「轟然と火の壁立ちぬ枯蘆原」を思い出す。いまいちばんしたいことは枯蘆に火をつけることかもしれぬ。できそうでできない夢である。

枯草を突つ切りし子や棘まみれ
結の手を引いて籔に入った。5mほど過ればいいのだが結が全身に棘をいただいてしまう。回り道すべきであった。

歩くなり呵々大笑の冬晴を
その日、夕方まで雲が発生しなかった。天が笑っているように感じる。関東特有の冬の空模様。北陸は泣いている。
からっとした乾いた空は法螺吹き野郎という印象でもある。
冬晴や大きな法螺を吹くごとく




最も水の少ない冬


冬晴に身包み剥がさるる如し
空が晴れわたっていると逃げ場がない感じ。風に吹かれてすべて失くしてしまう感じ。

本流を逸れし細流冬ざるる
冬、多摩川の水量は最も減る。本流といっても是政橋あたりで25mあるかないか。本流を離れた水は本流に戻らない。

冬の河己が石踏む音を聞く
無数の石を踏みながらそぞろ歩き。意味がない行為に音が伴う。心落ち着く時間である。結は石を拾っては水へ投げる。単純な行為がおもしろいらしい。

浮石を踏み仰け反るや空つ風
結を抱いて細い流れを渡ろうとしてぐらっとした。あやうく結を水に落としそうになった。

枯芒破れかぶれや風の中
枯芒を見ると言葉にならないかと常に思う。枯芒は人を揺さぶる存在である。穂絮はじきに全部風に飛ばされるだろう。芒のその後を見たことがない。






流木の這ひ蹲へる冬の川
でかい木が根こそぎ流れ着くこともある。枝が四肢のように踏ん張って幹を支えるさまは獣を連想する。

冬ざれや空のみ映す捨て鏡
「これなに?」といって結が拾ったのが小さな鏡。まだ使える。ときに位牌が漂着することもあって川は人の営みを反映する。

爺も子も尿朗らかや枯葎
河原がいいのはどこでもおしっこできること。女子でないありがたさといってもいい。こういうときの枯葎は格別。結が最近「たからもの、たからもの」としきりにいう。まだ意味がわかっていないがこれが男子の「たからもの」である。


結にとっていま石は「たからもの」


紙屑の飛ぶがに鷺や空つ風
最初ほんとうに紙屑だと思った。白鷺であった。多摩川を美しく見せる鳥である。

橋の影伸びて薄しや枯芒
芒に橋は梅に鶯と似通う。両者の物としての違いが互いを支え合い詩情を生み出す。冬の寂寥感は芒と橋にある。

冬晴の圧倒的な青さなり
大きな青いカーテンに包まれているような思い。夕方になって雲が二三片出たほどの快晴であった。

公園の砂と違い細かい砂

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痒くてたまらない10月

2023-10-19 05:57:53 | 自然

まるで荒蕪地のような老団地の敷地


10月の胡桃、銀杏の収穫状況。
  2日:胡桃324個
  3日:銀杏980粒
  11日:胡桃650個
  16日:胡桃634個
  18日:銀杏1100粒
このところずっと晴れて湿度も少ない日々。気持ちいいのだが足が痒くてたまらない。きのう大粒の銀杏を割って妻にやると「それにかぶれたのよ」という。が、そうではなく16日胡桃を拾った後足が棘でそうとう傷ついたせいではないか。
そこは野茨が繁茂して胡桃を防御しているようなところであり、その棘に阻まれて断念した胡桃もあった。おまけに繁った草を踏んでいくとき白い埃が舞い上がった。埃ではなくて花粉だったかもしれない。息を止めて叢を渡った。これも原因なのか。
胡桃拾いのキャリアはそうとうあり、野茨の棘もそうとう経験しているがこんなに痒いのははじめて。植物の抵抗力、強さを痛感する。野生を失った人間は弱い。
それでもあと2回ほどは多摩川へ行きたい。10月中に。


霜が降りたような銀杏の風合い

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枯れゆくものは美しく

2023-09-03 05:43:52 | 自然



西国分寺駅あたり、線路を見下ろす地形である。コンクリートで護岸されているがそこにいろいろな植物が生える。コンクリートの割れ目から、あるいはコンクリートの上に溜まった腐ったものの中から。植物はたくましい。
薊もそのひとつで最近みごとに枯れて存在感を示す。5月ころ花が穂絮になるのを新河岸川で見て驚いたことがある。それは緑と白のハーモニーがすばらしかったが、ここの枯一色のなかの穂絮も押してくるものがある。この薊これからどうなるのか、ずっと見ることになる。人知の及ばない世界。

燦燦とあり一叢の枯薊



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溶岩を戦艦と思う

2023-01-13 06:54:50 | 自然


芒と溶岩(ラバ) 芒と溶岩や汀まで

河口湖をめぐっていてあちこちに溶岩を見た。この上を歩くのがこの湖の楽しみである。
形からして昔富士が噴火して溶岩が流れてここまで来たような気がする。台地となっている溶岩の上の模様というか凸凹は、人為ではこうも巧くこしられえられない。凸凹や亀裂に足をとられるほどの難儀はなく、老人でもひょいひょいと足を運んで行ける。
溶岩の上にいるとまさに磐石の思い。戦艦武蔵の甲板の上にいた乗り組み員もいっとき磐石を感じただろう……沈没したが。
水の中に張り出している溶岩台地はまさに船のへさきのようである。
松が根を張る。その伝でいえば、溶岩が根を張っている。河口湖の水を払って底や岸がどうなっているか見たい。底も溶岩かもしれない。
小生にとって溶岩はいちばん親しみのある岩、泥のような思いもある。

かつて火の玉であった余韻がしかとある色合い



溶岩と芒と氷の綾なす冬の情趣

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ナツメをいただく

2022-10-01 06:11:07 | 自然

  


今朝、ナツメを笊いっぱいいただいた。まだ地上に落ちていないから今が採り時だろう。ナツメを採ったのは去年からでよくわからなかった。
去年、地に落ちたしわしわのも拾って食べたが酸っぱかった。それがナツメの味かと思ったがそうではない。中身がぱんと張って存在するのを食べなければいけないと気づいた。
ナツメの青いところが3割がた赤くなったころが食べどきである。全体が赤くなると中の水分が抜けてみすぼらしくなる。これはもう食べてうまくない。表皮が少し色づけば採っていい。

楊貴妃を気取りて棗食ふ妻よ

楊貴妃がナツメを食べたと聞くがあまり昔のことで事実かどうかわからない。妻が楊貴妃でないことは確かである。
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