goo blog サービス終了のお知らせ 

天地わたるブログ

ほがらかに、おおらかに

中編がいい恒川光太郎

2018-09-27 03:47:17 | 文芸

作家・恒川光太郎
1973年8月18日東京都生まれ(45歳)。大東文化大学経済学部卒業、学士(経済学)。2005年、『夜市』で日本ホラー小説大賞を受賞しデビュー。同作で直木賞候補に。14年、『金色機械』で日本推理作家協会賞を受賞。著書に『雷の季節の終わりに』『秋の牢獄』『南の子供が夜いくところ』『竜が最後に帰る場所』『南の子供が夜いくところ 』『スタープレイヤー』『ヘブンメイカー』『異神千夜』『無貌の神』などがある。


興奮した長男に最高傑作と勧められたのが『金色機械』(2016年5月文藝春秋)。


内容(「BOOK」データベースより)
触れるだけで相手の命を奪う恐ろしい手を持って生まれてきた少女、自分を殺そうとする父から逃げ、山賊に拾われた男、幼き日に犯した罪を贖おうとするかのように必死に悪を糺す同心、人々の哀しい運命が、謎の存在・金色様を介して交錯する。人にとって善とは何か、悪とは何か。

鎧兜をかぶったアンドロイドのような妙なものが金色様(きんいろさま)。月から来たということになっていて、人間離れした力を持つ。

長男が「諸行無常だよなあ」というのは「敵も味方も、いずれは交じり合い、その子らは睦みあい、新たな世を作るでしょう」というようなくだりであろう。特異な哀愁が漂う不思議な世界でありおもしろいことはおもしろかった。
ゆえに日本推理作家協会賞を受賞したのだろうが、ぼくは496ページは長すぎるのではないかと直感した。一文、一文ごとの文章のコクが足りずスカスカ感が気になった。一文、一文が濃くないからどんどん先を読めるというのはファンタジー系物語にとって利点でもあるのだが……。

そんなときデビュー作『夜市』(2005年10月 角川書店)を日本ホラー大賞に強く推した高橋克彦氏の一文を読んだ。

比類ない才能  高橋克彦

小説という虚構の世界においては、どんな分野にせよ「発想の転換」が最も重要な才能となる。文章の快感を得られる天才もまれに出現するが、やはり小説は物語が中心だ。読者の思い付かないような展開があってこそ、読書の醍醐味に繋がる。ことにホラーとSFにはそれが最強の武器となる。日常と異なる世界だからこそ、日常を突き抜けた物語でないと意味がない。むろんそれを馬鹿馬鹿しい嘘話と即座に遠ざけられないリアリティも必要なのだが、重さは発想の転換にある。しかし、これがむずかしい。万巻の書物がすでに出ている。どんな物語を作ったとして類似の先行作品が必ずある。まったく新しい発想で書くなど不可能に思える。せいぜい変化球で新味を出す程度だ。だから実を言うと我々の常に口にする「発想の転換」とは「新味」というぐらいのものに過ぎなかった。あるいは「ひねり」とか「切り口」だろうか。
なのに今年の候補作『夜市』を読んだとき、しばし愕然となった。たとえ百人の物書きが居たとしても、後半のこんな展開は絶対に思い付かないだろう。この作品はファンタジーの典型で物語が進む。となるとオチも予測がつき、あとは嘘を現実と思わせる描写や主人公の思いの深さとかで勝負となるわけだが、まるで違っていた。あることが明かされたときから世界が完全に逆転する。襟を正すとはこのことで、気合いを入れて読まないと著者の企みを見落としそうになる。そして奇跡とも言えるエンディング。ファンタジーが見事なまでの現実世界に転換する。描写力の甘さはある。しかしそんな欠点は、この作品に限って些細なことだ。確実にこの著者は比類のない「発想の転換」の才能の持ち主だ。この著者の手にかかれば、あらゆる既成の物語に別の光が当てられることになろう。この物語の展開に仰天と畏怖の思いを感じない物書きは一人も居ない。それだけは間違いない。


高橋さんの恒川光太郎へのほれ込みようは凄い。彼の論評は小説のみならず俳句でも、絵画でも音楽でもなんのジャンルにもいえることであり、普遍性があり本質をついていてうなった。
ここで彼は「描写力の甘さはある。しかしそんな欠点は、この作品に限って些細なことだ」としている。それは『余市』が単行本にして70ページほどの中編であったからだろう。



『夜市』(2005年10月 角川書店)
妖怪たちが様々な品物を売る不思議な市場「夜市」。ここでは望むものが何でも手に入る。小学生の時に夜市に迷い込んだ裕司は、自分の弟と引き換えに「野球の才能」を買った。野球部のヒーローとして成長した裕司だったが、弟を売ったことに罪悪感を抱き続けてきた。そして今夜、弟を買い戻すため、裕司は再び夜市を訪れた――。奇跡的な美しさに満ちた感動のエンディング! 

感動のエンディングというのは、高橋克彦氏の指摘する「発想の転換」のすばらしさ。ネタばれになるがひとついうと、裕司は自分を夜市に売るために乗り気でないガールフレンドを連れて来たのである。彼女に自分を売ってもらうために。しかし買うべき弟はいなかった。機転を利かして自力で逃走していた……どこへ。
これは本当に凄い作品で奇想天外のストーリーといっていい。最初、高橋氏は褒めすぎと思ったがそうではなかった。

恒川光太郎は中編がいいのではないか。500ページ書くことはほんとうにいいことなのか。陸上競技で10000mで業績を上げた走者が距離を伸ばしてマラソンに挑戦することがよくある。マラソンのほうが10000mより格上のような印象を与えるが、そうなのか。
恒川光太郎は岐路に立っている。次の長編は『金色機械』をしのぐレベルのものを書くのかもしれない。けれどぼくは『夜市』ほどの分量でもっと奥行のあるものを書くほうが凄いと思ってしまう。それだけ『夜市』が凄いのかもしれない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

父と短歌と俳句とぼく

2018-09-22 06:48:57 | 文芸


小学生のころ実家は茅葺で中心に囲炉裏があった。
朝ぼくは自在鍵に下がる鍋に火を上手にもやす係であった。父も囲炉裏でよく紙の上の字をみては赤い色鉛筆で「この句は点が入ったがよくない」などとつぶやきながら書き込みをしていた。
それはゆうべ行った句会の後始末だとわかったのはもう少し大人になってからであった。
いや、それが句会であったか歌会であったか、おぼろである。父は短歌も俳句もやっていた。

大学生になって帰省したとき遊びで五七五を便箋に30句ほど書き連ねて父に見せたことがある。一応俳句のつもりであった。どうしてそんな気になったかは知らぬが若干自信があった。
父は興味深そうに即座に見て印をつけ始めた。結果、○が一つで△が二つであった。若干の自信はこなごなになった。おまけに自分が一押しと思ったものは完全に無視された。

25歳になったとき松井芒人が指導する『流域』という短歌雑誌に入った。『アララギ』の系列の写生尊重路線であった。父も母もここで短歌をやっていた。
30歳まで結構熱心にやったが次第に七七が自分にまとわりついてきて鬱陶しくなった。いつまでたっても臍の尾がくっついている感じが嫌になった。七七は自分自身の落とし前をつけるパーツという認識にいたり、無責任ゆえ自由かもしれぬ五七五の形(俳句)に惹かれた。

3年ほど一人で新聞投句をしたのち37歳のころ桂信子主宰の俳句結社『草苑』に入った。40代初期のころ帰省すると父が「明日の夜歌会があるからおまえも出ろ」という。「短歌もやればできるだろう」とも。
歌会に出す5首をなんとか作り近所の雑貨屋の2階の数人の集いに参加した。結果ぼくの1首がいちばん点を集めたが、帰宅して父は「おまえの歌は建増し宿みたいだな」といった。温泉旅館で廊下をわたって別棟へ行く感じだという。そりゃあどうだ。俳句でもう何年も五七五で完結させる訓練をやってきたのだから。

父と歌会で付き合ったのはその一度。句会を一緒したことはない。
いま、父がひこばえ句会に来ていたとしたら、ぼくはこてんぱんに批評しているかもしれない。想像するとおかしくなった。
ちなみに父の自信作は、

天道虫のぼりつめたる葉より飛ぶ 平岩秋の田


その後、父に俳句と短歌を両方するなどふつうの人にとって邪道だと意見したことがある。虻蜂取らずになる。
すると父は「田舎の人間関係は楽しむことが大切。俳句をする人には俳句で、短歌の好きな人には短歌で」と笑いながらいった。
世の中はそんなものか。


撮影地:新河岸川河川敷
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

不可解な作家吉田修一

2018-02-10 07:03:28 | 文芸

作家・吉田修一


吉田修一の小説はすぐ映画になる。
彼の原作の映画『悪人』『さよなら渓谷』『怒り』と見た。『悪人』『さよなら渓谷』は〇、『怒り』は☓。『悪人』はおもしろかったが題名は内容とかけ離れている気がした。『怒り』を当ブログで酷評したのは、題にしたテーマが分散して何を言いたいのかが空中分解したことであった。

映画を見た原作を読みたくないのだが、『さよなら渓谷』は意を決して読んだ。
嬰児殺しの犯人とおぼしき女がテーマかと思いきや、そのわきに住む男女こそテーマといずらし方は吉田の得意とするスライダーの切れ味があり成功している。
その男女はかつてのレイプ事件の加害者と被害者という奇想天外の発想も読者が納得できる筆致で展開する。
細かいところを描写する目が効いている。

目の前にかなこの白い背中があった。まだ荒い息をついている。背中を汗が一筋流れ、止まり、またゆっくりと流れ出す。鼻がつくほど顔を近づけると、あるかなきかの産毛が背骨に沿うように生えているのが見えた。
夏の真昼の情交後のシーンで頽廃的なムードを醸成する。
俊介がセロテープを取りだして、かなこの背中に貼って一気に剥すと赤くなる、とか、
かなこが足をセロテープで巻かれた俊介が動こうとしてつんのめり尻を突き出すと、かなこがパチンと叩くとかいった描写は小技が効いていてうっとりする。

かなこが切り札として言う「許して欲しいなら、死んでよ」もいい。

「私が死んで、あなたが幸せになるのなら、私は絶対死にたくない」
「あなたが死んで、あなたの苦しみがなくなるのなら、私は決してあなたを死なせない」
「だから私は死にもしないし、あなたの前から消えない。だって、私がいなくなれば、私は、あなたを許したことになってしまうから」

かなこのこの発言でクライマックスをつくったのもうまいと思った。



『初恋温泉』
「二人が二人でいられる場所。温泉を訪れた五組の男女、それぞれの物語」という帯文がある短篇集で、「初恋温泉」「白雪温泉」「ためらいの湯」「風来温泉」「純情温泉」の5篇。
一番いいのが「白雪温泉」。
若い男女がたまたま襖一枚隔てただけの部屋に泊ることになる。隣室の音が気になって仕方ないが、音がしない。ほとんど無音というのが不気味でならない。隣室の男とおぼしき人に湯で会って理由がわかる。分かり方の描写が繊細でいい。
けれど吉田作品はばらつきがすごく、何で書いたのか首をひねるものもある。

吉田さんは映画が好きでフラッシュバック(現在の物語を割って過去の物語を挿入させる)をよく使う。『さよなら渓谷』ではこれが決まった。『横道世之介』はかつて世之介の恋人であった社会活動家の令嬢が「ございますわ」という口調で懐かしむ、おっとりした風合の物語だが、フラッシュバックで変なところで世之介の最期を見せてしまった。あそこはたんたんと流すべきであった。

かように吉田修一はまだまだばらついている。
野球でいうと西武埼玉ライオンズの菊池雄星のような荒削りな魅力とでもいおうか。菊池はプロ入団当初、コントロールが定まらずどうなることかと思ったが、去年みごとに大成した。
作家吉田修一に菊池雄星を見ている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

世の中は擬と芥で豊かである

2017-11-29 09:17:00 | 文芸

松岡正剛氏


本日の讀賣新聞は23面で『この世は「まねて」発展した』という記事を掲載している。編集工学研究所所長の松岡正剛氏のエッセイ集『擬 MODOKI「世」あるいは別世界の可能性』(春秋社)の内容を概説したもの。

似せて作ることを意味する「擬」は、「ほんと」と「つもり」が入り混じり、「あべこべ」や「ちぐはぐ」を内在した状態であるという。合理の極致と見られがちな科学ですら松岡氏は「擬」という。
本物があって偽物があるのではなく、世界は合理的・整合的にはできあがっていないから普遍性があると信じ込むのが間違い。確定不能、予測不能なことがあるのは当たり前のこと、おかしなところに目を向ける大切さを説いているとか。
「擬」という題には「まねたり借りたりすることを恐れないでほしい」というメッセージが込めれらているそうだ。

そもそも人間の生存や社会生活そのものが借りで成り立っている。文化もしかりで、「学ぶ」と同語源の「まねぶ」や、和歌の本歌取りなどを例示し、過去や秀作をまねたり踏襲したりすることで発展していると説く。

俳句を書くということをとってみてもほとんどが「まねぶ」のうえに成り立っていることを痛感している。
自分が俳句を書こうと思い立ったときすぐ思い出した例句は、小学校の教科書に出ていた、
手を外れ枯野の犬となりゆけり  山口誓子
万緑の中や吾子の歯生え初むる  中村草田男
雉の眸のかうかうとして売られけり  加藤楸邨
であり、こういう句を書きたいと思ったものである。そしてこういった句の凛とした響きを持つ一行詩を俳句というのだなとインプットしたのであった。先人の俳句をいいなあと感じそれらを何度も読むことが学ぶことだが同時にそのようなものを書きたいという心理があり、「まねぶ」ということになるのである。
後年、教科書にはまねをしてもいいほどの句を掲載しなければならないとも思ったものである。

積極的にまねをしたこともある。

白樺を幽かに霧のゆく音か  水原秋桜子

40歳のころこの句を読んで幽玄の美意識の虜になった。いくぶん剥がれている白樺の皮を霧が過ぎるときよもや音まで出ないとは思うものの、こう書かれると音が聞こえるような気がした。最後を疑問形で決める技術はまだ自分になかった。それでこの句のテーストと技法をまねしようと躍起になった。

せせらぎか春風笹を吹く音か わたる

大菩薩峠のなだらかな山腹を歩いていて春風の音を聞いていてできた。喉が渇き川を探していた。秋桜子のような幽玄ではなく現実の音を詠んだのだがうまくまねができたなあと満足したものである。

自分の中でもまねはしゅっちゅう行われる。

手を揉みて何の無心ぞこの寒夜  わたる

この句はいつか鷹に出して載ったように記憶するが、同時に

何用ぞ頬被解き手を揉む叔父 わたる

というのもできていた。自分の中での堂々巡りであり扇風機で部屋の同じ空気を搔き混ぜるのに似る。犬が自分の尾を噛んで遊ぶようなものである。
しかしこれを避けようとしても同じ頭ゆえ避けられない。避けられないならば敢えて似たようなものをいっぱい書けばいいのである。

弟子のJ子さんはそのように指導している。
自分の中のから亜流でも類句でもいいからとにかく数を書こう。数を書くうちになにか少し違う角度が見えてくることがある。その1ミリ2ミリの相違の中から新しく思える何かを探ることが大切であると。

「ほんと」と「つもり」が入り混じり、「あべこべ」や「ちぐはぐ」を内在した状態が「擬」であるという。
それを目で見て実感するのが冬の河原である。
擬を芥とするならば、芥はまさに入り混じった状態である。乾いた泥すなわち土もあれば砂もあり、枯れ葉もあれば茎もあり花弁もあれば実もある。分別しようとする意志さえ虚しくさせる河原の集積物は、松岡正剛氏のいう「擬」に通底するのではないか。
擬は豊かさな象徴なのかもしれない。




コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

フランツ・カフカは坂道を愛していた

2017-09-13 06:01:10 | 文芸


村上春樹『騎士団長殺し』第1部顕れるイデア編、
終盤の28節に「フランツ・カフカは坂道を愛していた」がある。

本書のテーマは絵画である。私は伝説の画家・雨田具彦の住んでいた家に仮寓することになり、その屋根裏から彼の未発表作品を見つける。
その絵の題が「騎士団長殺し」である。騎士団長が刃を刺されて死にかけている絵だが日本の古代風の服装等で描かれている。
雨田具彦ははじめ洋画家をめざして渡欧したもののそこで何かがあって帰国すると日本画家に転向して成功する。1938年にウィーンで起こった暗殺事件で雨田は恋人をなくした。
そのようなことが雨田を変えたのではないかと同じ画家の私はかの謎の画家の背後に興味を持ちはじめる。

「騎士団長殺し」の絵から騎士団長がイデアとして出てきて私と問答するようになる。私は騎士団長にこの絵に関する歴史的要因を質問する。そこで騎士団長はこういう。

「歴史の中には、そのまま暗闇の中に置いておった方がよろしいこともうんとある。正しい知識が人を豊かにするとは限らんぜ。客観が主観を凌駕するとは限らんぜ。事実が妄想を吹き消すとは限らんぜ」

しかし私は、雨田が公にできないなにかを絵に托したのではないか、と突っ込む。すると騎士団長は、
「絵に語らせておけばよろしいじゃないか」
と突っぱねる。それでも私が食い下がると騎士団長はカフカを持ち出し、フランツ・カフカは坂道を愛していた、あらゆる坂に心惹かれた。急な坂道の途中に建っている家屋を眺めるのが好きだった。道ばたに座って、何時間もただじっとそういう家を眺めていた、という事実を紹介する。
「で、そういうことを知ったところで、彼の残した作品への理解がちっとでも深まるものかね、なあ?」
とあしらう。

ここを読んでぼくは伊那のある川柳人を痛烈に思い出した。
彼は太宰治のファンでよく読んでいてぼくに講釈を垂れた。それを聞いていてぼくが気になったのは、彼が人間失格のあの女には太宰のつきあった誰それの影が宿っているだの、斜陽のあのシーンには津島家のかくかくしかじかの事情がからんでいるだの、そういった背後の事情と作品との関連ばかりに興味を持っていることであった。
関係ないとは思わないが、作品はまずテキストそのものをじっくり読めばそれでいいのではないかと思ったものである。

作品そのものよりその背後の事情が先行してしまった例は俳句界にある。その最たるものが
鶏頭の十四五本もありぬべし  正岡子規
であろう。この句が名句であるか否かは永遠の課題で意見が分かれている。
ぼくは名句でない方に立つ。なにせ作者が死病で長いこと病床に臥せっていて顔をちょっと動かして見るしかできなかった。そういう状態で見た鶏頭という事情が先行してしまった句である。仮にこの句がある駅の掲示板に書かれていたとしたら読むほうの印象はずいぶん違うはずである。

春樹さんの作品鑑賞論は示唆に富んでいる。彼は自身の分身である騎士団長をして最後にこう結論づける。

「雨田具彦の『騎士団長殺し』について、あたしが諸君に説いてあげられることはとても少ない。なぜならその本質は寓意にあり、比喩にあるからだ。寓意や比喩は言葉で説明されるべきものではない。呑まれるべきものだ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする