
作家・恒川光太郎
1973年8月18日東京都生まれ(45歳)。大東文化大学経済学部卒業、学士(経済学)。2005年、『夜市』で日本ホラー小説大賞を受賞しデビュー。同作で直木賞候補に。14年、『金色機械』で日本推理作家協会賞を受賞。著書に『雷の季節の終わりに』『秋の牢獄』『南の子供が夜いくところ』『竜が最後に帰る場所』『南の子供が夜いくところ 』『スタープレイヤー』『ヘブンメイカー』『異神千夜』『無貌の神』などがある。
興奮した長男に最高傑作と勧められたのが『金色機械』(2016年5月文藝春秋)。

内容(「BOOK」データベースより)
触れるだけで相手の命を奪う恐ろしい手を持って生まれてきた少女、自分を殺そうとする父から逃げ、山賊に拾われた男、幼き日に犯した罪を贖おうとするかのように必死に悪を糺す同心、人々の哀しい運命が、謎の存在・金色様を介して交錯する。人にとって善とは何か、悪とは何か。
鎧兜をかぶったアンドロイドのような妙なものが金色様(きんいろさま)。月から来たということになっていて、人間離れした力を持つ。
長男が「諸行無常だよなあ」というのは「敵も味方も、いずれは交じり合い、その子らは睦みあい、新たな世を作るでしょう」というようなくだりであろう。特異な哀愁が漂う不思議な世界でありおもしろいことはおもしろかった。
ゆえに日本推理作家協会賞を受賞したのだろうが、ぼくは496ページは長すぎるのではないかと直感した。一文、一文ごとの文章のコクが足りずスカスカ感が気になった。一文、一文が濃くないからどんどん先を読めるというのはファンタジー系物語にとって利点でもあるのだが……。
そんなときデビュー作『夜市』(2005年10月 角川書店)を日本ホラー大賞に強く推した高橋克彦氏の一文を読んだ。
比類ない才能 高橋克彦
小説という虚構の世界においては、どんな分野にせよ「発想の転換」が最も重要な才能となる。文章の快感を得られる天才もまれに出現するが、やはり小説は物語が中心だ。読者の思い付かないような展開があってこそ、読書の醍醐味に繋がる。ことにホラーとSFにはそれが最強の武器となる。日常と異なる世界だからこそ、日常を突き抜けた物語でないと意味がない。むろんそれを馬鹿馬鹿しい嘘話と即座に遠ざけられないリアリティも必要なのだが、重さは発想の転換にある。しかし、これがむずかしい。万巻の書物がすでに出ている。どんな物語を作ったとして類似の先行作品が必ずある。まったく新しい発想で書くなど不可能に思える。せいぜい変化球で新味を出す程度だ。だから実を言うと我々の常に口にする「発想の転換」とは「新味」というぐらいのものに過ぎなかった。あるいは「ひねり」とか「切り口」だろうか。
なのに今年の候補作『夜市』を読んだとき、しばし愕然となった。たとえ百人の物書きが居たとしても、後半のこんな展開は絶対に思い付かないだろう。この作品はファンタジーの典型で物語が進む。となるとオチも予測がつき、あとは嘘を現実と思わせる描写や主人公の思いの深さとかで勝負となるわけだが、まるで違っていた。あることが明かされたときから世界が完全に逆転する。襟を正すとはこのことで、気合いを入れて読まないと著者の企みを見落としそうになる。そして奇跡とも言えるエンディング。ファンタジーが見事なまでの現実世界に転換する。描写力の甘さはある。しかしそんな欠点は、この作品に限って些細なことだ。確実にこの著者は比類のない「発想の転換」の才能の持ち主だ。この著者の手にかかれば、あらゆる既成の物語に別の光が当てられることになろう。この物語の展開に仰天と畏怖の思いを感じない物書きは一人も居ない。それだけは間違いない。
高橋さんの恒川光太郎へのほれ込みようは凄い。彼の論評は小説のみならず俳句でも、絵画でも音楽でもなんのジャンルにもいえることであり、普遍性があり本質をついていてうなった。
ここで彼は「描写力の甘さはある。しかしそんな欠点は、この作品に限って些細なことだ」としている。それは『余市』が単行本にして70ページほどの中編であったからだろう。

『夜市』(2005年10月 角川書店)
妖怪たちが様々な品物を売る不思議な市場「夜市」。ここでは望むものが何でも手に入る。小学生の時に夜市に迷い込んだ裕司は、自分の弟と引き換えに「野球の才能」を買った。野球部のヒーローとして成長した裕司だったが、弟を売ったことに罪悪感を抱き続けてきた。そして今夜、弟を買い戻すため、裕司は再び夜市を訪れた――。奇跡的な美しさに満ちた感動のエンディング!
感動のエンディングというのは、高橋克彦氏の指摘する「発想の転換」のすばらしさ。ネタばれになるがひとついうと、裕司は自分を夜市に売るために乗り気でないガールフレンドを連れて来たのである。彼女に自分を売ってもらうために。しかし買うべき弟はいなかった。機転を利かして自力で逃走していた……どこへ。
これは本当に凄い作品で奇想天外のストーリーといっていい。最初、高橋氏は褒めすぎと思ったがそうではなかった。
恒川光太郎は中編がいいのではないか。500ページ書くことはほんとうにいいことなのか。陸上競技で10000mで業績を上げた走者が距離を伸ばしてマラソンに挑戦することがよくある。マラソンのほうが10000mより格上のような印象を与えるが、そうなのか。
恒川光太郎は岐路に立っている。次の長編は『金色機械』をしのぐレベルのものを書くのかもしれない。けれどぼくは『夜市』ほどの分量でもっと奥行のあるものを書くほうが凄いと思ってしまう。それだけ『夜市』が凄いのかもしれない。