Light in June

文学やアニメ、毎日の生活についての日記。

MRI検査

2008-11-10 22:23:22 | Weblog
今日、病院でMRI検査を受けてきました。
もちろん初めて。
受けることを決めたときに、病院の先生に「MRIって全身がトンネルみたいなところに入る検査ですか?」と聞いたら、その先生は、「いや違うよ。頭だけ」と言っていた。

全身が入る検査じゃないかーーー!
よくドラマとかで見るやつ。
頭だけを座ったままどうにかして検査するんだと思ったら、ベッドに横になって、そのままするすると機械の中へ。つま先まで機械の中に吸い込まれたわけではないけど、足元が見えないので、全身中に入ったような気分。

検査をする前に、時計などは外のロッカーの中に入れておく。検査室は強い磁場を発生させるからだ。でもポケットの中の鍵は大丈夫だったんだろうか…。ま、頭だけの検査だけど。

で、部屋に入ったら、まず耳栓を渡された。検査中は大きな音が出るそうだ。スポンジかゴムか、そういう素材の耳栓で、とにかく耳の中に押し込む。でも押し込みすぎて取れなくなってしまったらコトなので、手加減して。けれどそうしたらあまり耳栓の用を成さないんだけど。

で、寝台に横になって、頭を固定され、機械の中へ。もうこのときには、自分がかなり緊張しているのが分かる。数年前に目の手術をしたときよりも緊張していた。あのときは落ち着かせるために精神安定剤を処方されていたんだけど、それが効いていたのか。機械の中に入ってすぐにコンコンコンと外側から指先で叩いたような音が聞こえる。なんだ?と思っていたら、「ブーブーブー」とうるさい機械音。かと思ったら微弱な振動と共にブーという長い大きな音。なんとなく目をつむり、カントリーロードを声に出さないようにして口ずさむ。困ったときはこれに限る。

しばらくしてようやく終了。15分くらいだったみたい。長かったのか短かったのか…いまいち分からない。

それから休憩室に行って、椅子に腰掛けると、どっと疲れが出る。本を読む気にもならない。ああ、ものすごく緊張してたんだな、と思う。

ときどき頭痛があるので、検査してみたら?と近所の病院の先生に言われてしてみたが、果たして結果は…これで何か異常が見つかったらショックだなあ…

CLANNADはぶっちぎり

2008-11-10 02:58:31 | アニメーション
CLANNADはぶっちぎりだ。ぶっちぎりでおもしろい。これは『ハルヒ』以来、いやひょっとしたら『ほしのこえ』以来の衝撃かもしれない。

ストーリーははっきり言ってベタで、前回の第六話もそうだった。しかし、とにかくおもしろい。

死んだ少年に飼われていた猫が、人間の姿をして少女の元へやって来る。少女が生前自分と交わした何気ない会話を、少年は忘れずにいて、少女の願いを何でも猫に叶えさせてやろうというのだ。高校生のこの少女は、同級生の男子に恋をしており、けれども振られてしまう。人間の少年の姿となった猫は、自分の存在を秘密にしたまま、そんな少女に恋をする。そしてその恋を受け止める少女。お祭りの日、少女は猫の少年に願い事を言う。いつまでもわたしのことを好きでいてください、と。しかし少年はまもなく姿を消してしまう。やがて月日は流れ、少女は大人になり、母校の高校の男子寮に住んでいた。猫と共に。ある日お客に来た主人公に、その猫は夢語りをする。自分のこと、そして少女のことを。主人公はその夢で聞いた話を今は大人になった少女に話す。「少女」は初めて真実を知ったのだった…

不思議な話ではあるのですが、どこかで聞いたことがあるような話だということも確か。しかし、これがものすごく感動的な話に仕上がっている。最後の少年(猫)の独白を聞いていると、本当に泣きそうになる。それと、お祭りの楽しげで、しかしはかない、美しい情景。京都アニメーションは作画がいいとか何とか言われますが、一番すごいのはその演出。CLANNADはハンパじゃない。春原のエピソードもベタと言えばベタで、特に第4話はなんと「雨中の殴り合い」(しかも親友同士の)があり、これ以上ベタな展開は想像できないほどなのですが、しかしこれが泣かせる。

とにかくぶっちぎりでおもしろい。アニメーション史に残る傑作だと思う。TVアニメはあまり評価しないぼくだけど、これを認めなければ他に認められるものはそんなに多くないぞ。

古本購入

2008-11-07 23:30:19 | 文学
このあいだ、わりと近所にある古書店に立ち寄って古本を購入してきました。
以下、目録。

シャミッソー『影をなくした男』岩波文庫、160円
『ウィーン世紀末文学選』岩波文庫、260円
マラマッド『ママラッド短編集』新潮文庫、180円
ユアグロー『一人の男が飛行機から飛び降りる』新潮文庫、350円
そして次の日ブックオフで、
アリストテレース・ホラーティウス『詩学・詩論』岩波文庫、450円

以上です。
『影をなくした男』は既読。以前、ブログに感想を書いたことがあります。どうして買ったのか? すごく気に入ったから手元に置いておきたくて買った、というわけではなく、修士論文にひょっとしたらネタを提供してくれるかもしれないと思って買いました。どうなるか分からないのですけれど。

『ウィーン世紀末文学選』は、前から欲しいなあと思っていた短編集。このあいだ『フランス短編傑作選』を買ったので、お揃い(?)かな、と。それだけが理由じゃないですが。

マラマッドは、ユダヤ人であり且つロシアから難民としてニューヨークに渡ってきた両親の子として生まれたそうです。越境的なアメリカ作家、ということになるのでしょうか。『マラマッド短編集』は、マラマッドの第一短編集の全訳。マラマッドは短編の名手として知られていますね。

『一人の男が飛行機から飛び降りる』は、ユアグローの超短編集。「超短編」と言うのは、収録されている作品が「短編」と言うのもはばかれるほどものすごく短いからです。ロシア文学に詳しい人は、ハルムスの短編を思い浮かべてもらえればよろしい。この短編集はかなり前から探していて、ようやく見つかりました。ま、ネットで購入すればすぐだったかもしれませんが。これが欲しかったのは、他でもない、ハルムスとの比較のためです。「比較」と言っても研究するためとかではなく、ハルムスに対して、このユアグローという作家はどういうものを書くのだろう、という純粋な好奇心から。まだ読んでいませんが、これは近いうちに読む心算です。でも、比較研究ができたらおもしろいな、と買った今思う。ちなみに、超短編と言えば、いずれも新潮文庫から、『極短小説』『Sudden Fiction』『Sudden Fiction2』が出ています。最初の二つは手元にあります。最後のは持っていませんが、訳者が柴田元幸先生なので、もしかしたら頼んだらくれるかも!?…そんなわけないか。(でも今度会ったらそれとなく聞いてみようかな…)

『詩学・詩論』は、アリストテレスとホラティウスのそれぞれの詩(文学)に関する論考を合わせて一つにしたもの。「詩学」は既読。もう二度も読んでいるのですが(二度目はざっと)、手元にないと、いちいち図書館に借りに行くのが面倒だし、ちょっと気になった箇所を調べることもできないので、買うことにしました。ブックオフで、しかも文庫で450円は高い気がしますが(おまけに表紙が少し汚れている)、早く買わないと先を越されてしまうかもしれないので、思い切って購入。岩波文庫版は注が充実していて、熱心な読者向けですね。

というわけで、久々のまとめ買い。片っ端から読んでいけたらいいのですが…

らき☆すたOVA

2008-11-06 00:45:27 | アニメーション
『らき☆すたOVA』観ました。
10月31日にレンタル開始だったので、楽しみにしていました。

「もってけ!せーらーふく」で始まるかと思いきや、OPで歌など流さずいきなり始まったので、ちょっとがっかり。この歌が聞きたかったんだけどなあ。

で、このOVAは、7本のミニストーリーからできています(パッケージには6本と書いてあったような…)。全部を通してだいたい60分くらいなので、一本は10分にも満たないわけですね。

各話は、かがみ、つかさ、みゆき、こなたをそれぞれクローズアップしていて、多様なファンに目配りした構成。とはいっても他のキャラも立てているのに対して、柊姉妹は本当に中心人物として描かれている話があって、柊ファンにはうれしい。かがみのツン(デレはない)ぶりと、つかさのドジっぷりが両方楽しめます。

途中でゲームの画面が出てきて、こんなことやるのか、と少々びっくり。
それと、つかさのおもしろギャグがなかったのが残念でした。でも代わりにかがみが…

特典映像の白石稔がちょっとうるさい。白石ファンにはいいかもしれないけど。

なんか、観終わった感触として、らきすたを観た、というより、白石劇場を観せられた、というような…。特典映像が充実しすぎってことだと思います。特典を先に観て、それから本編を観るのがいいかもしれません。

そういえば、OVAでは非日常が描かれていることが多いようです。普通のでは基本的に学校での何気ない会話とかが描かれていたのに対して。だから、らきすた特有のゆる~い感じがちょっと薄まっていたような…気がしなくもないです。でも、楽しかったですけどね。

あー、かがみとつかさって甲乙つけがたいなあ…

早稲田祭とジブリものまね

2008-11-05 00:36:41 | アニメーション
きのうに引き続き早稲田祭の話題。

ジブリ王選手権に集まった観客は、実に1万5000人もいたそうですね。1万人の予想だったのですが、その予想を遙かに上回る人出。確かにすごかった。

ところで、ジブリのマニアックものまねをしているコメディアン、いずみ包(ぽお)さんのブログにさっきコメントをつけてきました。返事あるかなあ…

ジブリのものまねって、テレビではあんまり見ないんですよねえ。ガンダムのものまねしている人はいるのに。若井おさむだっけ?あと、テレビに出ている「アニヲタ」枠で括られる芸人たちは、やっぱり世代が一回り上なので、ちょっと違うんだよなあ…。ジブリのものまねをする人はいないかなあと、ずっと思っていたので、実際にいずみ包という人がいることを知り、うれしいです。

早稲田祭にはムスカのコスプレで登場してたけど、この人の得意分野って、やっぱりムスカなのかなあ。台詞は完璧に暗記しているみたいだったけど。ちなみに、シータの声優よこざわけい子さんが「忘れた」と言った、シータの呪文をいずみ包さんがそらんじてみせて観客を驚かせていましたが、あれはぼくも言えます。「リテ・ラトバリタ・ウルス、アリアロス・バル・ネトリール」。「我を助けよ、光よ甦れ」という意味ですね。ちなみに「ウルス」の後に「、」が入るのがポイント。まあ、「タッカラプト・ポッポルンガ・プピリットパロ」みたいなもので、ファンなら覚えてる人は多い…はず?

いずみ包さんは、音のものまねなどもできるようでしたが(タイガーモス号の音とか)、これからどんどんテレビに出て、たくさんのものまねを披露してもらいたいですね。需要があるのかどうか分かりませんが…。

ぼくも、『耳をすませば』の、夕子と雫が最初に「カントリーロード」を口ずさんだときの「口の動き」のものまねができますが、あまりにマニアックなので、たぶんほとんどの人は分からないと思います。でも、早稲田祭のクイズの出場者たちなら、もしかしたら分かったかもしれないなあ…。う~む、友達になりたいなあ…きのうも同じことを言いましたが。

それにしても、ジブリを中心にしたあの一体感、もう一度、いや何度でも、味わいたい。ま、佐々木希目当ての人がけっこういたらしいのですが…

早稲田ジブリ王選手権

2008-11-04 00:12:03 | アニメーション
ここ2,3日の間、いわゆる有害サイトから立て続けにTBされているので、一時的にフィルターをかけました。あしからず。それにしてもどうして急に?

さて、今日まで早稲田で行われていた「早稲田祭2008」に行ってきました。
目的は、そこで開催される「日本ジブリ王選手権」の見学。実は参加のオファーのようなものをいただいていたのですが、人前で話すのが苦手なので、出場は見合わせました。

10月の半ばに予選があり、それを突破した3人とジブリのものまね芸人であるいずみ包が、クイズバトルを行うという趣旨。

大学構内は凄まじい人の数で、大隈講堂前の特設ステージ周辺は、まさしく立錐の余地もないほどの人・人・人。なるべく前の方に行こうとしたのですが、中途半端な場所で立ち止まり、そこで見学することに。道路をはさんで大学構内の方にもものすごい数の人が立っていました。そこへ、ラピュタの音楽とともに大画面に映し出されたジブリの映像!ジブリっていうか宮崎アニメを編集した映像が次々と流れます。そして、パズーのトランペットの音色で「ジブリ王選手権」は開幕。ステージでは早稲田の学生さんが生演奏を披露。う~む、けっこう感動してしまった。

さて、ゲストにモデルの佐々木希を迎え、舞台が整えられて、クイズが開始されます。
第一問目は、メイを発見した後にネコバスに表示された次の行き先は?答え「七国山病院」。これは4人とも正解。当然だよね。
第二問。ポルコの戦友フェラーリンがフィオに対して言った言葉は?答え「豚に真珠」。これも印象深い台詞ですからね。

ここで、シータの声を演じたよこざわけい子さんが登場。クイズ形式もそれに合わせて変更され、よこざわさんとのアフレコ対決。『ラピュタ』の場面が大画面に映し出されて、それに声を当てるというもの。もちろん台詞は表示されません。よこざわさんは当然シータの声をやり、これは台本どおりに読みます。回答者はパズーやムスカの声に挑戦。ちゃんと正しく言えるのか…と思っていたら、皆さん完璧に台詞を再現。一人、わざわざ茅ヶ崎から有給を取って来たという社会人の男性だけは失敗しましたが、まあ仕方ない。いきなり「ここの台詞はなんだ?」と言われて、なかなか即答できるものではありません。ちなみに、他の出演者は、2名が20歳くらいの女性、もう一人は先に述べたように芸人のいずみ包。皆さん今日のために勉強してきているんでしょうけれども、台詞の完コピは難しいのです。ぼくも少し前までなら『耳をすませば』だったらけっこういける自信はあったんですが、全ての作品のコピーは困難です。しかし、やはり出場者も全ての作品に通じているわけではなかったようです。

次のクイズは定番の早押し。キキがおばあさんに頼まれて孫娘に届けた食べ物を当てる問題(これは楽勝っすよね)、ある音を聞いて、その音を立てているキャラクターを当てる問題(最初は分からなかったけど、最後の音を聞いてピンときた。ちなみに回答者も同じだったみたい)、などなど。

さて、そこまでは順調に答えていた回答者たち。しかし、次の問題には誰も答えられません。「図書館で雫を待っている聖司が読んでいた本のタイトルは?」一人答えて、惜しかったのですが、ハズレ。正解は、『霧のむこうのふしぎな町』。いくら全般的な知識があっても、やっぱり得意分野というものがあって、このレベルの出題になると、得意にしていないと正答するのは難しいということでしょう。確かに、映画を観ているだけではまず答えられない、マニアックな問題だったかもしれません。しかし!回答者たちは、次のような事実を知っているはずです。つまり、『千と千尋』の企画は、初めこの『霧のむこうのふしぎな町』の映画化の企画から始まったということ。そしてそれが『煙突描きのリン』に変更され、最終的に『千と千尋の神隠し』に決着したという経過を。その話を『耳をすませば』に結び付けられなかったんですね。詰めが甘い、と言っておきましょう(ちょっと厳しいかな)。

優勝者はキキさん(もちろん仮名)。早押しで点数を稼ぎましたね。他の回答者も、たぶんだいたい分かっていたんだろうと思いますが、やはりああいう場所で咄嗟に答えるのは難しいものです。だからこそ、すぐに答えが出てくるということは、それだけ普段からジブリに接しているということでしょう。天晴れ。う~ん、友達になりたいなあ。一緒に聖蹟に行って、「雫・杉村ごっこ」をやりたい!ついでに屋上でのあのシーンを再現したい!うおおおおお!これは中学からの夢なんだあああ!

それはさておき、ゲストに藤岡藤巻の藤巻さんだけが登場。藤岡さんは高熱でダウンだとか…可哀想に。さあこれで終わりかと思った矢先、シークレットゲストとして、なんと大橋のぞみちゃんが登場!やったね!撮影禁止なのに、あちこちでカメラや携帯を掲げる手が挙がる。最後はポニョを歌って盛況の内に幕。は~、よかった。立っている疲れも忘れ、存分に楽しめました。

内容が『ラピュタ』に偏っていたような気がしなくもないですが、全体的に調度いいレベルの良問が多かったです。ハクの真の名前とか、簡単すぎるかな?という問題もありましたが、『霧のむこうのふしぎな町』などは難しい部類に入ると思われるので、バランスはよかったと思います。

またジブリが観たくなりました。

ピアノチューナー・オブ・アースクエイク

2008-11-02 00:24:55 | 映画
ブラザーズ・クエイの新作映画『ピアノチューナー・オブ・アースクエイク』を観ました。
クエイ兄弟の映画は基本的にストーリー性が感じられないものが多いので、この作品はどうなのだろうか、と思って観始めました。というのも、この映画は珍しく長編なので。長編で筋がなかったら、これはけっこう厳しい戦いになりそうだから。

で、最初の内は、ストーリーがあって、ああなるほどね、と思っていたら、途中から意味が分からなくなってきて、何がなにやら。大まかな筋は分かるのですが、「なんかよく分からん」という印象が残るのです。たぶん細部の意味がはっきりしないからだと思います。

ただ、この映画はストーリーを追って楽しむ類の映画ではないでしょう。ほとんどセピア色に見えるほど抑えられた色調の中で強調される光と影のコントラスト、奇岩の林立する背景、カメラの構図、摩訶不思議なカラクリ機械、無気味な人形、そして妖艶な女。これらのものを愛でる映画であり、その意味でこうしたものを愛でることのできる精神が要求されているとも言えます。ほとんど一幅の絵を眺めているような静止画像はただただ美しいです。

が、映画の途中、あっちの方からこっちの方からいびきが聞こえ始めて…。かくいうぼくも睡魔に襲われかけたのでした。ちょうど中盤だったと思います。

この映画は、レーモン・ルーセルとカサーレスの小説を基にしているそうです。どちらも読んでいませんが、後者はぜひ読みたいと思っています。ちなみに、『ストリート・オブ・クロコダイル』はシュルツの小説が原作で、どうやらブラザーズ・クエイはなかなかの文学愛好家らしい。この3人は文学が好きな人には馴染みの名前だと思いますが、そうでない人にとっては聞いたこともない名前の作家たちだと思うので。シュルツの小説は持っているのですが、まだ読んでいません。難しそうで…

で、クエイ兄弟のこの新作ですが、映像美を愛する人は堪能できると思います。一方ストーリーがガンガン進む映画が好きな人には、いい睡眠薬になることでしょう…

シュウォッブ『少年十字軍』

2008-11-01 01:22:52 | 文学
いま、パソコンが立ち上がらなかった。やばい。修論書いてるときに故障かよ。でもそろそろ寿命なのかなあ…。確かに新しいパソコンに買い換えたくはあるんだけど、買った後のことを考えると色々めんどくさい。あと、ブルーレイ対応のパソコンがいいんだけど、それはまだ高いらしい。それが安くなるまで、どうかもってくれ…今のパソコン!

さて、シュウォッブの『少年十字軍』を読みました。短編集です。これは、『黄金仮面の王』と『二重の心』という短編集からそれぞれ訳者の多田智満子さんが選んだもの。それに加えて「少年十字軍」というやや長めの短編が収録されています。

まず、訳者の荘重な訳文がすばらしい。この人は他にユルスナールの『東方綺譚』などを訳しているが、それも格調が高く、堂々たる出来だった。名訳と言っていい。

さて、シュウォッブのこの短編集には、ペストやらい病(ハンセン病)、阿片などが多く登場する。暗黒的なイメージを惜しげもなくテクストの前面に出している。世界滅亡の終末的なイメージのみを描いたプロットのない小品「大地炎上」などを読むと、この作家がこうした幻想だけを売りにして小説を書いているのかとも錯覚させられるが、しかし「黄金仮面の王」や「ペスト」などには見事な短編的なトリックを用いており、技術も持ち合わせていたことが見て取れる。

特にぼくの印象に残ったのは、「黄金仮面の王」と「ペスト」と「〇八一号列車」だ。いずれも病に関わる作品だが、「ペスト」だけは趣が随分異なり、喜劇調に仕立てられている。残りの二つは重苦しくさえあり、「列車」はホラー風だ。この両者には他にも共通点がある。それは、明らかに別のテクストを参照項として持っていることだ。「黄金仮面」はオイディプス王を下敷きにしているとみなせるし、「列車」はポーの「赤死病の仮面」を髣髴とさせる。また、「列車」にはモノのドッペルゲンガーとでも言うべきものが出現する。それが人間ではないという点で珍しい。それはある種の鏡であり、現実界の奇妙な反映としての「無気味なもの」(フロイト)である。ドッペルゲンガーとの行動の「主従関係」が逆転するところは、エーベルスの怪奇小説「蜘蛛」とも類似している。

更に、この小説では色が印象的な働きをしている。例えば、次のような箇所――

「その男には白い毛織の布がかぶせてある。一人の女と幼い少女が、黄と赤の花を刺繍した絹の服につつまれて、クッションの上にぐったりと横たわっている。(…)男の胸は露わだった。皮膚には青っぽい斑が点々とちらばり、ひきつった指は皺がよって、爪は鉛色、眼は青い隈でかこまれている。」

男は死んでいるのだが、彼が「白」と「青」で彩られているのに対し、女と少女には「黄」と「赤」がきらめいている。この寒色と暖色との対比。しかし、「赤」という色はもっと別の箇所でも用いられていて、そこでは無気味な、恐怖を刻印するような明りを放っている。

「少年十字軍」では、解説でも指摘されるように、「白」が「暗示的に用いられている」。
幻想を描くにあたり、「色」というのはイメージを読者に根付けやすい、格好の手段だったのかもしれない。

ところで、少年十字軍は歴史的な事実だが、これを扱った小説は他にも存在する。例えばアンジェイェフスキの『天国の門』だ。この小説は極端に句点(。)を省いた実験的な手法で書かれており、そういう意味ではシュウォッブの小説とは異なるが、しかし語りを多用しているという意味では一致する。「少年十字軍」はまさにその語りで構成され、何人もの人物の口から物語が語られるのである。

好き嫌いが分かれそうな作家ではあるが、こういう、黒いイメージを持った鮮烈な幻想も悪くない。