Light in June

文学やアニメ、毎日の生活についての日記。

ジャック・フィニイ「愛の手紙」

2008-11-17 00:55:52 | 文学
ジャック・フィニイの『ゲイルズバーグの春を愛す』に収められている短編「愛の手紙」を読みました。原題は The Love Letter 。いま訳したら、たぶんそのまま「ラブレター」になると思いますが、やや翻訳が古いので、こうなったのでしょう。それとも訳者の趣味?

それはいいとして、最近読んだ漫画『きみにしか聞こえない』で、ぼくは「愛の手紙」という小説の存在を知りました。ついでに言うとジャック・フィニイという作家の存在も。この人はミステリーやファンタジー系の作家に分類されることが多いらしく、ぼくはそういう分野には疎いので、知らなかったのだと思います。日本で有名かどうかもぼくには分かりませんが、邦訳はかなり出ているようです。

さて、『きみにしか聞こえない』のあとがきで、原作者の乙一が、この「愛の手紙」のような作品を書きたくて、この(漫画の原作となった)小説を書いてみたのだ、というようなことを述べています。漫画化されるに当たって多少の変更はあったろうと思いますが、ぼくはこの漫画がとても気に入ってしまい、このような話の元になった小説とはどんなものだろう、と興味を持ったのです。

『きみにしか聞こえない』は、時間差がある中で電話をし合う少女と少年が主人公。彼らは空間はもちろん時間にも隔てられています。未来から過去へ、過去から未来へ電話をする二人。

「愛の手紙」も同様に、時間に隔てられた青年と少女の物語です。
80年も前の古い机を購入した青年は、そこに隠し引き出しがあることに気付きます。そしてその中には、1882年5月14日の日付のある手紙があった…。それは少女の書いたラブレター(愛の手紙)で、誰に向けるというでもなく、架空の誰かに、理想の男性に対して書かれた手紙でした。そして青年は奇妙な気持ちでその手紙に返事を出します。一週間後、机の別の隠し引き出しを開けてみると、そこにはもたもや手紙が…

解説によれば、ジャック・フィニイは過去志向の作家だったそうで、現実への嫌悪、過去の賛美は「愛の手紙」にもはっきりと見出されます。

かなり後ろ向きの作家と言えるかもしれません。この青年は、これから健全な恋ができるのか、手紙の少女は、その時代をどのようにして耐え忍んだのか。決して出会うことのできない相手を想い続けて生きていくことは、苦しいことでしょう。最後に二人の出会いが用意されていれば(80も歳が離れていたとしても)、まだ救いがあるのですが、この小説にはそうした希望がないように感じられます。

これは、いつまでも過去を引きずる人に対して、それでも未来を向いて生きろと呼びかけるのか、それとも、いや過去を大事に生きていけと語りかけるのか、という相反する思いと対応を想起させます。普通は、前者が聡明な立場だとされるわけですが、後者のような、過去ばかり見ている立場があってもよいのではないか、と言うジャック・フィニイ。この判断は容易ではないように思われます。しかし、未来を信じないのならば、そこには希望はないでしょう。とはいえ、過去の光芒を夢見つつ生きることだって肯定されていいではないか?

さて、こういう時間を超える話で思い出すのは、『トムは真夜中の庭で』です。この小説は、「愛の手紙」と比べると、より完成度が高く、また未来志向の作品であるようです。ラストは感動的ですしね。「愛の手紙」は、閉じた、ある意味で極めて「芸術的」な作品だと言えるでしょう。「芸術的」と言うのは、実用的ではない、実生活に害を及ぼしさえする、純粋に文学的な、という意味です。けれども、そういう小説も必要でしょう。実生活への指針を与えるような作品よりも、こういう、世俗的なこととは無関係な小説の方が、しばしば印象に残ります。こうした作品が生まれる限り、文学はまだ存在理由があると言えます。