けろっぴぃの日記

最近、政治のことをはじめとして目を覆いたくなるような現状が多々あります。小さな力ですが、意見を発信しようと思います。

ウクライナ情勢を再考してみる(1)

2014-03-22 23:52:43 | 政治
ここ最近、本業の仕事の方があまりに忙しくて、全くブログを更新することができなかった。それでも世の中はドンドンと動いていて、日米韓の首脳会談が決まったり、一番大きく動いたのはウクライナ情勢であろう。今日は、少々、私の予想に反して過激な状況に発展してきているこのウクライナ情勢についてコメントしてみたい。

書いているうちに、結構な長文になりそうなので、内容の要約を先に書いておく。

まず最初に色々と論点はあると思うのだが、どうも、欧米諸国の動きや報道の在り方など見ていると、明らかに欧米の価値観で物事が議論されている。その根底にあるのは「力による現状の変更」とか「ズデーデン割譲の再来」との視点によるのだが、あまりに安倍政権に対する「歴史修正主義者のレッテル張り」的なステレオタイプの論調にうんざりしているものの立場としては、そう短絡的に受け入れる気にはなれない。これはロシアの行動を肯定しているのではなく、そう単純に物事を判断すべきではなく、少しでも着地点として好ましい状況に近づけたいと思うなら、現在のアプローチは余りに稚拙ではないかという主張である。色々とこの後説明は加えたいと思うのだが、私が感じる最大のポイント、現状の最も憂慮すべき点はロシアと欧米の対立ではなく、ウクライナ国内での同一国民間の親欧州派と親ロシア派の対立であり、半ば内戦・内乱の様な状況が起きている。その動きは日に日に過激になり、化学で言うところの不可逆反応の域に達している。そして、その様な動きは局所的な現象から全国的な動きへと変化し、その様なエスカレーションを助長する動きを、欧米とロシアが率先してやっている様な印象を受ける。結局のところ、それで困るのは誰かと言えばウクライナ国民であり、特にアメリカやイギリスの決断は自己満足でしかないのでは・・・というのが私の評価である。

以下、順番に考えてみたい。

まず、今回の問題が「国際法に照らし合わせて、明らかに違反している」と言い切れるのであれば、ロシアに対して法的な議論を徹底的に戦わせれば良いはずである。国際司法裁判所に提訴するなり、「法の下の支配」をロシアに求め、双方が公式な公開書簡で論理的に応戦するなどすれば良いはずである。欧米の主張の根拠と、ロシアの主張の根拠を正当に戦わせ、何度も何度も立論と反駁のサイクルを回していけば、もう少し平和的に解決する道を模索できるはずである。しかし、実際にはその様な論理的な議論ではなく、国連安全保障理事会にクリミアの住民投票の無効を訴える程度にとどまっており、それはつまり相手国の批判合戦でしかなく論理性の戦いではない。欧米は多数決の原理的に押し切ろうとするし、ロシアは常任理事国の特権を利用して拒否権を発動するだけである。

では、論理的に議論とは何なのか?それは、「善」「悪」というのは思ったほど単純ではなく、異なる価値観や異なる基準で論理を組み立てれば、真逆の結論も論理的に組み立てることは出来る。この対立の根底にあるのは、ウクライナ暫定政府の正当性を認めるところからスタートするか、認めないところからスタートするのかの差である。「ロシアの行為は明確に国際法に違反する!」というのはウクライナ暫定政府の正当性の上に成り立つものであり、その正当性は本来は「合法的な手続きで政権を奪取したか否か」が判断材料になるべきである。しかし、合法的で民主的な手続きである選挙で選ばれた政権ではなく、建前上は明らかにウクライナの国内法に照らし合わせれば違法な手続きで樹立された政権と言える。問題は、クーデターにより政権の転覆が起きたとき、そのクーデターというのは国際法的にどの様に正当性を評価されるのかとところにある。この辺の知識を持ち合わせていないので正確なことは言えないが、法律なりルールなるものはシステムの安定化を大前提に体系化されるものであり、素人ながらに常識的に考えれば、大腕を振ってクーデターを正当化するロジックが国際法の中で共通認識になっているとは考えにくい。特に軍事クーデターであれば国際社会はこれを拒否するのが一般的である。問題は非軍事クーデターであり、アラブの春などにおいては国際社会はこれを好意的に見ることが多いのだが、それは国際法的にその裏づけがあるからではなく、法的な議論を思考停止させ、一旦、正当性の議論をリセットすることでリセット後の議論のみに法的議論を集中するという暗黙の了解があるから成り立つ話である。当然ながら、今回のようなウクライナのケースでは、そこに利害関係がある欧米とロシアとでは、足並みを揃えてそのリセットに合意することはない。我々、欧米側の人間には「リセットの合意」をついつい前提としがちだが、本来であれば、合意がなされていなければ「リセットの正当性」は否定されて然るべきだ。であれば、現状のウクライナ暫定政府は現時点でも非合法となり得る訳で、この辺がロシアの主張に他ならない。勿論、では旧政権であるヤヌコビッチ政権に正当性があるかといえばそこまではいかないが、しかしそこから「ヤヌコビッチ政権に正統性がなければ、ウクライナ暫定政府に正当性がある」という結論を見出すにはいささか論理の飛躍がある。欧米の諸国はこの点に誤解があるのだと思う。

変な例え話をすれば、某暴力団の組織内でクーデターがあり、元々の組長率いる守旧派は警察からその組織としての正当性を否定されているのだが、であればクーデターを起こす(暴力団内では革新系の)組長が警察からその正当性を認定されるかといえばそんなことはない。両者ともに正統性がないという解はあり得るのである。この時、ウクライナ暫定政府が「ロシア系住民が多数を占める地域でも、公用語からロシア語を排除する」というロシア系住民への弾圧とも取れる行動を取るならば、先ほどの暴力団の例でいえば「暴力団の守旧派(例えば旧ヤヌコビッチ政権)と革新派(ウクライナ暫定政府)の間に割り込み、住民に飛ばっちりが及ばないように警察の機動隊(プーチン大統領の言葉では「自警団」)が街中を警備する」という選択肢があっても成り立つ話である。問題は誰が警察役をやるかという話であるが、欧米はウクライナ暫定政府側(暴力団の革新派側)に立っているから「警察の派遣」の必要性を感じておらず、その必要性を感じたロシアが電光石火でクリミアを制圧した訳である。そこには少なくとも当初は混乱などなかったのである。

しかし、現在のウクライナはどうかと言えば、親ロシア派と反ロシア派の対立が激化し、キエフ周辺でも死者が出る事態となっており、どちらかと言えば(言葉の定義上はともかく、現実としては)内戦に近い状況にある。それは、ウクライナに侵攻したロシア軍とウクライナ軍との軍と軍の衝突ではなく、むしろ民間レベルでの対立に他ならない。少なくともウクライナ暫定政府の中には、相当過激な右翼勢力も含まれていて、親ロシア派を力でねじ伏せるためには軍事力の行使も厭わないというスタンスにあったりする。日本を始め欧米の報道によれば、ウクライナで対立が激化する際には親ロシア派に問題があるかのような捉え方をすることが多いが、確かに親ロシア派にも同様に問題のある勢力はあるだろうが、話はそう単純ではない。具体的には下記の記事にあるように、まだヤヌコビッチ政権が健在だったころにデモ隊の衝突で90人以上の死者が出た際には、当時の反政府側(現在の暫定政権側)の勢力のスナイパーがデモ隊に発砲して死者が出たのがきっかけだとも言われている。

産経新聞2014年3月6日「『スナイパーの背後にいるのは新政権だ』EU高官の電話会談、ネットに流出

ことの真偽は明らかではないが、少なくともEUなどの外相レベルでその様な共通認識を持つ程度には、暫定政府側の怪しげな存在がそこに介在している疑惑があるのは事実である。この様な勢力の主張を取り入れる形で「公用語からのロシア語の排除」などがあるのだろうが、正直、私の目には「全ての国民を分け隔てなく、公平で公正なもとで平和的に政治を進める」というポリシーをそこに感じることはできない。だから、現状の内戦的な不安定性さの原因はウクライナ暫定政府のラディカルさにあり、その様な暫定政府に白紙手形を与えるかのような欧米の行動は、先ほどの暴力団の話でいえば、暴力団の守旧派か革新派のいずれかの正当性を手放しで認めているように見えてしまうのである。だから、本来、欧米が取るべき道は、短絡的な白紙委任状をいずれかの勢力に与えるのではなく、親ロシアにしても反ロシアにしても、どちらに対しても自制を促し過激で独善的な行動を戒め、国内の融和を促すような行動を取るべきであった。しかし、その様な中立性を無視して一方の側に立てば、他方からすれば一線を越える言い訳に利用することが出来るのである。だから、紛争の初期段階において、双方が交渉の中で選択肢を示しあう際に、如何にして事態がエスカレートしていない状態での選択肢を数多く列挙し、その中のひとつに双方の妥協点を導くことで、事態がエスカレートするのを回避するかが重要なのである。エスカレートしてしまったらそれは不可逆反応であり、元に戻るには相当なエネルギーを必要としてしまうのである。上述のスナイパーの話は、事態を元に戻せない様にエスカレートさせるための術であり、この様な流れに乗せられてしまっては駄目なのである。

私の感覚では、欧州諸国はその力を利用して、現在のウクライナ暫定政府内から過激で急進的な勢力を排除するように勧告することは可能なのだと思う。その後の援助の絶対条件とすれば良いし、その様な試みを通じてウクライナ国内の過激な親欧州派と親ロシア派の対立の芽を早めに摘み取るような動きを示せば、少なくとも内戦的なリスクを抑えることは出来たのだと思う。そして、ロシア語の公用語としての継続を約束させ、クリミア自治共和国内での疎外感を緩和させれば住民投票のスケジュールを後ろ倒しにさせ、その間に国際的な住民投票の行動の監視団を送り込み、それを通してロシアからの圧力を弱める細工をすることもできたかも知れない。時間を稼ぐことが出来れば、双方が冷静になるための時間を確保することが出来、別の落としどころを模索することも可能だったかも知れない。ロシアの最大の興味はクリミア内の軍事基地の安定かつ継続的な使用であるから、その条件を担保することが出来れば違う展開も可能性としてはあった。

しかし、これらの可能性を全て捨て去った背景にはウクライナ暫定政府側の強硬姿勢があり、その強硬姿勢を前提とするならば、ウクライナ暫定政府の正当性を認める側にはロシアのクリミア侵攻を非難せざるを得なくなる訳である。ヤヌコビッチ元大統領を追放するために、欧州はラディカルな極右の暫定政府側勢力とも手を携えてしまい、それが今回の命取りであったのかも知れない。しかし、シリアであればアサド政権打倒のために反政府勢力内のアルカイダ系と手を携えることはしなかった。それは余りにリスクが大きすぎるからだが、今回は余りに無警戒に反政府勢力を信じ過ぎていたのではないかと思う。

これではロシアと論理的な議論をしたくても、論理的な議論が出来ない訳である。ロシアにも勝算など無いのだが、欧米にも勝算などかけらもないから、双方が力技での解決に走ろうとする。しかしそれは、やはり不可逆過程への道であり、取り返しがつかない道を歩み出していることに早く気が付くべきである。今となっては答えなど無いのだが、少なくとも、双方に論理的な正当性がないことに気が付くのは有益なのだと思う。そして、それをウクライナ暫定政権にぶつけてみるべきなのだと思う。それをロシアにぶつける前に・・・。

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