けろっぴぃの日記

最近、政治のことをはじめとして目を覆いたくなるような現状が多々あります。小さな力ですが、意見を発信しようと思います。

対立から協調に変わる瞬間!

2013-01-09 23:55:03 | 政治
今日は帰りの車の中で某ラジオ番組を聞きながら帰ってきた。今日はジャーナリストの上杉隆さんがメインキャスターで、ゲストに日本中の火力発電所の現状をしらみつぶしに調べてまわり「ブラックアウト・大停電を回避せよ!」という本にまとめた夏目幸明さんが招かれていた。この方は、内容的に原発推進派のバイアスがかかった人かといえばそうではなく、再生可能エネルギーを推進すべきという考えの方だが、ただその移行期間においての考え方がラディカルではなくて現状を調べ尽くした上で、様々なリスクを天秤にかけて判断する現実主義者ともいう方だろう。

さて、本当に言いたいことは最後に書かせていただくとして、まずはこの番組での議論の流れを簡単に紹介する。私はこの本を読んでいないが、下記のサイトを見ると概ね、今日の議論を知ることができる。

PHP Biz Online衆知2012年11月12日記事「報じられない『火力発電頼み』の限界(夏目幸明)」

要点だけを抜粋すれば、大飯原発が再稼働した際に、関西電力では一斉に火力発電所を停止させたことがスクープされ関西電力がマスコミから一斉に叩かれた。これらの背景には脱原発のバイアスが大きくかかった人達が主導し、原発などなくても電力は十分足りているという刷り込みを一般国民に行うため、かなり偏った情報を垂れ流したことが明らかである。ある意味で良心的なジャーナリストは、実際にはかなり綱渡りの現状であり、特に老朽化した設備を無理やり動かして何とか急場を凌いだという報道を行っていたので、この記事に書かれた内容はそれほど私にとって驚く程の内容ではないが、ただ、その綱渡りの程度がどの程度リスキーであったかは伝わってくる。建設後40年以上を経過した原発を危ないというのと同様、火力発電所に関しても危険度は相当なもので、象徴的なのは緊急用の連絡設備は昔の黒電話の様なダイヤル式の電話機で、モニタはブラウン管、警報は電球でできた、如何にも昭和を感じさせるレトロな作りである。40年物の原発がどうかは知らないが、少なくとも常に後ろ指を刺されて危険視された原発であれば、原子炉は別にしても様々な安全管理の機器類は逐次新しい信頼性の高いものと取り替えられていたであろうが、滅び行く火力発電所はそうはいかず、昔のままの姿を留めているという。このため、不具合・トラブルは起きて当然という中で何重ものバックアップでブラックアウトを回避するように安全管理がなされているのが現状である。

唯一私が驚かされた話は、年に10回もの不具合での運転停止(時として1日以上の継続停止を含む)を余儀なくされるようなこの様な老朽設備が何故取り壊されずに残してあるのかの理由である。よほどの夏や冬のピーク時の非常に限定的な時間にしか利用され得ない設備であっても、何かの緊急事態に備えて残しておくというのがその理由である。であれば、新設の火力発電所を作れば良いと思うのだが、実際にはピーク時とその他の需要は大きく異なり、折角新設しても殆ど使われずに休ませることになるから、新設せずに老朽設備を騙し騙し使っているのである。それは原発などは動き出したら定常的な出力を保ち続けざるを得ないから、出力を調整できない原発では常にフル稼働であり、その他の火力はガスコンロの炎や車のアクセルのように、必要に応じて簡単にON/OFFを微調整して利用し、最もOFFの時間率が長い使用頻度が低い発電をこの様な複数の老朽施設でカバーしている。このため、敢えて取り壊さずに使い続けているのだという。

しかし、原発が停止したために、殆ど使われなかったこれらの設備が3.11以降の夏冬はフル稼働する事態に至った。発電所とは全く関係ないが、私の会社でもビル内に非常用の発電設備を備えていたが、通常は殆ど使われることのないこの発電設備を夏場にはフル稼働させ、電力会社から供給される電力を減らす努力をしていた。しかし、その無理がたたってある日その発電機が止まり、緊急停電を何度か経験した。社内には終夜で動かすコンピュータなどの機器もあり、実は非常にリスキーな状況であったが、それでもバックアップを小まめに取るなどして自己防衛して夏場を乗り切った。関西電力を始め、今年の日本では確かに供給力が需要を上回っていたのは事実であるが、これはあくまでも結果論・確率論なのである。

この電力が足りる確率というのは、老朽化した設備などが一斉に同じ日に故障しない確率であったり、1昨年の夏のように大豪雨でダムに土砂が流れ込み、水力発電が継続的に利用できなくなるなどの自然災害が発生しないという確率である。だから、99%程度の勝算は十分にある話である。賭けとしてはそう悪くない勝負であるが、しかし、残りの1%の時に何が起こるかというリスクをどう評価するかが問題なのである。変な例え話であるが、オリンパスの損失隠しを誰もがケシカランというのであるが、多分、あの様な損失隠しが公になった企業は氷山の一角にしか過ぎず、確率的には内部の人が黙っていれば99%の勝率で隠し通して何年後かに景気が回復した時点でチャラにされる。その時、それに関わった多くの人が「正直に情報公開せずに、隠し通すのが賢明」という教訓を語り継ぐのであろう。しかし、この様に聞いて納得する人はまずいないであろう。それは、バレたら相当やばいのだから、上手くいったといってそれの味をしめて繰り返してはいけないと嗜めるはずだ。

今回の電力が足りた事情もこれと同様のものであり、これまでの原発推進派の人々が相当なバイアスをかけて安全神話を語っていたのと同様に、今回も脱原発派の人がこれまた相当なバイアスをかけて電力が足りるという逆の安全神話を作り上げたのである。福島第一原発にしても、(本当か嘘かは別として)1000年に一度という大地震と大津波が起き、太平洋側の複数の原発は難を逃れて無事だったという状況で、唯一、福島第一原発だけが事故に合い、しかもその後の展開にも不幸が幾つか重なった。だから、確率的に言えば「殆ど安全」と言いたくなる気持ちも分からないでもないが、それでも「安全とは言えない」というスタンスで臨むというコンセンサスが現在は出来上がっている。ならば、何故、老朽化した火力発電所や水力発電所のトラブルが連続することが問題とならないのか?それは、やはり「逆の安全神話」のバイアスによるところが大きいのは明らかである。

さて、ここまで書いてきて、今日書きたかった本当のポイントを書いてみよう。この番組のキャスターであった上杉隆さんは、福島の原発事故に対して非常にラディカルな方で、私は元々好きだった上杉さんのことをかなり幻滅して見るようになった。当然ながら脱原発派とも言うべき存在であるが、しかしその上杉さんがこの夏目さんの主張を認め、この様な視点をも含めて真の意味での安全とは何かを考えようとしている点に私は感動した。議論とはこうでなければいけないのである。自分の主張と対立する立場の人の意見を謙虚に聞き、自らの主張の弱点は弱点として認め、0(ゼロ)か1かの判定ではなく移行期間も含めた真の意味での現実的な解を模索せねば問題は解決しない。原発容認派は原発の危険性を訴える人の話をよく聞き、逆に脱原発派は電力供給のリスクと年3兆円といわれる発電コストの増加による経済へのマイナス効果を熱心に聞かなければならない。それらの議論の先に、最も現実的な解があるはずである。

今日は対立から協調へのシフトする可能性を感じることができた。それが一番書きたかったことである。政治も同様である。とにかく前に1歩踏む出すのである。

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