けろっぴぃの日記

最近、政治のことをはじめとして目を覆いたくなるような現状が多々あります。小さな力ですが、意見を発信しようと思います。

大阪ダブル選挙に思う

2011-11-21 23:07:11 | 政治
今更ながらの書き込みであるが、11/27、大阪府知事、大阪市長のダブル選挙が行われる。

私は是非とも、橋下さん率いる維新の会の完全勝利となることを期待している。選挙戦がスタートした日、彼が(多分?)大阪市役所前で街頭演説した言葉に心を打たれた。

「大阪市民を守る。大阪府民を守る。しかし、大阪市役所や大阪府庁という組織は守りません。大阪市長というポストをなくすために、大阪市長になるんです。大阪市長になって、大阪市長をやり続けたいという平松市長と、そこが決定的に違う!」

こんな言葉を吐いて選挙に臨んだ政治家が今まで何処にいただろうか。これまでの政治家は、本能的に議員という自らのポストの維持のために、ありとあらゆる策を弄していた。選挙の票が欲しいから、自らのポリシーを曲げる政治家など腐るほどいる。その様な政治家は、熱い思いを語れない。熱い思いなくしては、国を(地方を)変えることなどできない。

「出る杭は打たれる」と言われる日本で、彼は思い切り「出まくった杭」となった。「叩けば埃が出る」人であれば、その様な行動をとれば直ぐに潰しにかかられる。多分、彼の政治的抹殺のために相当の金と労力が費やされたのだろうが、結局、何一つ出てこなかった。仕方なしに、彼には全く否の無い「彼の生い立ち」を攻撃材料に使った。その結果、ひょっとしたら彼の7人の子供の中の誰かが将来、深く傷つき思い悩む事態になるのかも知れない状況を作った。その様な罪のない子供達までを犠牲にしてまで、彼を潰したい勢力がいる。それに乗っかるマスコミとは、一体何なんだろうか?橋下さんに名前をすっぱ抜かれる前に、自ら署名記事とするぐらいの覚悟を持ってやっているのだろうか?非常に卑劣極まりないやり方だ。

一方、彼を「独裁」と呼ぶ人がいる。少々、誤解を恐れずに言えば、「独裁者ぐらい出てこないと、硬直した現状を打破できない」のである。こう言うと、「独裁を肯定」していると勘違いされるが、それは明らかに違う。「民主主義」とは「手続き」である。最近、「民主主義のコスト」が話題になり、その非効率さが民主主義のコストを全く払っていない中国に対してハンディキャップとなっているかの様な言われ方もする。しかし、この「民主主義のコスト」の代償として、我々は「独裁者」の暴走から身を守ることができるのである。つまり、悪意を持った「真の独裁者」が「独裁者」たり得ないようにシステムが出来上がっているのである。したがって、我々は独裁者を恐れて、政治の選択肢を狭める必要はないのである。「独裁者を許すな!」とは、(独裁者的な)扇動家の言葉としか私には聞こえない。

彼は小泉元首相とも良く比較されるかも知れない。特に今回の選挙などは「劇場型」や「シングルイシュー型」などとも呼ばれる。しかし、私は聞きたい。「劇場型」の全てが悪いのか?「シングルイシュー」ではいけないのか?

小泉元総理は「財政投融資」という制度が諸悪の根源と考え、この対策として「郵政民営化」を掲げて戦った。今の政治には問題が多すぎる。「ひとつの内閣でひとつの問題を解決」するとして何がいけないのか?あれもこれもと言うから、ひとつとして解決できないのである。であれば、優先順位を定めて最大の課題を選び出し、そこに一点集中で改革を求めるのは決して悪いことではない。小泉元首相も橋下元府知事も、その具体的且つ分かり易い解決策を明示しただけである。この「具体的」「分かり易い」解決策を示す力が、彼らの共通点なのだろう。

選挙の結果がどうなるかは分からない。
ただ、歴史的に非常に重要な選挙であることは間違いないだろう。

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