けろっぴぃの日記

最近、政治のことをはじめとして目を覆いたくなるような現状が多々あります。小さな力ですが、意見を発信しようと思います。

日韓関係が何処までも改善しない理由

2012-09-23 23:58:38 | 政治
先程、NHKスペシャル「対立を克服できるか~領土で揺れる日中・日韓~」という番組を見た。と言っても、出かけていたために途中から見ることになったので、前半の日中関係の部分は見損ねた。後半の日韓関係しか見ていないが、この部分を見て今まで腑に落ちなかったものが「ああ、なるほどね!」と納得できるようになった。

物事は単純ではなく、複雑な事情が相互に絡み合っているのはその通りなので、これが全てという訳ではないが、ひとつの物事の考え方として「意識すると何かの役に立つかもしれない」ということで、敢えてここで言及してみたい。それは、何という事ではない単純な話で、日韓関係についての戦略を練る上で「韓国国民の意識は、若者から戦争経験者までを含めて全ての世代に共通で、最重要課題は『独島(竹島)問題』である」ということである。

多分、「だから、それがどうした?」という程度の内容の話である。それ以上でもそれ以下でもない。しかし、私が理解したものは微妙にニュアンスが少し違うのである。つまり、物事には「手段」と「目的」というものが有り、全ての行動は「目的」のために行われ、その「目的」達成のために様々な「手段」が講じられるのであるが、多分、「『独島(竹島)問題』=『目的』」という方程式があり、その他の慰安婦問題、歴史認識、戦争に対する謝罪要求などは全て「『独島(竹島)問題』=『目的』」を実現するための手段なのである。

例えば、慰安婦問題に関しては、「被害者だと言われる女性の名誉の問題だ。だから、軍の強制を認めてさえくれれば補償などは要求しないから、その線に沿った謝罪発言を出して欲しい」といった要求を日本側に突きつけ、それならばと、(首相官邸が調べても調べても証拠が見つからない軍の関与に対し)「これで、全てを終わりに出来るなら・・・」と河野談話を発表し、その後に「女性のためのアジア平和国民基金」という民間の基金まで立ち上げて、日本国民から集めた償い金として経済的な援助を行おうとしたのに事態は逆に悪化した。村山談話にしても、それまでの謝罪とは解りにくい表現からかなり具体的に踏み込んで、社会党政権だからこそ出来た談話(しかも、閣議決定まで付いた正式な文書)まで発表したが、真の誠意が込められていないと、エンドレスの謝罪を要求する。

私は当初、韓国にとっては、例えて言うなら言葉は悪いが、ヤクザがやっと見つけた金づるに対し「とことん絞れるだけ絞ってやろう」とペンペン草も生えないほどまで金をむしり取るように、日本から得られるものはとことんむしり取り、それで国を発展させようという、経済的、政治的、軍事的な利用が「目的」なのだと思っていた。しかし、よくよく考えてみると「竹島」は既に韓国が実効支配しており、周辺の漁場の漁業権も含めて韓国が圧勝な状況である。唯一、韓国が恐るのは日本からの国際司法裁判所への提訴であるが、国際法に照らし合わせて考えると、様々な証拠でみれば不利な部分は多々あるが、それなりに言い返すための論理武装もそれなりにはある訳で、仮に5分5部ないし4分6分程度の判定なら1952年以降の実効支配という実績で十分に勝利に導く勝算があるという明らかに優位に立ちながら、李明博大統領は日本が国際司法裁判所への提訴に踏み切るかもしれない最後の一線を超えてきたのである。これは、私には意味が理解できなかった。日本側の報道では、李明博大統領が大統領退任後の逮捕のカウントダウン(最近、そのカウントダウンの音は、更に具体的な大きな音となって聞こえだしたが・・)を恐れて、逮捕されないほどの英雄になりたかったのではとの推測もあるが、であれば竹島訪問の後の天皇陛下への非礼発言などの連続パンチは理解できない。

つまり、竹島には日本からの経済的、政治的な譲歩をとことん引き出す以上の価値があると考えるのが実は妥当なのだと思う。それは、元々、50年前からそれが「目的」ではなかったのだと思う。元々は民主的とは言い難い韓国の政権が行う反政府勢力に対するガス抜きのツールであったのかも知れないし、李承晩大統領が日本に対して「胸がスカッとすることをやった」のでそれを単に象徴的に扱っていただけなのかも知れない。しかし、少々心にやましいところのある領土であるが故に、流石にいつしか日本に取り返されることを恐れ、韓国国民が「ひょっとしたら、日本の言うことにも一理あるのかも知れない」とか、「史実をもう一度調べ直して議論しよう」という気を起こさせないように、全国民規模での徹底した「洗脳教育」を始めた。現在、その洗脳教育が定着するうちに、気がつくと、戦争で実害を被ったはずの世代よりも、若い世代の方が「日本を許せない!」と思うに至ってしまった。この過程の中で、いつしか竹島が「目的化」してしまったのだと思う。

だから言い換えれば、どんなにこれ以上の謝罪を韓国に対して行なっても、どれほど慰安婦に対して経済的な補償を日本政府が直接行っても、多分、韓国国民は日本を許したりはしないのである。当然ながら、補償の規模が足りないとか、心がこもっていないとか、幾らでもイチャモンはつけようがあるから、終わることはない。そして、それが終わるとしたら、竹島を韓国に差し出して領有権の主張を取り下げるという時なのだろうと思う。勿論、その時点で韓国のナショナリズム教育が、新たな「目的」を生んでいなければの問題ではあるが・・・。

私の勝手な仮説ではあるのだが、その前提に立つとするならば、この竹島問題は何処までも永遠に避けて通れない超最優先のテーマなのだということになる。

変な喩えではあるが、トラウマを持った精神的に傷ついた人が立ち直るためには、そのトラウマが何であるのを見極め、そのトラウマの基となった忌まわしい記憶と向き合い、それを乗り越えることでトラウマを克服するのである。同様に、韓国に対しては多分、この竹島問題を乗り越えないと何処までも何処までも、次のステージへと移行することはできないのである。この辺は、仮に尖閣問題を乗り越えてもエンドレスでトラブルメーカとなる中国とは違うところなのだと思う。

勿論、竹島問題が乗り越えられれば慰安婦問題も解決するという訳ではない。しかし、今現在の「相手の言うことに聞く耳を持たない方が勝ち!」的な考え方は、相手が竹島問題を乗り越えた後ならば変わってくるだろう。折角ここまで拗れたのだから、中途半端になかったことにしようなどと思わずに、正面から向き合う覚悟を持つべきである。そして、その本丸はあくまでも「竹島」だと思って臨むべきである。

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