けろっぴぃの日記

最近、政治のことをはじめとして目を覆いたくなるような現状が多々あります。小さな力ですが、意見を発信しようと思います。

17世紀の出来事を裁くために必要なこと

2013-10-22 23:35:51 | 政治
ちょっと興味深いニュースを見つけた。まずは朝鮮日報の記事を見て頂きたい。

2013年10月22日 朝鮮日報「カリブ海諸国、過去の植民地支配めぐり賠償を要求

朝鮮日報はニューヨークタイムズの記事を引用し、カリブ海にあるジャマイカ、ハイチなどの計14カ国は、17世紀から19世紀にかけてこの地域を植民地支配したイギリス、フランス、オランダなどに対し、謝罪および金銭的賠償を要求する動きを見せていると紹介していた。パッと調べた限りでは日本のメジャーな新聞には記載がないようだが、驚くことに共産党の機関紙の赤旗がこれを報じていた。しかも、日付は8月10日と2か月以上も昔である。

2013年8月10日 しんぶん赤旗「カリブ共同体・共同市場欧州5カ国は謝罪を植民地時代の虐殺・奴隷化で補償要求へ

これらの記事は共に16世紀以降の奴隷貿易の被害者(の子孫)に対して、その犠牲に伴う損失の賠償を議論している。イギリスだけで300万人、全体合わせれば約1200万人ともいう。これらの動きのきっかけとなったのは、「英国政府は今年6月、1950年代にケニヤの独立武装団体『マウマウ』に加えた過酷な弾圧について、公に謝罪すると共に、被害者5228人に対し総額1990万ポンド(現在のレートで約32億円、以下同じ)の賠償を行うと決定した。」という成功体験によるという。同様の例は、「オランダ政府は先月(9月)12日、インドネシアでの虐殺行為について公式な謝罪を行い、犠牲者の遺族1人につき2万ユーロ(約269万円)を支払うと表明した。」と続いている。このオランダ政府が謝罪したのは、1945年から5年ほどの間に行った虐殺行為に対してであり、日本が占領していた地域を日本の敗戦とともに再占領し、その時に起きた独立運動の参加者に対して即決処刑を行い3~4000人程度が犠牲になったという。この犠牲者に対してオランダ政府は一人2万ユーロ(約270万円)を支払うという。

さて、この様な記事を喜んで赤旗と朝鮮日報が報じるというのも何処か面白いが、第2次世界大戦以降の虐殺行為への賠償と、100年以上も昔の賠償の話が同列に語られるのは良く分からない。17世紀と言えば300年前だから、300年前がOKなら500年前も1000年前もOKの様な気がしてくる。さらに言えば、日本の様に海で国境が仕切られる国とは異なり、地面続きで領土が接する欧州の国々では、国境の決定は戦略の歴史である。300年前の侵略戦争で失った領土の復帰を要求できる権利を認めるのであれば、今後、幾らでも領土紛争が発生してもおかしくはない。ナポレオン戦争の後のウイーン会議で戦争前の秩序の復帰を議論したように、関係各国はあるところで線引きをしたいところだろうが、その線引きをすべきタイミングと言うのは絶対的に正しいタイミングなどは存在しない。だから、既に時効のレベルを超えた期間の経過は、パンドラの箱を開けるのではなく基本的には現状維持の中で、個人補償の代わりに国家的な「援助」という名目で対応するしか選択肢はない。虐殺行為は領土問題よりは扱いやすい問題だが、しかしパンドラの箱を開けることは和解への近道ではなく、逆に怨念を募らせることに繋がるリスクがある。それでもオランダが賠償に応じるに至った理由は、2011年にオランダの裁判所が「戦争犯罪には公訴時効が適用されない」と判決を下したからという。ちなみにこの辺の事情は、(現在はその記事を朝鮮日報のサイトで読むことが出来ないが)先月の9月13日の朝鮮日報の記事において紹介されていた。如何にも日本に歴史問題で圧力をかけたい韓国としては嬉しいニュースなのだろう。まさにパンドラの箱が空いた状態である。

ただ、私はこの状況を寧ろ好ましい状況とみている。ここで忘れてはいけないのは、(朝鮮日報のように)これを日本と韓国の歴史問題に直接絡めて短絡的な損得勘定で一喜一憂するのは愚かである。物事を考える時、自分との利害関係を強く意識して考えると判断を誤ることは多々ある。だから、一般的な議論に立ち返って議論すべきである。ではどう考えるべきなのか?

答えは単純である。この問題は特定の国や特定の民族の歴史などに特化した問題ではない。だから、国際的な議論の中でコンセンサスをまとめ上げ、そのコンセンサスに従い全ての議論、全ての判断を行うのが筋である。つまり、国際的な法律家が多くの議論を行い、ひとつの方向性を国連の中で国際法として定め、それに従い国際司法裁判所にて判断を行うべきである。もっとも、国際法とは必ずしも明文化されたものである必要はないから、国際司法裁判所で裁判を行いながら、判例を積み重ねてその方向性を定めて行ってもいいだろう。つまり、全ての議論を当事者間(国家レベルでは2国間)で行っていては、特に17世紀の問題などを扱うことを考えればわかるように絶対に着地などできない。例えば奴隷制度への補償として子孫ひとりに100万円を払ったとして、1200万人いたら12兆円にも達する。こんな金額を笑って景気良くポンと出せる国など今はない。だから、自動的に国際司法裁判所での裁判に委ねるのが国際的な流れになるはずである。それは、中国を相手にしても韓国を相手にしても、日本としてはいずれにしても望むところである。

さらに言えば、この手の議論はブーメランのように自らのところに返ってくる。韓国を例に取れば、ベトナム戦争で韓国兵が行った膨大な残虐行為が、何時までも無限に続く時限爆弾として継続することを意味する。中国に至っては、ウイグルや様々な辺境地域でこれまでに行ってきた虐殺行為は尋常ではない。例えば、過去にも書いたが中国がウイグル地区で実施した原爆実験では19万人が急死し、急性放射線障害など健康被害者は129万人ともいう。こちらもウイグルが独立でもしようものなら、兆単位の賠償訴訟に展開しそうだ。

この様に考えると、寧ろ日本としてはこの手の議論を平場に堂々と出して、世界を舞台に議論していけば良いのではないかと思う。国際司法裁判所で議論することになれば、日本が行った虐殺行為と共に日本が行った善行も平等に表沙汰になる。戦後、日本人が韓国国内に残してきた個人財産を連合国軍および韓国が没収したことも、裁判を通して広く韓国国民に知らされることになるだろう。そうなれば、如何に韓国政府が国民の個人補償をピンハネしてきたかが良く分かるはずだ。しかも、そのピンハネの当事者の中には、現韓国大統領のお父上が含まれている。それはそれで喜劇の様な世界である。次第に韓国は、どこかで事が大きくなる前に幕引きを図らねばならないと考え出すかも知れない。慰安婦問題や歴史問題が解決するとしたらそんな状況かも知れない。

どうも日本人は事なかれ主義で物事が拗れるのを嫌う傾向があるが、実際にはそれほど悪い話ではないはずである。折角、世界が目覚めるというのであれば、日本もそれに付き合ってみれば良い。世界標準で見れば、日本はそれほど常識はずれの国ではないのだから・・・。

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