けろっぴぃの日記

最近、政治のことをはじめとして目を覆いたくなるような現状が多々あります。小さな力ですが、意見を発信しようと思います。

「日王」と日韓関係について(性悪説が前提とならざるを得ない外交問題)

2012-08-21 23:57:13 | 政治
李明博大統領の竹島訪問と天皇陛下への非礼な発言について、大方のメディアは李明博大統領の支持率の低下に苦しみ、仕方なしにナショナリズムカードを切ったかの様な報道がなされている。実際、韓国の大統領は退任後に大統領時代に行った不法行為(違法な蓄財など)の罪に問われて逮捕されることも多く、盧武鉉前大統領に至っては逮捕を目前にして自殺までしている。李明博大統領の親族も逮捕されていることからすれば、彼が盧武鉉前大統領の2の舞にならずに済むためには、対立する野党側に政権を奪われ大統領退任後に様々な追求を受けないようにするために、少しでも支持率を改善して政権交代が起きないようにすることが死活問題である。だから、少なからずその様な背景からナショナリズムカードを切ったことは確かに間違いない。しかし、様々な発言内容を見る限りでは、その様な問題とは全く異質の別の問題も、同時に背景にあるものとしか思えない。

実は、この様な疑問を感じ始めたのは、韓国の強硬姿勢について感想を問われた石破茂前自民党政調会長の発言からである。彼は、李明博大統領の天皇陛下への謝罪を求める発言以上に、李明博大統領が使った「日王」という言葉に過剰に反応しているように見えた。そこで「日王」の意味を調べてみると、韓国国民が日本に対して抱く蔑視感情が、現政権内にも(特に最高権力者である大統領を中心に)蔓延していることが読み取れる。

この「日王」にまつわる過去の日韓関係における経緯については、私が愛読する「ぼやきくっくり」さんの下記のブログにまとめられているので参考にして頂きたい。 3ヶ月ほど前に書かれた記事であることが今回のことを予測していたかのようで興味深い。

ぼやきくっくり: 『天皇』を『日王』と呼ぶ韓国メディア「諸君!」06年4月号&慰安婦問題でまた…

ここでは議論をもう少し整理するために、「皇帝」と「国王」の関係についても整理しておく。「皇帝」と「国王」と聞くと、我々の感覚では殆ど差がないように思われるが、実際には微妙にニュアンスが異なっている。分かりやすく言えば、「皇帝」と言われて思い出すのはローマ帝国の皇帝とか、フランスの第一帝政のナポレオン皇帝とか、いわゆる「帝国」とセットで「皇帝」という称号が使われる。これは、ある程度限定された地域を支配する「国」に対し、多くの国を含む広大な領域を纏め上げた存在として「帝国」という言葉を用い、その帝国の支配者が「皇帝」なのである。つまり、「皇帝」は多くの王国のトップである「国王」を率いている、「国王」の上位に君臨する存在なのである。中国の秦の始皇帝に関しても、中国統一を成し遂げたことからこの称号を用いている。つまり、この「皇」の字には「王」の上位に君臨する意味が込められており、朝鮮半島の歴史の中ではどうやら中国に遠慮して「皇」の字を用いることを(一部の例外を除き)避けてきた経緯がある。一方で日本の「天皇」の呼び名は、もともとは「スメラミコト」と呼ぶべきところを、中国に対して漢字で表現する際に、中国の「皇帝」の称号に遠慮しながらも、神の流れを受け継ぐという意味での「天」の字を用いて「天皇」という称号を利用するようになったということのようである。1889年(明治22年)2月11日に大日本帝国憲法が発布され、1890年(明治23年)11月29日に憲法が施行されるにあたり国名を「大日本帝國」と称したとのことであるが、(その後のアジア諸国を植民地化することになり、結果的には「帝国」となったかも知れないが)この時点ではまだ日本は単なる島国でしかなかったから、本来の「帝国」の定義からは外れてイメージ戦略的に名称をつけたことになる。これらの意味で、元々は「天皇」の「皇」の字にはアジア諸国を支配する意味を持っていなかったのは明らかだし、あまり日本人が「帝國」や「皇帝」の定義を厳密に受け止めることもなしに、歴史的な経緯から「天皇」の称号を利用し続けていたことは明らかである。また、国際社会は(あまり定義に照らし合わせるとその称号に対して合理性がないかも知れないとの認識はあったかも知れないが)長い歴史の中で国際的に認知された称号として日本の「天皇」という呼び方を正式名称として広く利用している。

しかし、日韓併合以降の日本支配の屈辱がトラウマのようになり、韓国の国民が日本を忌み嫌い、憎み、その中で「皇」の字だけは使用することを許せないとの思いを強くし、更には中国が日本を子馬鹿にして「小日本」と呼ぶように、「日本国王」ですらない蔑称として「日王」という言葉を頻繁に用いるようになったようである。ニュアンスが正しいかどうか分からないが、国家というレベルの「国王」より格下の、例えてみれば志村けんの「バカ殿」的なイメージで「日本の殿さま」とでも呼んでいる様なイメージだろうか?

そして、この李明博大統領は、今回の発言では明らかに「日王」と呼んでいたし、過去にも何度かこの蔑称を使っていた実績があるという。信憑性の高いマスメディアでの扱いがないので詳細は控えるが、実際には天皇陛下への謝罪要求以上に天皇陛下を子馬鹿にした発言をしていたとの噂もある。つまり、李明博大統領は確信犯的に、日本という国を「隣国」「友人」という位置づけとして扱っているのではなく、明らかに自分よりも「格下」の存在として蔑み、その様な相手に対してはそれなりの対応(非礼)をしても許される、つまり日本に対する非礼は全く気にすることなどない・・・という意識を持って、現在の大統領職を務めていることになる。

我々、日本の政府は、(戦前は非礼を尽くしたかも知れないが、少なくとも戦後に関しては)仮に相手国が如何なる野蛮な国家だろうと、その国の元首に対して非礼な発言など決して使わない紳士的な対応をしてきた。それは、戦前の反省を込めて、外交においては相手国が「性善説」を我国に期待しているものとして、それに応えようと誠実に対応してきたようなものだろう。しかし、実際に我々が(中国はともかくとして)彼らだけは「友人」であろうと信じてきた韓国が、実は「性悪説」を前提として日本に接していることを思い知らされた感がある。庶民レベルでは如何なる非礼も「人それぞれ」と聞き流すしかないが、国家の最高権力者という公人が堂々と非礼を尽くすというのは、我々としては常軌を逸しているとしか思えないが、これが現実なのである。

当然ながら、(「友人」ではないかも知れないが)少なくとも韓国は「敵」ではないことには間違いない。しかし、相手が「性悪説」を前提とすることを公言して憚らないのであれば、我々は何時までも「性善説」を前提とした対応をするのではなく、両者が緊張感を持って「無茶をすると、両国の為にならない」と相互に確信できるような対応をせざるを得ない。幸いにも我々は中国と異なり韓国に対しては多くのカード(韓日通貨スワップ協定の中断、韓国国債買入方針撤回、国際司法裁判所への竹島問題の提訴、国連総会で安保理非常任理事国選出での韓国不支持など)を持っている。だから、韓国内の「反日教育」を撤回させる程度のプレッシャーを与えるぐらいのことは、心を鬼にして行う方が長期的には両国(つまり韓国)のためになるのではないかと思う。多分、韓国が反日教育を続けた期間と同程度の期間を経なければ、この拗れた関係は元には戻らないだろう。親日家が多いことで有名な台湾も、かっては反日教育が続けられてきたという。李登輝総統以降、反日教育が見直されて親日の国家となった。であれば、一刻も早く、韓国も反日教育を止めるよう、我々はアプローチをかけなければならない。

まずは経済的な制裁で韓国側の冷静な対応を求め、国際司法裁判所への提訴で世の中のルールを知らしめる(実効支配されているので裁判で負ける可能性は非常に高いが、歴史的な経緯がどうであったかぐらいは明らかになるはず)。最後には、橋下大阪市長が慰安婦問題の証拠を韓国に求めたように、歴史問題をFactベースで双方が議論し合う場を作り出す。この様に、前向きで建設的な関係を築くことで、韓国国内に「本当に反日教育のままで良いのか?」という考えを芽生えさせることが将来につながると思う。

一度高まったナショナリズムを抑えるのは至難の業だが、いつかは通らなければならない道である。ひょっとしたら、今がチャンスと見るべきなのかも知れない。

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