けろっぴぃの日記

最近、政治のことをはじめとして目を覆いたくなるような現状が多々あります。小さな力ですが、意見を発信しようと思います。

60年安保、70年安保闘争のデモと比較して分かること

2012-07-08 23:59:59 | 政治
毎週、首相官邸前で反原発のデモが行われている。先週末のデモには、坂本龍一「教授」も参加し、ネットを通じて徐々に広がりを見せているようだ。

マスコミは概ね、その活動が正しいものと捉え、好意的に扱っている。中東のジャスミン革命が腐敗の進んだ長期政権を打ち破ったのを引き合いに出し、あたかもそれが同列に扱えるかのように報じている。しかし、本当にそうだろうか?冷静に考えてみたい。

そもそも私の議論は、この反原発デモはいつか何処かで見た景色ではないか・・・というとことろから始まる。最も、私の年代ではライブで体験したわけではない。テレビの映像で、ないしは人づてに聞いたに過ぎない。それは、60年安保、70年安保闘争である。国会議事堂を取り囲んだり、東大安田講堂を占拠したり、学生を中心とするその活動は相当な社会問題化して扱われていた。あの東京大学の入学試験が中止されるほどのインパクトだから、その盛り上がりは想像を絶する。一部の組織は精鋭化し、徐々に一般の人々の支持が離れていったのかも知れないが、その当時のデモ参加者は「自分たちの声で、政治を動かせる」と確信していたに違いない。その後、その確信が失望につながるのであるが・・・。

しかし、それから4、50年が過ぎ、そろそろ歴史がその活動について評価を下すことができる程度には頭の熱が冷めてきた頃であろう。今となって振り返ったときに、「あの時に、デモの意見が政治的に了承され、日米安保が破棄されていたらどうなっただろう・・・」と考えを及ばせてみると、何か見えてくるものがあるだろう。多分、大多数の人々は賛同してくれるだろうが、60年安保が不調に終わり、日本がアメリカとの関係に一線を画していたら、日本の高度経済成長はなかったかも知れない。東西冷戦時代、ソ連、中国を中心とする東側諸国は、共産主義圏を広げるために様々な手を尽くした。ベトナム戦争なども、西側諸国と東側諸国の代理戦争的な面があるから、あの時代に少なくとも本土から米軍が居なくなり、東アジアにおける米軍のプレゼンスが弱まっていたら、最悪の場合には日本にもその流れが押し寄せてきて、東西の綱引きの場になっていたかも知れない。その様なことになれば、軍事的に無防備ではいられないから、自国で軍隊を持つべきということになるのは容易に理解できる。その際の軍事費は、ソ連、中国に十分に対抗できるレベルでなければならないから、GNPに対する軍事費の占める割合は大きくなり、結果的に経済成長の足を引っ張ることになる。アメリカも日本がいつの日か共産圏に取り込まれるかも知れないとなれば、日本にハイテク産業が育つことを許容できないだろうから、さり気なくブレーキをかけるように様々な足枷を求めることも容易に予想できる。多分、それらの殆どは目に見えにくい形で行われるのであろうが、したたかな国が本気で勝負をかけてくれば、それだけで経済成長に与える影響は大きい。だから、あの時にデモに加わっていた人々に「あの経済成長が達せられなかったとしても、それでも日米安保は結ぶべきではなかったと思いますか?」と質問を問いかければ、まず、99%の人は「日米安保は、少なくとも仕方がなかった」と答えるだろう。つまり、あの時のでもに加わっていた自分たちの考えが、非常に青臭い若気の至りとでも言うべき感情に根ざしていたと思い知るだろう。

私が学生運動について最初に聞いたのは、高校の時の担任の先生が「俺が高校のとき、70年安保で敗れた大学の運動家が、『戦いに勝つには、高校生レベルから意識を変えないといけない』と高校に照準を合わせ、高校まで学生運動が降りてきて、生徒会長がその流れに走るのを(ナンバー2か3の担任が)ブレーキをかけるのが大変だった」と語っていたことだった。若者特有の潔癖性的な感覚が原理原則に照らし合わせた場合に、「平和が一番、外国の軍隊なんてとんでもない」という感情が沸き上がることを利用した行動であるが、問題は世の中はそんな理想論だけでは動かないということである。

例えば、こんな例え話はどうだろうか?暴力団と暴力団が仲違いをして、今にも拳銃で打ち合いを始めようとしている。そんなところでドンパチ始まったら周りの一般人に迷惑がかかるから何とかしなければならない。そんな時、丸腰の自分が間に入り、暴力団同士のいさかいを止めることが出来るだろうか?当然、そんなことは不可能であり、少なくとも拳銃を持ったお巡りさんを呼ぶのが一番である。もし警察が当てにならないのであれば、アメリカのように護身用の銃をもつことを求める動きも沸き起こるかも知れない。だから、現実を直視した上で、Bestな選択ができないならSecond Best的な選択が何であるかを考えなければならない。

脱原発に関して言えば、20年程度のスパンの中で現在の原発を廃炉に導きながら、徐々にフェードアウトしなければならないことは、現在では殆どの人が疑わない。しかし、その様なソフトランディングではなく、即座の脱原発、原発停止を求めるならば、経済に与える影響は計り知れない。だから、当然ながら明確な安全基準とその管理体制が整うまでは、大飯原発は期間限定での再稼働であるべきだし、それなりのハードルを課した上で、原発とどう向き合っていくかを真面目に考えなければいけない。そして、例えば原発の廃炉のために新たな技術が必要であれば、そのための技術者も育てなければならないし、お金もかけていかなければならない。その様なことを考えた上で、今回のデモ参加者が行動しているのであれば、50年後に振り返ったときに自分の行動に納得出来るだろうが、もしそうでないのであれば、過去の経験をまた繰り返すだけの危険性をはらんでいる。

自分の中の上っ面の正義感は、あまり信用しない方が良いのかも知れない。

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