けろっぴぃの日記

最近、政治のことをはじめとして目を覆いたくなるような現状が多々あります。小さな力ですが、意見を発信しようと思います。

現在の法で裁けない利権と利益供与の闇

2014-10-29 23:58:40 | 政治
先日、政治資金がらみのスキャンダルで小渕優子前経産省が辞任した。この様に最近、「政治とカネ」が紙面を賑わしているが、私が最近気になる巨大な利権と利益供与のお話について今日は書いてみる。

まず小渕氏についてはこのブログでもコメントしたが、法律に触れる部分は司法の判断で適切に対処して頂けばよい話で、一方でその悪質さに見合ったペナルティが与えられることを私は期待する。その後の報道では、「選挙区外でしか配っていない」と言われたワインが選挙区内の有権者に(何かのお祝いで?)配られた例が1例見つかったようで、報道機関は勝ち誇ったように報道する。この1例に関しては、(何のお祝いで背景的にどの様に悪質性を評価されるのかは分からないが)少なくとも法に触れている可能性は極めて高いので、司法の物差しで適切に評価して処罰をすればよいと思う。しかし、気になるのはこの一例を除き、観劇会に関する「典型的な買収構造」と言われるケースについての「買収の証拠」などは報道されておらず、こちらの方は政治資金収支報告書への記載不備で終わってしまう可能性が高いように見える。今日の報道では、私からすれば「これほどしっかり者はいない」と感じる民主党の枝野幹事長ですら数百万円単位の収支報告の未記載が発覚しているくらいだから、政治が本業の政治家において、この様な事務手続きに関しては「ミスが発覚したら、誠意をもって修正&説明などの対応する」を前提に、運用を柔軟にするのがあるべき姿の様に感じる。要は「悪質さ」の程度であり、巨大な利権の影がそこになければ、些末なことで本業を疎かにするのは疑問である。

一方の松島前法務相の辞任に関しては、どうやら柄のついた団扇が「有価物」と見なされるのは現実的なようだが、柄を取り除いた円形の紙だけの団扇に関しては総務省的にはOKである。この判例的なコンセンサスが多くの政治家の中では一般的であったようだが、しかし、これは単なる「法の抜け道」を探しているのに等しい。実際、蓮舫氏は過去のツイッターで女子高生から「団扇」としての評価を受けたことに謝意を表しているので、自身の「配布物」も実質的に「団扇」であることは認めている。オークションでの相場は松島氏も蓮舫氏も膨大な額の価格がついているので、結果的に「有価物」となっているのも同じである。この意味において、蓮舫氏などの行為は単に法の網を潜り抜けた行為とみなすことが可能であり、「法的責任」と「道義的責任」と分ければ、「法的責任」はその悪質さを司法に委ねて判断してもらう一方、「道義的責任」としては同罪とすべきだろう。危険ドラッグを例にとれば、その時点で法的な規制がかかっていない「違法とは言えない」ハーブを芸能人が使用していたことをマスコミにすっぱ抜かれたとき、「法的責任」は問えないが「道義的責任」としてぼろ糞に叩かれるのと同様で、柄のある団扇が違法であると知りながら、法的責任を回避可能な柄のない団扇を配布するのは決して褒められた行為ではない。

以上は、マスコミが喜んで扱う「政治とカネ」ネタであるが、私からすると些末な話題で大騒ぎしている様にしか見えない。しかし、ちょっと思い出してみると、もっとややこしくて巨大な利権が動いたケースがつい最近会ったはずである。そう、再生可能エネルギーに関する利権である。

先月、九州電力が送電設備の容量不足のリスクを理由に、再生可能エネルギーの固定価格買い取り制度に基づく契約の受け付け入れを中断することにし、この動きが日本全国に波及している。誰もが当初から指摘する通り、今回の制度は濡れ手に粟の無謀な制度であり、一旦設備を構築して売電を開始すると、その設備が稼働している間、膨大な利益を生み続けるというリスクのない非常に効率の良い事業である。しかし、その膨大な利益を誰が負担するかと言えば、電気を使う一般国民が電気料金の中で支払うことになる訳で、殆ど消費税に近い「生活に付随して否応なしに支払いが強制される支出」という側面がある。ぽっと出の話に飛びついて投資をする余裕のある財力のある企業は直ぐに飛びつき、そこでその利権を貪ることが出来る訳である。残念なことは、太陽光発電はその発電量が不安定で、年間通じての平均発電量は昼間の最大発電量の11%程度に過ぎない。発電設備は通常は土地が安く、しかも晴天率も含めた年間の日照時間が長い地域に設置されると利益率が高く、実際に電力を多く消費する地価の高い都市部からは離れた場所に位置し、大量の電力が必要な時に雨天等で使い物にならない可能性もある。私の主張する「太陽光発電の地産地消」の視点では、一般住宅の屋根での発電を奨励すれば、都市部で電力が必要な真夏の晴天時には太陽光発電量が増大し、逆に発電量が少なくなる雨天時には電力消費量も少ない。雪が屋根に積もる場合は状況は微妙だが、電力が必要な時に発電量が多く、電力が不要な時に発電量が少ないというのは理に適っている。しかも、その利権を特定の業者が貪るのではなく、より多くの国民に還元するのであれば不公平性は多少はましである。しかも、発電量の多くは自宅でも消費し、残りの余剰電力の買い取りを高価で行うのであれば、発電全量の買い取りを余儀なくされる発電業者のケースよりも、国民の負担は大幅に軽減可能なはずである。

しかし、実際には再生可能エネルギーの固定価格買い取り制度が成立してしまったがために、一部の業者のみに利益が還元される歪な状態が出来てしまった。その法案が成立する経緯では、反原発の一大キャンペーンを多くのマスコミが繰り広げる中で、菅元総理がポピュリズムの際たる政策としてこの政策をアピールし、孫正義氏とタッグを組んで「これこそは正義」とばかりに多くのニュースで繰り返し流されることになった。巷では巨大なNTTなどの既存の事業者と戦う孫氏を「改革者」的に位置付けていたから、その孫氏の威を借りて菅元総理も自らの政治的ポジションを「改革派」的に国民に印象付けようとし、実際にその試みはそれなりに成功したと言える。その時点では選挙はなかったから公職選挙法とは無縁かも知れないが、結果的には孫氏から菅元総理は「国民からの好感度アップ」の便宜を受けて、その見返り的に孫氏はこの制度を利用して膨大な事業を展開するに至った。実際、孫氏はSBエナジー社を立ち上げ、日本全国にソーラーパークを建設しまくり、原発数基分の電力の発電を行っている様である。

この利権と便宜供与の構図は、今までの絵に描いたような買収の構図とは全く異なるものである。しかも、反原発派の人達にしてみれば、殆ど「必要悪」として許容されてしまうだろう。朝日新聞の様に、目的のためには手段を選ばない報道もあるから、その様な報道機関は孫氏の行動を責めたりはしないだろう。というより、孫氏は純粋にビジネスをしていただけで、菅元総理がエゲツナイ下心で孫氏を利用しただけと見るべきかも知れない。しかし、そこに膨大な利権があり、結果的に貧困家庭からも電気料金の徴収の中で膨大な負担金を捲き上げることになっている。正確に言えば、今現在はそこまで負担金は増大していないが、ドイツの例を見れば将来的にその様になるのは明らかであった。

それが今回、受け入れの中断となったためにこの後の再生可能エネルギーの発電量の伸びは微妙かも知れない。しかし、多くの人が電力会社の受け入れ中断は想定内の展開と認識しており、さらに初年度の買い取り価格の42円/kWhは年々下がるのも容易に予見できる状況だから、孫氏は受け入れ中断の影響を受けることはく巨万の富を長期に渡り得続けることになる。

多分、ここまで来ると孫氏はホリエモンの様に国策捜査で検察に刺されることはないだろう。だから、巧みに合法的に利権を我が物にしたこの状況は既に逃げ切り体制に入ったと言って良い。しかし、この様な新種の買収・便宜供与の構図は今後も出てくる可能性は十分にある。せめて菅元総理には責任を取って欲しいが、現在の法律では追及は厳しい。法的責任が無理なら道義的責任だけでも・・・とも思うが、当の本人は暖簾に腕押し状態で、責められても「自分は良いことをした」と勘違いしているから何ら悪びれることもない。「悪質さ」の定義も人それぞれという訳である。先程述べた通り、反原発を謳うメディアには責任追及は期待できない。

しかし、政治が劇場化しつつある現代では、著名人が絡んだ同種の問題は引き続き起きてもおかしくはない。何が悪くて何が許されるべきかも含めてであるが、何らかのルールは今後必要になるのではないかと感じる。些末な問題で騒いでいる場合ではない。

←人気ブログランキング応援クリックよろしくお願いいます


最新の画像もっと見る

コメントを投稿