けろっぴぃの日記

最近、政治のことをはじめとして目を覆いたくなるような現状が多々あります。小さな力ですが、意見を発信しようと思います。

「解釈改憲」と「憲法解釈の変更」の違い

2015-10-01 01:07:41 | 政治
最近、先週末の朝まで生テレビを少しづつ見ているのだが、まだ最後まで見終わっていない。全て見終わったところでまた何か書こうかと思うのだが、途中経過の中で些細な話ではあるがちょっと気になった点を整理してみたい。それは「解釈改憲」と「憲法解釈の変更」の違いについてである。

まず確認しておきたいのだが、安倍政権は明確に「解釈改憲」ではないことを宣言している。私の当初の理解では、「憲法解釈の変更を行ったのではなく、集団的自衛権の解釈を変更した」のだと思い込んでいたが、これはどうやら間違いで、「憲法解釈の変更」は行われていたということらしい。この辺の理解は以下に説明を加えておく。

まず、昨年5月15日に行った安保法制懇談会の報告書提出を受けての「平成26年5月15日 安倍内閣総理大臣記者会見」の中で安倍総理が以下の様に語っていた。

「今後、政府与党において具体的な事例に即してさらなる検討を深め、国民の命と暮らしを守るために切れ目のない対応を可能とする国内法制を整備します。これまでの憲法解釈のもとでも可能な立法措置を検討します。」
「切れ目のない対応を可能とする国内法整備の作業を進めるに当たり、従来の憲法解釈のままで必要な立法が可能なのか、それとも一部の立法に当たって憲法解釈を変更せざるを得ないとすれば、いかなる憲法解釈が適切なのか。今後、内閣法制局の意見も踏まえつつ、政府としての検討を進めるとともに、与党協議に入りたいと思います。与党協議の結果に基づき、憲法解釈の変更が必要と判断されれば、この点を含めて改正すべき法制の基本的方向を、国民の命と暮らしを守るため、閣議決定してまいります。」

つまり、基本的には現行の憲法解釈を逸脱しない範囲で国内法制を目指す一方、どうしても憲法解釈の変更が必要となる法案に関しては、新たな憲法解釈としてどうあるべきかも含めて議論するというものであった。横道にそれるが、ここでは憲法9条の基で自衛隊が合憲である根拠を説明していたが、私がこれまで理解していた芦田修正の立場には歴代内閣は沿っておらず、憲法13条を自衛隊の合憲性に関する法的根拠にしているとのことだ。

この後、7月1日に新しい安全保障法制の整備のための基本方針を閣議決定した後の記者会見で、「現行の憲法解釈の基本的考え方は、今回の閣議決定においても何ら変わることはありません。」と語っている。この後の様々な場での発言でも、今回の安保法制では従来の憲法解釈の基本方針からいささかも逸脱していないとの発言をしている。一方で、今年に入っての参議院での論戦では、「国際情勢にも目をつぶって、その責任を放棄して従来の(憲法)解釈に固執をするのは、まさに政治家としての責任の放棄だ」とも語っている。

この様に考えると、安倍総理は「憲法解釈の変更」を意識しているものの、明確に「憲法解釈の変更」を行ったとは宣言していない。安倍総理の発言を検索する限りでは、少しの検索では引っかからないのだ。

そこで、「解釈改憲」と「憲法解釈の変更」の違いについての解説が何処かにないかと探してみたら、どんぴしゃのものがあった。ただ、これは弁護士ドットコムで読者からの質問に(サイト運営側の?)弁護士の個人的な見解を示したもので、それ程、権威のあるものではない。それを承知で引用してみよう。

弁護士ドットコム「『解釈改憲』と『憲法解釈の変更』の違いとは?

(質問)「解釈改憲」と「憲法解釈の変更」の違いとはどのようなものなのでしょうか?
(回答)解釈改憲というのは、本来は、憲法改正手続を経ない限りできない国家行為を、憲法解釈の枠内で、合憲であると主張して、その国家行為を、政府や国会が行うことを言うのだと思われます。憲法解釈の変更というのは、たとえば、裁判所が、これまで合憲と判断してきた国家行為を、違憲だと判断する場合をいうのだと思われます。

この説明は分かり易い。噛み砕けば、「解釈改憲」とは実質的に「改憲」に相当する行為を一方的な主張で行うことであることに対し、「憲法解釈の変更」とは憲法を維持したまま、時代の変化に伴い「法的安定性」を一部犠牲にしながら、その「法的妥当性」を優先して憲法の枠内で解釈を変更することに相当する。つまり、前者は憲法の枠を逸脱し、後者は憲法の枠内での行動に相当する。この様な理解をした上でかどうか知らないが、朝生に出演した片山さつき氏は「憲法解釈の変更」を行ったと明言している。産経新聞ですら、「憲法解釈の変更」は明言している。

一方で、公明党のホームページ内には下記のニュース記事があった。

公明党「『解釈改憲』の批判は誤り

これは、参院予算委員会で公明党の西田実仁参院幹事長が横畠裕介内閣法制局長官に対して行った質問の紹介である。その一部を以下に抜粋する。

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西田氏は、今回の閣議決定について一部の報道で「9条崩す解釈改憲」などとの不安をあおる論調が見られる点に言及し、内閣法制局の見解を求めた。
横畠内閣法制局長官は「今般の閣議決定は(自衛権に関する政府の憲法解釈の基礎となっている)1972年の政府見解の基本論理を維持しており、これまでの憲法第9条をめぐる議論と整合する合理的解釈の範囲内のものであると考えている」と指摘。
その上で、「今般の閣議決定は、憲法改正によらなければできないことを解釈の変更で行うという意味での、いわゆる解釈改憲には当たらない」と明言した。
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これは公明党の公式見解に相当し、やはり明確に「解釈改憲」ではないとしている。ちなみに、昨年6月の段階で公明党の山口代表は「憲法の規範性、論理的整合性を保つ中で憲法解釈は形成されてきた」、「憲法解釈を基本的な規範の枠内で整理、補充、明確にする機能を政府は持っている」と述べ、実質的に憲法解釈の変更を容認している。

なお、さらに調べると、自民党は昨年7月の閣議決定後に「安全保障法制整備に関するQ&A」を発表している。少々長いが以下にポイントを抜粋する。

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Q2 憲法解釈の見直しは立憲主義に反するのではないですか?
A2 立憲主義に則って政治を行っていく、当然のことです。憲法解釈については、最高裁判所に解釈を最終的に確定する権能がありますが、行政府が憲法第65条(「行政権は、内閣に属する」)の下、行政権を執行するために憲法を適正に解釈します。
今回の閣議決定は、憲法の規範性を何ら変更するものではなく、これまでの政府見解の「基本的な論理」の枠内における合理的な当てはめの結果です。立憲主義に反するものではありません。
なお、読売新聞社説(7月2日掲載)でも、「今回の解釈変更は、内閣が持つ公権的解釈権に基づく。国会は今後、関連法案審議や、自衛権発動時の承認という形で関与する。司法も違憲立法審査権を有する。いずれも憲法の三権分立に沿った対応であり、『立憲主義に反する』との批判は理解し難い」――と指摘されています。
Q3 今回の「解釈改憲」で憲法の規範性が損なわれる、との批判がありますが。
A3 今回のいわゆる自衛の措置としての「武力の行使」の「新三要件」は、わが国を取り巻く安全保障環境の大きな変化を踏まえ、昭和47年の政府見解の基本的な論理の枠内で合理的に導いた、当てはめの帰結です。
解釈の再整理という意味で一部変更ではありますが、憲法解釈としての論理的整合性、法的安定性を維持しています。憲法の規範性を何ら変更するものではなく、合理的な解釈の限界を超える、いわゆる「解釈改憲」ではありません。
集団的自衛権の行使容認の検討にあたり、現行憲法の下で認められる自衛権の行使は、必要最小限度の範囲内にとどまるという従来の基本的立場を変えるものではありません。また、今回の閣議決定により、直ちに自衛隊が活動を実施できるわけではありません。今後、法律の改正が必要となります。政府において必要な法案の準備ができ次第、国会で審議を行うことになります
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つまり、「解釈改憲」と「憲法解釈の変更」は似て非なるものであり、意味するところは180度異なっている。憲法第65条で合憲的に認められた行政府の権能を行使するのが「憲法解釈の変更」であり、合理的な解釈の限界を超えた「解釈改憲」とは全く別物である。
私はその差を理解できなかったが、多分、多くの人はその差を理解せず、自民党や公明党ですら「憲法解釈の変更」を認めているのだから、「解釈改憲」であることが確定!とばかりに勝ち誇った報道が多いが、明らかにミスリードの意図がそこにある。

なお、ついでにコメントしておくと、安保法制反対派が砂川判決が集団的自衛権の合憲性を認めていないという主張は多分正しい。しかし、「この主張が正しいこと」と、「自民党の主張が間違っていること」はイコールではない。少々ややこしいが解説する。以下に高村副総裁講演記事を紹介する。

産経ニュース2015年2月21日
【高村副総裁講演詳報】
『民主・岡田氏の批判は政争のためといえるでしょう』集団的自衛権行使めぐり

この記事の中で、高村副総裁は次のように語っている。

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憲法の番人である最高裁が自衛権に触れたのは後にも先にも(昭和34年の)「砂川判決」だけです。自衛隊の合憲性を判断する判決ではありませんが、「国の存立を全うするために必要な自衛措置は講じ得る。主権国家として当然である」と言っている。
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ここで「自衛隊の合憲性を判断する判決ではありません」としており、当然ながら集団的自衛権の合憲性もここでは議論していない。しかし、砂川判決は統治行為論を認めた判決である。統治行為論とは、「国家統治の基本に関する高度な政治性”を有する国家の行為については、法律上の争訟として裁判所による法律判断が可能であっても、これゆえに司法審査の対象から除外すべきとする理論」であり、砂川判決の中でも「一見してきわめて明白に違憲無効と認められない限り、その内容について違憲かどうかの法的判断を下すことはできない」としている。つまり、高村副総裁は集団的自衛権の合憲性を主張しているのではなく、集団的自衛権が「一見してきわめて明白に違憲無効と認められない」のであれば、「違憲ではない」と主張しているのである。「違憲立法」は禁止されているが、「違憲ではない」立法は禁止されていないから、立法府及び政府の裁量の範囲内と説明しているに過ぎない。しかし、野党の主張や報道を見る限りでは安保法制が「一見してきわめて明白に違憲無効と認められる」根拠は聞いたことがない。あくまでも、これまでの政府答弁との不整合性を突くだけで、解釈の変更に関する裁量権が憲法で認められる以上、「一見してきわめて明白に違憲無効と認められる」とは言えないはずである。

以上、色々書いてきたが、結構、紙一重のところで論点はズレていて、野党やマスコミはそのズレを都合良く利用しているに過ぎない。ミスリードばかりしていると、そのうち、お尻に火がつくことになると思うのだが・・・。

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