けろっぴぃの日記

最近、政治のことをはじめとして目を覆いたくなるような現状が多々あります。小さな力ですが、意見を発信しようと思います。

国家権力の暴走を止めるのが目的ならやり方が違う!!

2016-03-05 00:03:46 | 政治
長いことブログが書けなかったが、少し時間が出来たので久しぶりに書いてみたい。時すでに遅しという感もあるが、先日、田原総一郎氏などが高市総務相の停波発言に対して批判する行動を起こしたことについてのコメントである。

既に多くの議論がなされており、大体はそれで十分なのだが、部分的に議論から漏れていると感じる点について若干補足したい。まず、大局的な話は下記の2件をご確認いただければ、これで十分整理されていると思う。

YouTube 「[2016.2.13]【完全版】辛坊治郎ズーム そこまで言うか!」1:10:15~1:20:54
長谷川豊公式ブログ 本気論 本音論「『政治的公平性は権力者側が決めるものではない』は正論だが、アホみたいな給料をもらい続けている既得権益集団が決めていいものでもない

前者のYouTubeは後半の1時間10分辺りから10分程度なので聞いていただければと思うので、ここでは敢えてその内容についての紹介はしない。それでも私がこの記事を書こうと思ったきっかけは、2/26の朝まで生テレビの冒頭で一方的な主張が垂れ流され、非常に不愉快に感じたからだ。そこで幾つかの追加の論点を整理したい。

(1)田原氏達と民主党の主張の関係
まず、朝まで生テレビには民主党の小西洋之参議院議員が参加していて、好き放題のことを言っていた。番組としては、この小西氏と田原氏達が結託して自民党を批判しているのだが、この批判は何とも不自然なのだ。多方面で指摘されている通り、民主党政権の多くの閣僚も高市総務相と同様の国会答弁をしていたので、その発言の内容自体が問題なら、本来は民主党政権時代に自称ジャーナリスト達は当時の政権に噛みつかなければならなかった。しかし、実績としては誰ひとり噛みついた人はいない。ただ、その当時に噛みつかなかったのは「きっかけがなかった」からだと弁解するかも知れないが、今回、ここまで問題が表に出たのだから、民主党に対してもその立場を明確にすべきである。しかし、番組の中での議論の行方は、決して民主党を批判するものではなく、民主党員からの批判を受けて「そうだ!そうだ!」と一緒になって批判しているのである。

この様に書くと、何故、小西氏は自分達の発言を棚に上げて自民党を責めれるのか…と思うのだが、その理由は以下の点である。それは、「高市総務相はひとつの放送局ではなく、ひとつの番組を例えば4ヶ月とかモニタし、政治的な公平性に明らかに欠ける場合にはそれを理由にテレ朝の電波を停止させることが出来ると発言した」という点である。民主党は国会でも同様の質問をしていて、自分たちは「(停波自体は問題ではなく)少なくともひとつの番組ではなく、複数の番組を見て総合的に判断すべきという立場」だと主張している。その差が「天と地」の差であり、「ひとつの番組」と言った高市総務相は許せないというのである。

そこで私が問いたいのは、田原氏達自称ジャーナリストは、この小西氏の主張に同意するのか否かである。つまり、「複数の番組で判断されるならば、国家権力による停波は止む無し」という立場なのか、「複数かひとつの番組か?などというのは枝葉の問題で、国家権力による停波自体が問題である」という立場なのかである。もし後者ならば、朝生の中で田原氏達は小西氏に対し、「お前が言うな!」「お前に資格などないだろ!」と一喝すべきであった。しかし、場の雰囲気はまったく真逆で、自民党の吊るし上げを結託して行っている同志という感じだった。これは論理的に矛盾している態度である。ジャーナリズムを自称する以上、自分の論点を自分の中で整理し、その主張の論理的一貫性を守るべきである。

ちなみに話は逸れるが、先日、自民党の某議員がゲス不倫問題で辞任したが、彼の何処に問題があったかと言えば、不倫自体が問題だった訳ではなく、育休という少子化問題にまつわる問題を自らの売名パフォーマンスのために悪用した点にあると思っている。その意味では、この小西氏は様々なところで売名パフォーマンスや恫喝的なことを平気でやっていて、安倍総理の言葉ではないが「(私が民主党員だったら)政治家を辞めるという選択肢がある」という言葉を実践して欲しい政治家だ。

(2)問題の本質は「法律の恣意的な運用」では?
次に議論したいのは、今回の議論は「放送法のあり方」という範囲の狭い問題ではなく、国家権力の暴走を如何にして止めるかという問題がその本質にあると思っている。ジャーナリズムが国家権力を監視する必要があるのは、国家権力はいつ暴走しだしてもおかしくないので、常にその暴走を監視する必要があり、報道の自由はその監視機能を正常に機能させることを保証するための権利である。その監視の第一歩は「国家が法律を恣意的に運用する」ことの監視であり、例えば中国政府などは法律を恣意的に運用し、政府に異を唱える者は簡単に牢屋に投獄できるのである。実際、中国国内にはスパイ容疑で数名の日本人が投獄されているが、この様な暴走が日本で起きないようにすることは非常に重要である。この様な国家の暴走を回避する第1の手段は、国家に「法の下の支配」を徹底させることである。勿論、戦時中の日本の様に国会議員が結託して国家の暴走を後押しする法律を作ったら問題だが、そうでなければ「法の下の支配」は最低限守るべき原理原則である。この辺の話は、私の過去のブログで書かせて頂いた。

けろっぴぃの日記 2014年9月7日「ジャーナリズムによる『法律の恣意的運用』の強制

ここでも書いているように、国家による「法律の恣意的な運用」は止めなければならないが、そのためには第1歩として、国家権力サイドでなければ「法律の恣意的な運用」は認められるという甘ったれた考えを払拭すべきである。つまり、ある日突然、恣意的に国家権力により投獄されたくないのならば、仮にオウム真理教の信者であっても、法律を恣意的に捻じ曲げて投獄するようなことはしてはいけないのである。古くは明治時代の大津事件の様に、ロシアの皇太子の殺人未遂だからと言って「殺人未遂に死刑を適用する」ことは当時の法律的には許されておらず、マスメディアが「死刑にしろ!」と言ったからと言って死刑にしてはいけないのである。これは、法律により明確に禁止されている事項を堂々と破り、何度も是正勧告を受けてもそれを無視しまくり、その様なものに対する罰則規定まで明確に設けられている非合法な活動に対し、「国家権力が恣意的に法律を捻じ曲げて黙殺しろ!」と迫るのは、まさに「法律の恣意的運用を積極的に認めよう!」という運動に他ならない。ひとつの番組だけでも判断することがあり得るというのは論理的には正しく、テレビ局が「最も視聴率が高く国民への影響度が高い番組を一つ選び、その番組だけで偏向報道をするなら許される」などというお墨付きを与えたら、それは抜け穴を作るようなものである。それは恣意的な逆運用を強いるようなものである。

この様な問題に直面したとき、賢明な人はどう考えるのか?答えは簡単である。「国家権力が恣意的な法律の運用をする口実に使われないように、まずは自らの行動を顧みて、正すべきことは正していこう!」というのが正解である。しかし、現実はその真逆である。自らの行動を顧みるためには、例えば「放送法遵守を求める視聴者の会」からTBSの「News23」のアンカー、岸井成格氏に公開質問状が送られたが、先日の記者会見ではこの様な質問を「低俗」「品性のかけらもない」と語気を強めて切り捨てているようで、「まずは自らの行動を顧みて、正すべきことは正していこう!」というつもりは鼻から無いようである。これはジャーナリズムの自殺行為であると言わざるを得ない。

(3)放送法の背景を知る
過去にも私のブログで書いたが、テレビ放送の電波というのは無尽蔵な資源ではなく、限られた有限の周波数帯域を複数の事業者が分割してシェアをして利用しているのである。携帯電話の事業会社もそうだが、その電波資源で商売をしている訳であるから、その資源を独占できれば濡れ手に粟の商売が出来るのである。この傾向は同じ電波でもテレビ局に強く、テレビ局の社員の平均年収は他の業界に比べて圧倒的に高い。下記の記事にこの辺の事情が詳細に書かれている。

現代ビジネス「『電波停止』発言に反論できないテレビ局の弱み~政府は切り札を握っている~

例えば、河野太郎氏が2008年頃のブログに書いていた記事によると、日本のテレビ放送局の営業収益総額は3兆1150億円であるのに対し、電波利用料総額は34億円であったという。大雑把に言えば電波利用料の1000倍の収益を上げていることになる。金額が大きくてピンとこないが、たとえ話をしてみよう。

米作農家を例にとると分かり易いだろうか?まず、1ヘクタール当たりの米の収穫は豊作時で6000kg程度である。計算を単純にするために、仮に政府の買い取り価格が10kgで5000円であったとすると、6000kgで300万円の収入となる。3.3ヘクタールの土地を所有している農家の場合、売上高は1000万円となり、そのうちの3割が農薬や農機具などの経費だとする。この場合、大体、700万円の収入になる。3.3ヘクタールの土地というのは、概ね180m×180mの広大な土地であり、誰かからこれだけの土地を借りて農業をするとすれば、相当な借地料になるはずである。しかし、テレビ放送局は収益の1/1000の電波使用料で済んでいるので、180m四方の膨大な土地を、1000万円の1/1000の年間1万円でレンタルして農業をやっている状況に似ている。多分、180m四方の肥沃且つ膨大な土地を年間1万円でレンタルできるとすると、日本全国から膨大な数の応募があるに違いない。しかし、これを毎年、同じ人に繰り返し繰り返し貸し与えているのである。土地の持ち主が、「これだけ便宜を与えているのだから、地域の人が求めている農作物を安価で提供しなさい!」と条件を出しているのに、「うるさい!金儲けのためには外国で高値で売れる農産品を作るのが一番。何を作ろうと俺の勝手だ!」と逆切れし、さらに丁寧にお願いしても聞かないので「あまりにも酷かったら、農地の使用を禁止することもないとは言い切れませんよ!」と言ったら「権力を笠に着あがって、コノヤロー!」と徒党を組んで地主の家の前でシュプレヒコールを上げる…といった状況である。

ここまでくれば答えは簡単で、「自分の作りたいものを作るなら、オークションでレンタル金額を決めますよ!」とその土地を一般の人に開放すれば良いのである。その暁には、アメリカの様に放送法も廃止し、政治的公平性も求めないようにすることができる。放送局によって支持政党が異なるので、結果的に様々な意見を公平に聞き分けることが出来るようになる。しかし、既得権益を握る放送業界は表立っては動かず、左寄りの偏向した放送を支持するジャーナリストが代わって政府を糾弾し、これをテレビニュースで流すというのが現在の構図である。

(4)放送業界は委縮するのか?
この自称ジャーナリストの主張は「放送業界が委縮する」とのことなのだが、それは本当だろうか?私の理解では、放送業界には2種類の人がいて、確信犯的な左巻きの人と、概ね中道の人である。インターネットなどのメディアは別として、テレビ放送では右翼は生きていけない。中道の人は最初から「放送法を順守」する意識を持ち、全体のバランスを気にして番組作りをしている。この人たちは、政府からの「停波」の発言を聞いても委縮することはなく、「常識の範囲でやっている限りは停波を恐れる必要はない」と考えるはずである。一方、確信犯的な左巻きの人はどうかと言えば、確信犯だから「停波」と聞けば更に血が騒ぎ出し、委縮の真逆の反応を示すはずである。いずれにしても委縮することはありえない。あり得るのは、経営層が人事権を使って余りに酷い左巻きのプロデューサを更迭することだが、古賀事件などに代表される様に彼らの放送局に対する圧力は物凄く、更迭でもしようものなら返り血を浴びることにならざるを得ない。これは政府からの圧力とは真逆の圧力で、結果的にどちらの圧力の方が支配的なのかは分からない状況になっている。

では「放送業界が委縮することはないのか?」と聞かれればそんなことはない。我々も先日、天下のテレ朝が委縮した瞬間を垣間見ることが出来た。それは、安保法案が通った日だったと思う。過去のブログにも書いたと思うが、その日の「報道ステーション」は異様だった。それまでは、「放送法遵守を求める視聴者の会」の意見広告などにもあるように、報道ステーションなどでは90%を優に超える時間を割いて「法案反対!」を訴えてきた。街中での市民のインタビューでも反対だらけの報道だった。しかし、その日の放送はちょっと違った。私の記憶では、反対派が60%、賛成派の声も40%程度は拾って報道していた。「何が起きたのだろうか?」と思っていたら、スポンサーの高須クリニックの高須氏が、「こんな偏向は耐えられないからスポンサーを降りる!」と報道ステーションのスポンサーを降りてしまったのだ。ただ、テレ朝の別の番組のスポンサーに切り替えるとのことだったので、結果的にはテレ朝は大きな損失を被った訳ではない。単に、雪崩式にスポンサーを失いたくないので、流石にバランスを取ろうと自主的に行動を正したのである。

しかし、考えて頂きたい。政府に対し、「国家権力の介入は許さん!」と「我こそは正義!」と胸を張るならば、たったスポンサー1件が番組を降りたところで、自らの信念をあっさりと引き下げるのはおかしい。それこそ、「金儲けのためなら正義などあっさり捨てる!」と公言しているようなものである。これは、自らの報道の使命よりも金儲けの方が優先されると白状したようなもので、それは戦前の朝日新聞などの様に、金儲けのために好戦的な紙面を作り、国民を戦争に駆り立てたのと等価である。自称ジャーナリストなら、テレ朝のその様な裏切り行為にまずは非難の声を浴びせるべきであろう。それをしないのは、ある種の裏取引の様なものであり、論理的一貫性の破たんを表徴している。

(5)NHKへの圧力は良いのか?
NHKの予算は毎年、国会審議を経て決まるので、国会ではNHK会長が良く呼ばれて野党の議員につるし上げられている。この様な国会審議が必要な理由は放送法で定められているのだが、ここでの民主党などの恫喝行為は反吐が出るレベルのものである。お財布を握られているのでNHK会長も我慢せざるを得ないのだが、あそこまで堂々と圧力をかけてつるし上げて、ジャーナリストの端くれならば異を唱えないのであろうか?「番組に問題があるならBPOで審査するから、政治家は予算の使い道だけを審査して下さい!」と言っても良さそうなのだが、結局は左寄りの言い分だけがまかり通るのが現状である。この辺の整合性をジャーナリストには解説して頂きたいものである。

以上、色々と書かせて頂いたが、結局のところ、自称ジャーナリストの方々には首尾一貫した論理的な思想などなく、場当たり的なご都合主義で行動しているだけなのである。近年、左翼(サヨク)の劣化が激しいと言われるが、それは健全な民主主義にとっては悲劇でもある。早く、自らの行いに気づき、健全なジャーナリズムを志して欲しいものである。権力の監視と言う意味では、テレビや新聞と共に「ムラ社会」を形成している一部の言論人の発言も、我々は監視していかなければならないのではないか?

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1 コメント

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ブログで哲学喫茶を開店する (田の神様のつぶやき)
2016-03-05 10:27:45
NHKのクローズアップ現在、なぜ国谷さんを降ろすのか分からない。かつて、国谷さんは新聞に提言型解説を心がけたいと書かれていた。当たり障りのない解説のNHKに戻るのなら見る気がしない。国谷さんに惚れ込んでいた後藤田正晴さんも草葉の陰で泣いているだろうな。
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