けろっぴぃの日記

最近、政治のことをはじめとして目を覆いたくなるような現状が多々あります。小さな力ですが、意見を発信しようと思います。

正論だけなら政治家はいらない

2014-11-24 00:55:53 | 政治
土曜日の日テレ系の「ウェークアップ!ぷらす」では、沖縄の翁長次期知事がテレビ出演し、森本元防衛相やケビン・メア氏などと意見を交わしていた。沖縄県知事選は忙しくてあまりフォローは出来ていなかったが、翁長次期知事の主張にいささか驚かされた。今日はこの点についてコメントしたい。

まず、司会の辛坊治郎氏が「現実問題として、普天間の危険性除去をどの様に実現されるつもりか?」と問うたところ、「その上から目線は納得できない。今まで、沖縄は自ら基地を提供したことはなく、常に押し付けられてきた。今回の選挙で民意は明らかになった。しかし、本土の自治体に移設を打診したときに『受け入れは出来ない』と言われただけでそれを納得し、一方で沖縄には『受け入れは出来ない』と言われても押し付ける。これが民主主義か!!」という論調で反論し、結局、普天間の危険性除去についてはノー・アイデアであることを実効的に公言した。

朝日新聞的にはこれでOKなのだろうが、それは無責任な偽善者の主張である。ケビン・メア氏は繰り返していたが、現在、尖閣の問題で中国との対立の矢面に立っているのは沖縄県であり、その沖縄県が安全保障上、日本政府の足を引っ張ることは沖縄を窮地に陥れることにならないかと問えば、「過去に中国の脅威が問題となった時、沖縄に米軍基地がある故に中国からのミサイルが沖縄に飛んでくるのではないかと危機感が高まり、結果的に観光客が相当減ってしまた。米軍基地があるからこそ緊張が高まっているという現実があるだろう!!」といった趣旨で反論した。森本元防衛相が日本政府の活動により沖縄の米軍基地の一部返還の動きがあるなど、様々な形で負担軽減のために努力している現実を伝えても、「所詮、返還される基地の面積は日本全体の米軍基地で言えば1%にも満たず、その程度のことを沖縄は強化などしていない」との趣旨で反論された。終いには、「沖縄に外交権や安全保障のことでの米国との交渉権などを与えて貰えもしない」との愚痴までこぼす次第で、完全に感情的な議論に終始していた。

もし子供の喧嘩であれば、正論だけで全てを突っぱねることも出来るだろうが、国家と国家の安全保障問題ともなるとそう単純ではない。例えば、一般家庭で隣家とトラブルがあった時、正論だけで全ては片付かない。生まれて間もない赤ちゃんがいる家からの赤ちゃんの泣き声という騒音に対し、「あなたは、私に対して騒音で迷惑をかけない様に、完全な対策を打つ必要がある」と強弁しても、それが無理難題であることは明らかだ。騒音を出さないよう最大限の努力義務はあるのだが、社会が子供を育てる精神がなければ国家は滅びてしまう。現在の住宅事情であれば、ある程度「お互い様」とか「持ちつ持たれつ」といった現実をわきまえた精神は必要である。それは「正論」と「現実」の狭間での「選択可能な範囲で実効的に有意義な対策」を見出すことを意味する。
フィリピンの様に米軍が居なくなった途端に中国が島々を占領し、その周辺の漁民や住民に危害が加えられたとして、その際に最も困るのは沖縄県民であり、その危険性除去の最大の責任は内閣総理大臣であり、沖縄県知事も同様の責任を負うはずである。しかし、翁長次期知事の言葉にはどの様な責任感は全く感じられず、「赤ん坊の泣き声で眠れずにエライ迷惑をしてるんだ!!」と声高に叫ぶ声だけが聞こえる。それは正論かも知れないが、物事の解決には導かない。アパートの隣室であれば住人を追い出せば勝ち誇ることができるかも知れないが、一軒家の持ち家の住人を追い出すことは出来ない。結果、その後に自分が何かをして迷惑をかける時、隣人は助けてくれなくなり、泥沼の裁判劇で結局、住みにくい環境になる。翁長次期知事の発言は、この様な事態に沖縄県民を導く発言であり、結果的に普天間周辺で死亡事故による犠牲者を生むことになるかも知れない。

政治とは、単純な一面だけで物事が判断できるものではない。もし普天間が県外に移設できるなら、民主党政権でそれは実現されていたはずである。鳩山政権下では最大限の努力をしていたはずだから、もし可能であるならばそこで実現できていたはずである。それでも出来なかった現実を踏まえれば、民主党政権よりもより現実路線の安倍政権で実現できる訳がない。少なくとも、向う20年計画位を覚悟しなければ、県外移設など不可能である。しかし、もし辺野古への移転が実現できれば、5年ほどで普天間の危険性は除去できる。20年計画での危険性除去で満足するか、5年先を選択するかの問題である。しかし、10年先ですら翁長次期知事は知事職を務めていないだろうから、結局、その責任を問われることはなく、今回の行動の責任は有耶無耶にされる。結局、彼が生き残る道は「政府からの追加支援の勝ち取り」でしかなく、「最後は金目でしょ!」と沖縄県民に悟られてしまう未来が見えている。

この様に、正論だけで物事が回るならば政治家などいらないのである。官僚がいれば十分なのである。しかし、その様な官僚の正論だけでは解決できない複雑な問題が山積しているから、決断力のある政治家が求められているのである。今回の沖縄知事選は、民主党政権誕生時以上のポピュリズム選挙となってしまった。結局、正論が空回りした民主党政権がどうなったかを考えれば、沖縄が無駄に費やす日々は短くないだろう。その時になって気が付いても遅いのだが、その責任は(民主党政権を生んだ責任を日本国民が取ることと同様に)沖縄県民が取ることになるのだろう。

沖縄にとって耐えがたい不幸な現実であることは十分に承知しているが、人生では苦渋の決断を迫られることは一般社会では多い。鳩山政権での挫折を経験した以上、その様に現実を受け止めることも必要なのではないだろうか。

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