けろっぴぃの日記

最近、政治のことをはじめとして目を覆いたくなるような現状が多々あります。小さな力ですが、意見を発信しようと思います。

善意の気持ちから悪魔に忠誠を誓う行動

2014-10-08 23:57:29 | 政治
イマイチ、呑み込みの遅い私としては理解するのに少々時間がかかった記事であるが、非常に興味深い記事であったので紹介しておきたい。

中東・イスラーム学の風姿花伝 2014年10月6日「日本人の『イスラーム国』参加未遂の報道に思う

こちらは北大生が中東の過激派組織「イスラム国」に戦闘員として加わろうとして警視庁公安部に事情聴取を受け、刑法93条の「私戦予備及び陰謀」の罪で摘発を受けた事件に関する記事である。著者は、東京大学先端科学技術研究センター准教授の池内恵氏で、私のブログでも何度か引用させて頂いた。毎回記事を読むとその洞察の深さに感心するのだが、今回の記事は最初のうちは良く分からなかった。と言うのも、下記の朝日新聞の社説を引用し、これをケチョンケチョンにこき降ろしていたのであるが、この記事を読んでみると、特に変哲もない普通の記事に思えたからである。

朝日新聞 2014年10月6日「(社説)テロリスト 生まない土壌つくろう

この記事を一読すると、例えて言えば優等生が一億総懺悔的に自らの身(ないしは国)を反省しながら、誰からもイチャモンをつけられなさそうな真面目で前向きな取り組みをして行こうという、面白くも何ともない退屈な記事の様に思えた。それだけに、その様な記事に突っ込むところは何処か「朝日叩き」の一環の様にも見え、「ちょっとやり過ぎでは?」とさえ感じた。しかし、よくよく読んでみるとその様な話ではない。

色々書かれているのを一つ一つ吟味するのはこのブログの趣旨ではないのでポイントだけピックアップすると、池内氏は朝日新聞の「なぜ若者が過激派に走るのか。その土壌となっているそれぞれの国内問題に取り組み、『テロリストを生まない社会』を築く努力が必要である。」という記述を最初に引用し、この表現の裏にある掘り下げの浅はかさが「危険」だと説いているのである。実際、その記事にある欧米等の先進国からのイスラム国過激派への参加人数に関する論評でも、極めて一面的で短絡な解説をしており、その結果として様々なミスリードの罠が散りばめられているのだが、多分、この社説を書いた人はその罠を自らが仕込んでいることに気が付いていないだろう。その後に引用する毎日新聞の記事との対比を見れば明らかなのだが、毎日新聞の掘り下げの深さに比べて、明らかに朝日新聞は学生のレポート並みの低レベルの記事になっている。

ここから先は私の勝手な解説を加えさせて頂く。例えばテレ朝の報道ステーションなどを見ていると、中国が新疆ウイグルなどに対して行う弾圧と殺戮の報道に対して通り一片の報道をしておきながら、集団的自衛権の行使容認の閣議決定や特定秘密保護法案などに対しては、如何にも「この世の終わり」の様な論調で、「立憲主義は死んだ」とか「戦争をする国になった」とか一大キャンペーンを張る。これは、物事の善悪を同じスケールの物差しで測るのではなく、他者の評価に対しては非常に寛容な物差しを用い、自らの政府に関しては恣意的に不寛容な物差しを用い、思いっきり偏った立ち位置から一方を集中的に批判したりする。だから、日本からイスラム国の傭兵になろうとする輩を捉えても、日本国内に潜在的に「テロリストを生むような、悪魔を導く社会の芽」の様なものが存在し、その様な潜在的な何か(「先進国病」的な物)を直さなければ根本的な解決にならないと、物知ったような論調をエリート意識の強い人は考えてしまうのである。しかし、例えばNHKのニュース9ではこの北大生とは別の若者で、実際にシリア経由でイスラム国に参加し、実際に戦闘に加わった人物が顔を隠すこともなくインタビューに応じていたのだが、彼の言い分を聞いてみれば、その様な政治的な思想やイスラム教への傾倒などは何もなく、怖いもの見たさで単に戦場に行って実際に戦ってみたかった的なニュアンスが強い。実際、何処かの施設(警察?)を強襲した際に戦闘に加わり、ロケット砲か何かを近くで被弾し、両足に大怪我をして療養生活を送り、結果的にイスラム国を抜けることになたのだが、その話口調はどこかリアリティがなく、バーチャルなテレビゲーム感覚で戦闘に参加して、怪我はしたけど楽しかった的な反応を見せていた。彼は決して「テロリストを生むような土壌」に不満を感じていた訳ではないし、殆ど政治的な思想は持ち合わせていなかった。

一方、毎日新聞には詳しい記載があるが、ヨーロッパに関しては戦闘員になる人の大半は貧しい移民やイスラムのバックグラウンドを持った人々で、先進国病的な議論の対象となる人々ではない。残りの僅かな経済的にも恵まれた白人で、移民などの貧しい人々と一線を画する人々にしても、先ほどのNHKで紹介された日本人の様な何処かリアリティのない人々は、強い政治性を持ち合わせている訳ではない。リアリティのなさ故に、インターネットでの勧誘ビデオが斬新に見え、ゲーム感覚で参加してしまっているのかも知れない。
池内氏は記事の後半で、次のように指摘をしている。

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そして、このような「とにかく欧米社会が悪い」と言ってしまって自足する議論の根底にある発想は、現地の事情をよく分かりもせず、関係もないのに、ただ戦闘に参加したいと言い出す若者の発想と、同根ではないかとすら思うのです。
テロをめぐる朝日新聞の論評は、「むしゃくしゃしてやった」といったどう考えても薄弱な動機で殺人を犯す人物が現れるたびに「むしゃくしゃさせた社会が悪い」と論評しているようなものです。「むしゃくしゃした」ことと「人を殺す」ことの間を何が繋いでいるのか?という謎に正面から向き合わないのであれば、こういった論評は、テロを容認する社会規範を事実上広めているとすら言い得るものです。
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つまり、所詮は「社会」と言うものは完璧でなどなく、何処かにツッコミどころはあるのだが、新聞などが社会正義の名のもとにそのツッコミどころを片っ端から糾弾していると、無意識のうちに連合赤軍の「総括」の様なそのツッコミどころへの「過激な制裁」を肯定化する若者を生じせしめ、「むしゃくしゃ」することと「人を殺す」ことの間の直接的な関連性を誘導する役割を新聞がはたしてしまっているのではないかと理解した。多様な価値観を計れる共通の物差しを持ち合わせていれば良いが、新疆ウイグルでの人権弾圧にしか適用できない物差しや、安倍政権の糾弾にしか適用できない特殊な物差ししか持ち合わせないと、イスラム国の情報に接したときにどの物差しを使えば良いのかが分からなくなってしまい、欧米諸国や日本など先進国に問題があるからイスラム国に若者が流れると聞いて、残虐な処刑のニュースを新疆ウイグルと同様に過小評価し、先進国の抱える諸問題を過大に評価し、バーチャルな感覚のインターネット勧誘に騙され、ゲーム感覚で戦闘に参加してしまう。

これは形だけは「テロリストを生まない社会」を訴えている様に見せかけながら、実際には「テロを容認する社会規範を事実上広めている」ことに相当する誘導を行っていることになる。当の本人に自覚がないのが最悪なのだが、あくまでも善意の気持ちから悪魔に忠誠を誓う様な行動である。メディア・リテラシーと言う言葉が囁かれて久しいが、もはや新聞の論調を常に疑ってかからなければならない時代が来ているのである。

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