けろっぴぃの日記

最近、政治のことをはじめとして目を覆いたくなるような現状が多々あります。小さな力ですが、意見を発信しようと思います。

個別的・集団的自衛権の区別と国益

2014-10-01 23:58:20 | 政治
少しタイミングを逸したが、先日から気になっていたことを書きとめておく。まず、下記の記事を見て頂きたい。

現代ビジネス2014年9月26日「長谷川幸洋:朝日新聞はまだ懲りないのか!?『米国のシリア空爆』でも『ねじ曲げ』報道

タイトルを見ると朝日新聞叩きの記事の様に見えるが、それは枝葉の話であり、本題は米軍によるシリア空爆である。イラク国内の空爆までは良かったが、シリア国内の「イスラム国」殲滅のための空爆についての是非が問題になっている。この記事を報道するのに、朝日新聞は「米国は集団的自衛権行使に基づいてシリアを空爆した」と印象付けようとしているが事実は違うので問題であると長谷川氏は指摘している。確かにその通りであるが、少々、話はややこしいと私は感じている。

長谷川氏の指摘は、朝日新聞はヨーロッパ諸国が米軍によるイラク国内の空爆に対し冷ややかであることを利用し、「集団的自衛権の行使がこれほど世界で問題視されている」という印象操作を狙い、シリア空爆が「集団的自衛権行使」だとのニュアンスの記事を書いた点が問題だとしている。ただ、このご指摘は少々微妙なところであるので少し確認したい。まず、朝日新聞の記事を引用してみたい。

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朝日新聞Digital 2014年9月24日「シリア空爆、米『自衛権行使』国連に文書、正当化図る」抜粋
米国のパワー国連大使が23日、国連の潘基文(パンギムン)事務総長に提出した文書によると、米国はシリアのアサド政権について、自国の領土を「イスラム国」がイラクへの攻撃拠点としているにもかかわらず、その活動を防げないと指摘。攻撃を受けているイラクからイスラム国への空爆を主導するよう要請を受けたとして、他国が攻撃された場合に反撃する「集団的自衛権」を行使したとしている。
 さらに、シリアにいるアルカイダ系武装組織「コラサン・グループ」の米国などへのテロ計画が最終段階に入っていたこと、米国人記者2人が「イスラム国」に殺されたことを踏まえ、米国は自国民を守る「個別的な自衛権」を行使したと主張している。
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ここでは、今回の自衛権は「集団的自衛権」であり、同時に「個別的自衛権」でもあると記載している。また、国連へ提出されたオフィシャルな見解では「国連憲章51条に基づく自衛権行使」であるとしている。もう少し正確に言えば、国連憲章51条は個別的・集団的自衛権を定めており、個別的自衛権と集団的自衛権の区別は特に規定しておらず、国連憲章51条が根拠だと言えば、別にそれが個別的自衛権なのか集団的自衛権なのかを国連に対して宣言する義務がある訳でもない。長谷川氏の指摘は、この様な状況が正確であるのに「集団的自衛権」のイメージを先行させる報道であることが情報操作であると指摘している訳である。ただ、厳密には「個別的自衛権」の記載もあるので、イメージ操作の効果は実際にはありながらも、裁判では決して負けない仕込みも十分にしているというのが正直なところで、この辺はギリギリセーフであるというのが私の感想である。

そこで、この問題の本質は何かと言えば、朝日新聞などはどうでも良い話で、単純に「世界は『集団的自衛権』と『個別的自衛権』の区別など重要視していない」という典型例を見つけた!と紹介すれば良い話で、少々脱線した感が強い。ただし、私はこの朝日新聞の記事に少々驚いたのだが、シリア空爆が「個別的自衛権の行使」という主張を本当にアメリカがしたのかと言うのは懐疑的で、これを称して「個別的自衛権の行使」と言ったら「何でもアリ」になってしまいそうで怖いと感じたのだ。そしたら、長谷川氏の記事ではその辺を解説していて、朝日は原文の英語の報道を誤訳していたそうで、原文では「加えて米国は、ホラサン・グループとして知られるシリアのアルカイダ系組織が米国や友好国、同盟国に与えている脅威に対処するためにシリア領内で軍事行動を始めた」と言う内容にとどまり、「個別的自衛権」とは表現されていないらしい。つまり、どれが「個別的」でどれが「集団的」かを朝日新聞が意訳し、それが真実の様に振舞ったのがケシカランということである。ただ、アメリカがどの様な表現を使ったかは別として、ヨーロッパ諸国がシリア空爆に二の足を踏む理由は単純明快で、「これを手段的自衛権と呼ぶのは無理がないか・・・」と感じているからである。ただし、ここで補足すれば、「ましてや、これを個別的自衛権と呼ぶのはもっと無理がある・・・」とも考えているはずである。

少し例え話をすれば、北朝鮮は日本国内に工作員を違法に派遣し、日本人に成りすまして罪もない13歳の少女を筆頭に、数多くの日本人を拉致して北朝鮮に連れ去った。明らかに国家による組織的な犯罪で、これは「戦争行為」に匹敵する。アルカイダなどは国家としての形態を持たない組織だから戦争ではなくテロと呼ぶのだが、国家が組織的に行うテロは戦争そのものである。だから、小泉訪朝で北朝鮮の国家犯罪が白日の下にさらされ、残りの日本人に対して不誠実な対応で拉致を解かずに確保し続ける状況は、個別的自衛権の発動対象になり得ることになる。ただ、その人数が少人数は大人数かでインパクトは異なり、拉致と認定された被害者が12人程度であると「宣戦布告」するには国際的な同調を得られず、結果的に日本政府は泣き寝入りとなった。ここで宣戦布告(事前にアメリカや中国にも通告するという前提)をして北朝鮮を空爆すれば、北朝鮮は日本に対して反撃をするから米軍は正式に日米安保を発動し、北朝鮮を空爆することになる。空爆をすれば人心が揺らぐから、窮鼠猫を噛むの如く、核兵器などの飛び道具を無駄に使う可能性はあるが、アメリカが参戦すれば北朝鮮の崩壊は意外に早い。ハードランディング・シナリオを描けばこんなところかも知れない。しかし、仮に国際社会がそれを許しても、日本国民の総意としてはその様な個別的自衛権を認めることはないだろう。つまり、少なくとも我々日本人の感覚では、あれをもって「個別的自衛権」と呼ぶのには無理があるということである。

一方、集団的自衛権はどうかと言えば、反対論は多いのだろうが、シリア空爆を集団的自衛権と呼ぶのは一定の理があると私は思う。例えば、ある国と戦争状態になったとする。さっきまで、ある一個師団が戦闘を仕掛けていたとして、その戦闘終了後に何処かに移動したところ、別の一個師団に遭遇したとする。同じ国の師団であれば、毎回毎回、相手の先制攻撃を待ってから反撃などする訳ではなく、相手国と遭遇した時点で戦闘行為は始まるのである。つまり、ある国と戦争する場合、その部隊の所属で戦闘の可否を判断することはなく、同様に地域によって戦闘の可否を判断することもない。あくまで、自国の自衛権を脅かす国家(ないしは集団)であるか否かが重要で、戦争が始まった後では場所が何処か(イラク国内かシリア国内か)はあまり重要ではなく、自国ないしは同盟国がその一大勢力から自衛権を脅かされていることを阻止する権利は国連憲章的には合法的なはずである。だとすれば、シリア国内でも集団的自衛権との主張には(一定の糊代はあるにせよ)十分に説得力はあると思う。つまり、敢えて言及するのであればシリア空爆も集団的自衛権であり、現実論としてはそれを明確に言及する必要に迫られていないから「個別的・集団的自衛権」と両論併記のままでお茶を濁しているのだろう。

つまり、長谷川氏はそこまで言及していないが、敢えてどちらか選択するとなれば「集団的自衛権の行使」と言った方が国際社会では説得力があるケースが多く、個別的自衛権の「拡張的解釈」は非常に危険な香りがプンプンしているのである。しかし、その様な地雷を敢えて踏むことを誰も希望していないから、オフィシャルには「国連憲章51条に基づく個別的・集団的自衛権行使」と表現するのが妥当なのである。それを、「集団的か個別的かを明示しよう」と強いるのは明らかに筋が悪く、国際社会で要らぬ反発を招くだけなのである。

総括をするならば、日本では「集団的か個別的かを明示しよう」という論調がマスコミを中心に多いのであるが、国際社会は「集団的か個別的かの明示は国益に反する」と考えるのが常識である。であれば、その明示を強いる政治的圧力は、「国益を堂々と無視せよ」との圧力であり、反政府的・反国家的な活動と言わざるを得ない。

この様に、意外に国際的な感覚を無視した自分本位の論調がマスコミには多くはびこり、その傾向は朝日新聞が強い。国益を無視して良いという原理には賛同できないから、その様な連中の主張には信憑性がない。朝日新聞を攻撃するのは分かるが、この辺の軸がブレルと逆効果である。

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