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鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 ・・・肩書きがなくては 己れが

2014-03-13 | 鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」ほか

肩書きがなくては 己れが

                        情報プラットフォーム、No.318、3月号、2014、掲載

 

  「何なのかも わからんような 阿呆共の仲間に なることはない」と続くのは、南方熊楠の名言であるが、少し偉そうな物言いでもある。日本での自己紹介は肩書きが優先であり、名前はその後である。初対面 での名刺交換で最初に見るところは肩書きである。肩書きで、態度が変わること、態度を変えることもしばしばである。

  仁義を切るとは、自己紹介である。最もなじみ深いものとして「男はつらいよ」の寅さんのセリフを示す。「わたくし、生まれも育ちも東京葛飾柴 又です。姓は車、名は寅次郎、人呼んでフーテンの寅と発します」となる。「生まれ、育ち」から始まり、後から「姓」と「名」が附いてくる。水戸黄 門は「越後のちりめん問屋の隠居で、光右衛門と申す」と名乗っている。いずれも、出身地や身分が先に来ている。日本流を住居表示で見れば、国名・ 県名・市町村・町名・字・番地となるが、欧米では全く逆になる。肩書き表現を英文と日本語訳文を対比して見よう。訳文が日本流になっていることに 注意して欲しい。メールアドレスは、@の前に個人名が、@後に所属名があり、コンピューター発祥の地が米国だけあって欧米流っである。

----添付例-------

  原文)Dr. Russell Conwell of Temple University once delivered a lecture in which ・・・

  訳文)テンプル大学のラッセル・コンウエル博士はある講義の中で・・・・・・

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  学術講演会などでは「○○大学△△学科の□□です」のように所属の後に姓名を名乗るのが普通である。鈴木研究室の学生達には「自分の姓と名を先に明瞭に言いなさい。それから『所属は東京工業大学鈴木研究室です』のように言ってご覧なさい」と指導していた。「所属機関よりも先に自分の名前を」を目標 としていたが、簡単ではなかった。その理由は明白である。目立つので下手な質問ができなくなるのからである。講演の最初から注意深く聞いているこ とが必須だからである。この効果が稔った一例を示そう。

  博士課程修了後に博士研究員に採用されたH君は、20年弱の間に米国留学も含めて7ヶ所の施設・大学に、助手、講師、助教授として引き抜か れ、今では母校の教授である。彼の核心に触れる質問と、それに先立つ名前の徹底がなせる成果ではないだろうか。現在も彼はそのやり方を貫いてい る。熊楠さんに見て貰いたい、知って貰いたい話である。

  先に例示した原文と訳文をよく見ると、どちらも名⇒姓である。パスポートでは氏名を、欧米流で表現することが一般的である。なお、韓国、中国 は、姓⇒名である。ハンガリー語圏では東洋流に姓⇒名で表記される。作曲家のベーラ・バルトークは、母国ではバルトーク・ベーラとなる。民族大移 動の引き金となったフン族侵出の名残りと考えられる。

  南方熊楠(1867.4.15~1941.12.29)を生んだ熊野では、神聖な樹木や森林を村落民が守り継いでいた。旺盛な好奇心と驚異的 な記憶力で独学によって知見を広めたが、短所は気が短いことであった。専門領域は、博物学(本草学、物産学)、そして民俗学など幅広い領域であ る。粘菌類の研究の創始者でもある。英国に渡り大英博物館を拠点に活動、帰国後は和歌山で定職に附くことなく在野で活躍した。神社の合祀に反対 し、地域信仰や鎮守の森や習俗を守る先駆けとしての自然保護運動が世界遺産の熊野古道を創ったといえる。

  南方家の由来とともに、熊野と楠の巨樹に憧れと誇りを持っていた。「肩書き」なしでも大きなインパクトを与える名前である。すでに論文があるかも知れない が、民族の伝統や文化・習俗と姓名表記や住所表示について、熊楠さんの見解を伺いたいものである。

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鈴木朝夫 s-tomoo@diary.ocn.ne.jp

〒718-0054 高知県香美市土佐山田町植718

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