高知ファンクラブ

“高知をもっと元気にする”ボランティア集団、「高知ファンクラブ」の仲間が発信するブログです。

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」・・・土佐の高知にありがとう(Ⅻ)、三角屋根

2017-07-14 | なんでも情報ボックス

土佐の高知にありがとう(Ⅻ)、三角屋根      

                                              No.182,高知ファンクラブ,7(2017)

 ここでは、先妻ちえ子が残した遺稿(応募作品)を利用して、高知で一軒家を購入した時のエピソードを紹介させて頂く。

大きな衝動買い      (記:2001/10/1)

 ちえ子が通信教育の随筆講座を申し込んだのは1998年の初夏、高知市内に住んでいるときです。この随筆を提出したのは、土佐山田に家を買った直後の8月のことです。これは第1回の「お気に入り」をテーマにした添削課題に提出したものです。「講評」が付いていました。

 「売り主も感じの良い人だった」とちえ子の文章にもあるように、その後もお付き合いを頂いています。先方の言い値で契約しようとしたとき、「値切らなくても宜しいのですか。少しお引きしましょう」と言われてしまいました。その位に、この家は理想的な、そして夢に描いていたそのものだったのです。沢山の分譲団地を見に行きました。でも、それらはミニ・ニュウータウンでした。首都圏には幾らでもある普通の住宅団地でした。それらは探している高知ではありませんでした。

 娘の葉子は小さい時から、三角お屋根の家に住みたいと言っていました。マンションでは犬が飼えません。その娘が家を出た今、その三角屋根の家に住むことが出来るとは皮肉なものです。それにしても、この時点で「緑の見える場所で病気になりたい」などと、何故、書いたのでしょうか。

家を買う、土佐山田に      (鈴木ちえ子の応募文章とそれの講評:1998/8/10)

   結婚以来30年、住宅公団、民間マンションなどの集合住宅で生活してきた。夫65歳、私61歳、そろそろ人生締めくくりの時期に入ってふと考え込んだ。ここで病気になって良いか、ここで死んでも良いか、つい先頃まで鍵一つで出られ、管理人任せの便利さ、仕事にも旅行にも気軽に出られ、歳を取ってからもこの簡素な生活スタイルが最適と考えていた。仕事中心の生活では、必ずしも住居が憩いの場所ではなくても、たまに旅に出たり、何か気分転換すれば充分だと思っていた。

 夫が60歳で転職した折、私も仕事を辞めて北海道に3年、また昨年高知へと移り住んだ。いずれも高層マンションの最上階を選んだ。引越し疲れもあると思うが、いつまでもたっても元気が出てこない。落ち着いて家の中で過ごせない。ふと疑問が出てきた。住み慣れた近隣との付き合いも希薄となり、仕事や友人から離れ、家の生活が中心になって、長年あこがれていた自分だけの時間が持てるようになったのに、狭い高層ビルは憩いの場とはならなかった。深呼吸のできる空間が欲しい。緑の見える場所で病気になりたい。

 まず新聞広告を見ることから始めた。どんな家を探すか方針が見えてくるのに2週間程かかった。ある日案内された中古の家は夫の職場にも近く、特急の止まる駅に車で5分、空港に20分、南側に田んぼと茶畑が広がっている。売り主も感じの良い人だった。これだ! 衝撃的に買う決心をした。

 今まだ引越し疲れで片付けも終わっていないが、目の前に広がる稲刈りの終わった田んぼときれいに刈り込まれた茶畑、鳥や虫たちの鳴き声に囲まれて、美味しい空気を一杯に吸い込み、やったという満足感を覚えている。集合住宅の合理性を主張してきた私達が、還暦を過ぎてやっと地に足の着いた喜びを味わっている。四国、高知にして初めて可能になったというのが本当のところであろう。

「講評:一軒家を買う、ということの意味と「やった」という率直な喜びが、とても淡々とした筆遣いの中で味わい深く描かれています。構成、文章ともにくせがなく、非常に好感の持てる随筆と評価します。(優)」

 

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」高知ファンクラブに掲載 2017年~

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 目次のつづき(2016年~現在に至る)

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 目次のつづき(2012年~2015年

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 目次のつづき(2008年~2011年)

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 目次(2002~2007年 )

 


鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」・・・土佐の高知にありがとう(Ⅺ)、住まい

2017-06-28 | 鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」ほか

土佐の高知にありがとう(Ⅺ)、住まい      

                                                                                 No.181,高知ファンクラブ、6(2017)

今月は我が家の住まいの歴史を述べる。新婚生活、子育ての始まりはトイレが隣室と共同の六畳一間からである。千葉県松戸の住宅公団の賃貸(2LDK)に入居、横浜市の分譲(3LDK)に転居し、住居を、世田谷、松戸、横浜と変えてきた。そして高知に移住して、一戸建て住宅を持つことができた。

たまプラーザの分譲団地          (記:2001/5/30)

東急の田園都市線が開通し、新興住宅地の建設が始まりました。この「たまプラーザ団地」は魅力的でした。大岡山までの通勤がとても楽になります。九段下の日本住宅公団に、申込、抽選、契約など何度も通いました。公団の賃貸住宅の入居者は分譲住宅の当選率が10倍高くなる制度がありました。締切り時間の直前まで待ち、駅から遠く、人気のない街区に申し込みました。私の年収から見て、手が出せるのは小さい2LDKです。通勤には千葉県松戸から2時間も掛かっていました。是非とも入居したかったのです。

入居した昭和47年(1972)当時は、手前の鷺沼駅で2両を切り離し、残り2両で、たまプラーザ駅にやって来る状態でした。我が家では2人の子供達が幼稚園に通う時代でした。

戸建ての高知の住まい    (記:2001/6/21) 

 この時ほどファックスを有効に使ったことはありません。一ヶ月ほどの間に、熱転写ロール2本を使い切りました。ファックスが大いに活躍したのです。新聞に良さそうな物件を見つけると、不動産屋に敷地と間取りの図面を送ってもらいます。この使い方にちえ子は味を占めたようです。

 当時、私達は大学の教員宿舎になっている高知市内、知寄町のマンションの11階に住んでいました。五台山や筆山、それに浦戸湾が見渡せます。大阪からの、東京からのフェリーの出入港がよく見えます。汽笛を鳴らすので確実に見ることができます。しかし、国道に面し、路面電車の折り返し点も近くです。夜遅くまで騒音の激しい場所です。横浜の郊外に残してきた我が家の方が遥かに自然豊かです。そして駅まで歩いて5分、渋谷まで急行で30分、その駅の近くには2つの大手デパートと生協があります。

 「ここでは高知に住んだ意味がない。横浜に帰ります」とちえ子は言うようになりました。昼間はほとんど家に居ない私も、同じように感じていました。さっそく家探しが始まったのです。ファックスで取り寄せた物件の中から選んで、休日ごとに、一戸建ちの中古住宅や新築の建売住宅を見て回りました。東は野市町、西は春野町まで。大部分は宅地開発で造成した土地ですが、その規模は東京に比べれば知れたものです。これらも私達が求めている高知ではないと思いました。

 諦めかけていた時に、土佐山田にこの家を見付けたのです。法面も入れて敷地面積は100坪以上あります。南側の川向う、田んぼを隔てて茶畑の斜面が見えます。風が強いという山田ですが、北に山を背負っているこの家は無風状態です。両隣を始めご近所の皆さんは土地の方々です。旧道との合流点でもある我が家の前は道幅が広くなっています。すっかり気に入りました。

 「お金、いま幾ら持っている。決めようよ」とちえ子が聞いてきます。探し求めていたそのものです。歩いて15分程で土佐山田駅に、その途中にスーパーマーケットが開店したばかりです。すれ違いが難しそうな狭い近くの道路では、2ヶ所で拡幅工事が行われていました。私達が住むための準備が着々と進んでいるように思えました。「この家は衝動買いをしたのですよ。面白いでしょ」とちえ子はそんな話し方をしていました。でも、その時までに私達の不動産物件を見る目は十分に肥えていたのです。

 余談ですが、30坪にも満たない狭い敷地でも、必ず「駐車2台可」とあります。夫婦共稼ぎが普通の高知の、公共交通機関の便の良くない地方の宿命を示していると感じました。 

 

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」高知ファンクラブに掲載 2017年~

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 目次のつづき(2016年~現在に至る)

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 目次のつづき(2012年~2015年

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 目次のつづき(2008年~2011年)

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 目次(2002~2007年 )


高知ファンクラブ こども祭総集編

2017-06-08 | 高知のイベント情報

高知ファンクラブ こども祭総集編 

森のこども祭

第1回森のこども祭 目次 2014.11.30

5月10日(日)丸の内緑地で、第1回 木のこども祭 開催します

 第1回 木のこども祭  こども広場  1、オープニングセレモニー

 第1回 木のこども祭  こども広場  2、ユニークけん玉競争

11月1日(日)、丸の内緑地で 第2回森のこども祭 開催します

 

鏡川こども祭

第1回 鏡川こども祭(2010年10月11日実施) 目次 

第2回 鏡川こども祭(2011年9月11日実施)目次

◎第3回 鏡川こども祭(2012年10月7日実施)、目次

第4回 鏡川こども祭(2013年 9月29日実施)、目次

 以下省略、今も元気に続いています。

 

潮江こども祭&防災フェスティバル

第1回潮江こども祭&防災フェスティバル (2012年2月26日)、目次

第2回潮江こども祭&防災フェスティバル(2012年12月9日)、目次

第3回潮江こども祭&防災フェスティバル(2013年 4月7日)、目次

第4回潮江こども祭&防災フェスティバル(2014年 4月6日)、目次 

 以下省略、今も元気に続いています。

 

物部川こども祭

※ 第1回 物 部 川 こ ど も 祭(2012年8月26日) 総集編 

※ 第2回 物 部 川 こ ど も 祭(2013年5月12日) 総集編

※ 6月1日(日)、第3回物部川こども祭 開催します

※ 第4回物部川こども祭 5月31日(日)のご案内

※ 第5回物部川こども祭、5月29日(日) 10時から15時 開催します

 

仁淀川こども祭

★ 第1回 仁淀川こども祭&お国自慢大会(2012年3月18日)、いの町 波川公園で開催  目次 

★ 第2回 仁淀川こども祭り&お国自慢大会(2012年10月13日、仁淀川町 大崎)  目次

★ 9月23日(火・祝)、第3回 仁淀川こども祭&めだかフェスティバル 開催します

★  9/23(水・祝) 第4回仁淀川こども祭&日高めだかフェスティバル 開催!

 

 2015年 夏休みの自由研究 森の仲間が応援します!  まとめ

 

 

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鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」・・・土佐の高知にありがとう(Ⅹ)博士号

2017-06-08 | 鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」ほか

土佐の高知にありがとう(Ⅹ)博士号      

 No.180、高知ファンクラブ、5(2017)

 ちえ子と結婚してから(1962)、3年間の作行会給付金(1966~1969)、工学博士の学位取得(1969)、助教授に昇進(1969)、米国のスタンフォード大学への留学(1974~1975)と順調に歩みだしていた。

工学博士と助教授          (記:2001/7/1)

  婚約の時、ちえ子さんのご両親には「大学の助手の身分は不安定です。助教授になれるとは思わないで下さい」と申し上げました。ドイツ語会話のクラスの日以外は、ほとんど定時に帰宅していました。躍り上がるような研究テーマに出会っていませんでした。週末にはザックを担いで山へ出かけました。後日、私が助教授に昇任した時、ちえ子が言ったことは「難しい本は何時も読んでいたし、ドイツ語は一生懸命やっていた。でも、貴方が助教授になるとは思っても見なかった」でした。

 講座の教授が田中実先生に代わりました。面白いテーマに遭遇しました。実験で遅くなる日が多くなりました。徹夜も当たり前になってきました。やる気が出てきました。山に行く回数が次第に減ってきました。昼休みもテニスコートへ出なくなります。

 丁度、大学紛争の兆しが出た頃です。研究は大きく進展しました。学位が取れそうになりました。論文のまとめの段階では、ちえ子に筆耕を頼みました。学位論文の半分以上は彼女の筆跡です。「マルテンサイト変態」、「時効硬化性」、「平衡状態図」など、ちえ子は専門用語を覚えてしまいました。リコピーという複写機が出た頃です。手元に残した論文のコピーは読めない位に色あせています。

 学位記を学長から頂く日、学生が正門にバリケードを構築しました。学生から身分証明書の提示を求められます。教授・助教授は学内に入れて貰えません。「今日は御覧の状態です。後日、学位授与式を行う予定です。それまで待ちますか、それとも今にしますか」と担当の事務職員に聞かれます。「もちろん、今です」と答えます。儀式を型通りに行って、学長代理としての彼から学位記を頂きました。その後、彼には頭上がりません。「私が鈴木先生に学位を授与した」と誇りにして呉れました。

 学位を頂いた後、学外で開催された教授会で助教授への昇任が決まりました。機動隊を導入しての、座り込み学生の排除とバリケードの撤去に踏み切ったときは、若手教員としての体力を買われて先兵となりました。複雑な心境でした。

 そして、憧れのドイツではなく、アメリカへ留学するチャンスが与えられました。諸先輩のご指導を頂き、優秀な沢山の後輩に支えられ、歳を重ねて教授になりました。その時のちえ子の言ったことは「貴方が教授になるなど、思っても見なかった」でした。

日本金属学会ハワイ大会         (記:2001/12/29)

  2001・9・11に、世界貿易センタービルの崩れ去る映像をテレビで見たとき、二つのことが脳裏を過りました。一つは、何故あのような崩れ方をするのだろうか、という鉄鋼材料屋としての疑問、二つ目は、12月中旬にハワイで開催予定の「第4回先進材料環太平洋国際会議」は中止せざるを得ないとの予感でした.送られてきた中止決定の組織委員会の議事録はその苦悩の様子を伝えています。かってのハワイでの講演大会開催の苦労を思い出します。

 1996年12月中旬、日本金属学会が始めて海外で、ハワイで秋季講演大会を開催したことを思い出します。北海道大学での任期の最後の年でもあり、またこの年に日本金属学会会長に選出されていました。組織委員長として準備を進めてきた鈴木に全責任を持たせようと考えたのでしょう。ヒルトン・ハワイアン・ビレッジを会場として開かれたハワイ大会は、日本、中国、韓国、アメリカなど10数か国から800人を超える参加者を得て、大変有意義で楽しい大会になりました。何よりも大きな思い出は、ちえ子が会長主催の幾つものパーティーで見事にホステス役を務めてくれたことです。

 

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」高知ファンクラブに掲載 2017年~

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 目次のつづき(2016年~現在に至る)

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 目次のつづき(2012年~2015年

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 目次のつづき(2008年~2011年)

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 目次(2002~2007年 )


鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」・・・土佐の高知にありがとう(Ⅸ)、白い犬

2017-06-08 | 鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」ほか

土佐の高知にありがとう(Ⅸ)、白い犬    

No.179、高知ファンクラブ、4(2017)

  病床でちえ子は「貴方は一人では暮らして行けない人です。私に気兼ねなく、後添いを貰って下さいね」と言っていた。子供達にはすぐに納得できないことであろう。東工大で私の研究室に居た小林郁夫さんから「先生のテイストではないかも知れませんが。『白い犬とワルツを』を家内の理恵が薦めるので」とメールを頂いた。早速、本屋で買い求めて読み、子供達にも回したのである。

携帯電話の大活躍    (記:2002/8/17)

  息子と娘が高知に来ている間、電話は出来るだけ控えましょうとの心遣いと「理詰めでは片付かない問題を急いでは駄目ですよ」との注意を一枝さんから頂いています。午前中、勤め先の産振センターに携帯電話で遠慮がちに連絡がありました。この電話で息子達に会って頂くチャンスが作れるのではないかと思いました。子供達が高知に来る前の心積もりは別々に会う機会を作ることでした。息子と娘と一緒に会って貰うことは、面接試験のようであり、大変に失礼であると考えていました。しかし、携帯の向こう側では「よっしや、まかしとき。大丈夫」と一枝さんの心強い返事です。

 息子と、娘と携帯電話で打ち合わせを繰り返しました。結局、最寄りのスーパーの駐車場で待ち合わせと決まりました。そしてその向かいにある一枝さんの喫茶店で、落ち合うことになりました。夕方、閉店した後です。樹ちゃんと崚斗ちゃんの2人の孫の面倒は、嫁の敦子さんが車の中で見てくれています。

 4人でテーブルを囲んでの話の中で、終始、黙っているのは辛いことでした。でも、高知、に来た子供達が、一枝さんに会ってくれたことは、私にとって、私達にとって大きな前進です。夏休みが終わり、皆が帰ってしまった後も元気になれそうに感じています。皆さん、ありがとう。

「白い犬とワルツを」    (記:2002/9/8)

突然、妻を失った主人公サムの身の回りに、白い犬が現れるようになります。初めの頃は、庭から、戸口から眺めています。最初は野良犬と思って相手にしません。近所の犬が吠えることもありません。次第にサムの与える餌を食べるようになります。そしてタイトルのようにワルツを踊るようになります。普段はベッドの下で静かにしています。誰かが来るといつの間にか居なくなります。子供達や他の人達には姿の見え難い犬です。初めのうちは、誰もが、気が狂ったのではないかと心配します。

近くに住む娘たちやその家族と、そしてこの犬に支えられて、歩行補助具を必要としながらも自立の生活が始まります。癌と戦いながらの話が展開しつつ、いろいろなことが起こります。やがて死を迎えます。死の前日に「白い犬さ。あれはお前たちのママが戻って来てくれたんだ、俺を見守るために」と子供たちに話します。

解説には「愛の姿を美しく爽やかに描いて、痛いほどの感動を与える大人の童話。貴方は白い犬が見えますか?」とあります。それは間違いないのですが、私の感じとは異なります。居てくれたらどれだけ心強いだろうと思いますが、残念ながら私には白い犬は見えないのです。「今日、妻が死んだ。結婚生活57年。幸せだった」と日記に付けたこの時、サムは81歳、妻のコウラは75歳でした。彼の歳になっていれば、そのような心境になれるのかなとも考えます。

・・・・・

そうではなく、ちえ子は「もう十分です。一人でせいせいしています」と言っているかもしれないと思う。娘の葉子は「パパ、そんなことないよ。ママの言っていることが聞こえるでしょう。遠くから見ているよ。パパには絶対聞こえているよ」と携帯電話の向こうから聞こえてきた。  註:「白い犬とワルツを」、デリー・ケイ著、兼武進訳、新潮文庫(1990)

 

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」高知ファンクラブに掲載 2017年~

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 目次のつづき(2016年~現在に至る)

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 目次のつづき(2012年~2015年

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 目次のつづき(2008年~2011年)

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 目次(2002~2007年 )


鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」・・・土佐の高知にありがとう(Ⅷ)、道草

2017-06-08 | 鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」ほか

土佐の高知にありがとう(Ⅷ)、道草      

No.178、高知ファンクラブ、3(2017)

   再婚を理解して貰うための、高知での家族会議の時の様々な思いのメモである。

漱石の「道草」     (記:2002/8/12)

   夏休みに娘の葉子と孫の樹ちゃんがやって来ました。会話が途切れがちです。私がお見合いをしたことがお互いの口数を少なくしています。この際、会って欲しいと思っていますが、具体的な予定の相談はできません。前もっての電話でも、葉子の気持ちは二転三転していました。複雑な思いであることは想像できます。裏切りと映るのでしょうか。売り言葉に、買い言葉の状態ではありませんが、必要なことしか言わない、聞かない、の状態に近いのです。もう少し親しみを込めてくれれば、一言相談してくれればと、お互いに思っているようです。

  夏目漱石の小説「道草」を思い出しました。確かめたくなり、段ボール箱を開けて探しました。何度かの引っ越しでも開けることのなかった「文庫本」と書いてある段ボール箱です。この中にありました。くしゃみが出そうな古本の匂いです。

 思い出せなかったのですが、主人公の夫婦の名前が健三とお住であることが判りました。優しい一言をその時に添えてくれれば、こちらもそれなりに嬉しい顔ができたのにと、お互いに思っている夫婦なのです。お前が、貴方がそのような態度ならば、敢えて口を利く必要もないと思ってしまうのです。だんだんと必要最小限の会話だけの夫婦になります。このように相手の所為にしてしまうのは普通にあることです。この小説の主人公健三と漱石自身が重なり合っているとの解説が付いています。

  これだけはお互いに止めようねと、ちえ子と話し合った記憶があります。この小説では「二人はお互いに徹底するまで話し合うことはできない男女のような気がした。従って二人とも現在の自分を改める必要を感じ得なかった」とある。私たちの場合、徹底するまでの話し合いは出きませんでしたが、「改める必要」はお互いに感じていましたし、改める努力もしていました。もちろん、ちえ子の証言も必要ですが、何と言うでしょうか。

   親子でそのような状態にならなくてもと反省しますが、親子だから遠慮がないと云うこともあるでしょう。将来のことは、今は触れないようにしています。時間が解決すると思っています。明日13日に息子の夏志夫妻が崚斗くんを連れて高知にやって来ます。

樹ちゃん(たっちやん)       (記:2002/8/16)

   息子や娘と込み入った話をしようと思っても、樹ちゃんは寝てくれません。話を持ち出せる雰囲気にはなりません。お互いに言い出せないでいる、避けたいと思っていることもあります。明日17日は夏志達の帰る日です。この機会に何も話し合わないことは、却って不自然であると少し焦っていました。

 朝食の後、10分で手短に話すから聞いて欲しいと話し始めました。お母さんを失った子供達と妻を亡くした私との痛手の違いの言い合いになります。葉子は涙を浮かべながら話します。夏志も意見を述べます。お母さんを忘れたいと思っている筈がないこと、そしてそれを相手の人にも伝えてあることを説明します。黙って聞いているのは嫁の敦子さんと孫の樹ちゃんです。崚斗ちゃんはお父さんの膝の上でうちわを舐めています。話が途切れた時、樹ちゃんが「みんな自分のことを言っている」と言ったのです。鋭い観察力と要を得た表現力に吃驚しました。「けんかは終わったの?」で家族会議は穏やかに進みました、樹ちゃん、有難う。            註)樹ちゃんはこの時4歳です。

 

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」高知ファンクラブに掲載 2017年~

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 目次のつづき(2016年~現在に至る)

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 目次のつづき(2012年~2015年

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 目次のつづき(2008年~2011年)

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 目次(2002~2007年 )


本日の物部川こども祭、予定通り 実施します

2017-05-28 | なんでも情報ボックス

本日(5月28日10時~15時)の、第6回物部川こども祭 

   予定通り実施します。

       ご家族そろってお越しください。

 

こども祭

高知ファンクラブ


第6回物部川こども祭 5月28日(日)10時から15時 開催します

2017-05-24 | なんでも情報ボックス

物部川こども祭 2017年5月28日 10時から15時 開催します。

第6回物部川こども祭 5月28日(日)のご案内

香美市香北町のアンパンマンミュージアム前広場で、10時から15時まで開催します。ご家族そろってお越しください。

 

 こども祭

 


石垣島昔遊び伝承会を結成しました

2017-04-25 | 美味だし家からの情報

2017年4月19日、石垣島昔遊び伝承会を結成しました。

子ども達の心身を豊かに育んできた昔遊びが普段の遊びのなかから消えかけています

昔遊びを伝承する仲間を募集しています!

あなたは何が好きでしたか? 得意な昔遊びに参加しませんか?

    

      

   

1、紙ヒコーキ 2、けん玉 3、お手玉 4、大縄跳び 5、草笛 6、紙風船を折って帽子に付けて、新聞紙丸めてチャンバラ 7、あやとり 8、コマまわし 9、松葉すもう 10、竹馬乗り 11、自転車のリム回し 12、折り紙 13、ゴムカンで的当て 14、缶ぽっくり 15、おはじき 16、ビー玉遊び 17、凧揚げ 18、フラフープ 19、その他
ものづくり分野
①、竹とんぼ ②、竹馬 ③、ゴムカン ④、竹笛 ⑤、缶ぽっくり ⑥、水鉄砲・紙鉄砲 ⑦、ヤラブの笛 ⑧、万華鏡 ⑨、ドングリのヤジロベー ⑩、凧づくり ⑪、ウグイス笛・カッコウ笛 ⑫、アダンの風車 ⑬、その他      

石垣島昔遊び伝承会の 目的

祖父母から子どもや孫に伝えられ、昔から子どもたちに親しまれて来た昔遊び(伝承遊び)を、引き続き伝承していく事を目的とします。

        

石垣島昔遊び伝承会の 事業内容

子ども達を取り巻く環境の変化と、携帯ゲームの出現など遊びの質的な変化で、遊びの伝承が成り立たなくなって来ている現状を踏まえ、昔遊びの機会を増やす取り組みを実施します。

(1) 身体を使った遊びが多くあり、遊びの中で知らず知らずのうちに身体能力が鍛えられたり、根気や集中力が培われたり、バランス感覚が養われたりするなど、子ども達の心身を豊かに育んできた昔遊びの普及を推進し、戸外で体を使った遊びが減ったことによる、子ども達の身体能力や体力の低下防止を図ります。

(2) 室内での一人遊びが多くなったことによるコミュニケーション力の低下が指摘されており、子ども達にゲームの仮想世界とは違った、集団で遊ぶ、自然の中で遊ぶ、異年齢間で遊ぶ、全身を動かすなど様々な特徴がある昔遊びの本当の楽しさを体験できる場づくりに取り組みます。

(3) 昔遊びは世代を超えていっしょにできるので、核家族化が進んだ事による世代間のコミュニケーションの減少、地域コミュニティの弱体化が心配されるなか、身近なものを使い、作って遊ぶことや、遊び方や遊具の作り方を身近な大人に教わることで人と関わることもできるので、昔遊びを通した世代間の交流や創作意欲を高める取り組みをします。

(4) 昔遊びの経験者であるお年寄りが、親世代や子ども達との三世代交流などを通して、お年寄り自身が楽しめるとともに、元気で生きがいになる交流を促進します。

(5) その他

あなたも力を貸してください!

石垣島昔遊び伝承会

代表:宮良博之(石垣市レクリエーション指導者協議会会長)
 


第1回石垣島こども祭 企画書 

2017-04-25 | 美味だし家からの情報

第1回石垣島こども祭 企画書 

1、事業名  「第1回石垣島こども祭」

2、開催目的  こども達の健やかな成長と郷土を愛する心を育み、併せて石垣島・八重山地域の活性化に寄与することを目的とします。

3、事業内容

① ステージでは、子ども達が受け継ぐ郷土の伝統芸能などの発表を行い、「子どもの文化を発信するこども祭」と位置づけて実施します。

② お年寄りから学ぶ昔遊びやものづくりが、 “遊びの中に学びがいっぱい”の親子の体験活動の場として、みんなで楽しめるこども祭にします。

③ 石垣島・八重山地域などの“おいしいもの”や地場産品の販売・紹介などを通して、地域の交流を促進するこども祭にします。

④ 豊かな自然や人の命を守る施設や機関・団体の取り組みを紹介し、自然や人の命を大切にする心豊かな子どもを育てるこども祭にします。

3、主催団体   

石垣島こども祭 実行委員会 (実行委員長 金城弘美 )

(参加に際しては、実行委員会への負担金などはいただきませんし、逆に手当や報酬等もありません。)

4、開催日時   2018年3月18日(日) 10時~15時まで(小雨決行)

5、会場   石垣市真栄里 真栄里公園  

6、参加予定数   1,000人程度

7、後援団体(予定) 石垣市・石垣市教育委員会・竹富町・竹富町教育委員会・石垣市小

中学校PTA連合会・八重山地区高等学校PTA連合会・石垣市保育向上推進協議会・八重

山毎日新聞社・八重山日報社・石垣ケーブルテレビ株式会社・FMいしがきサンサンラジオ・登野城漁協ほかを予定

8、予算 

① 石垣島こども祭は自己完結方式で行い、必要最小限の予算で実施します。

(自己完結方式とは、実行委員会が指定した場所に、出店者がテントや机などを持参して設置し、自由に展示・販売などを行い、販売上生じたゴミなどの回収を含め、後片付けをして終了するやり方)

 ② 食べ物などを販売する出店者のみ、会場での売り上げの10%を自主申告で出店料として拠出してもらいます。当日会場で集金・領収書を発行します。

 ③ この出店料は案内チラシの印刷代や音響代・保険加入代などに充てます。

 ④ 不足が生じる場合は、寄付金で賄います。

9、その他 参考資料

 高知県でのこども祭実施例 「高知ファンクラブ こども祭総集編」検索 http://blog.goo.ne.jp/kenkoukfc

 〇物部川こども祭

 〇鏡川こども祭

 〇仁淀川こども祭

 〇森のこども祭ほか

 

 


鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」・・・土佐の高知にありがとう(Ⅶ)、故郷

2017-01-30 | 鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」ほか

土佐の高知にありがとう(Ⅶ)、故郷             

                                                       No.177,高知ファンクラブ,1(2017)

ふるさとは何処    (記:2001/3/21)

  娘が小学生の頃、「〇〇チャンはいいな。おじいちゃん、おばあちゃんの居る沖縄に行くんだって。旅行が出来ていいな。葉子のおじいちゃん、おばあちゃんの家はどうして青山(東京)や我孫子(千葉)なの」、「〇〇君のおじいちゃんは山形だって」と、自分は頻繁に両方のおじいちゃんの家に行けるのを棚に上げて、嘆いていました。東京ほど住み良いところはないと思って40年、首都圏以外に住むことなぞ考えても見ませんでした。

 高知に工科系大学を創るので、審議に参加して欲しいと末松安晴さんに頼まれたのが始まりです。末松さんとは東京工業大学の同級生です。また東工大での最後の2年間、彼は学長、私は工学部評議員として大学院重点化を推進してきた間柄です。いくら大学進学率が高くなっても、少子化に向かうこの時代に、しかも地方の高知で、今更何を考えているのだろうと思いました。足摺岬と室戸岬の区別も付かないほど、四国についての知識は持ち合わせていませんでした。しかし、私の東京中心の考え方を改めるには何も要らず、橋本大二郎知事にお会いするだけで十分でした。産業の誘致やリゾート開発ではなく、人材の輩出が必要であり、情報の発信源となって活性化を計るべきが、彼の持論でした。

 定年後の北海道大学の話に、ちえ子は札幌ならと言って自分の仕事を辞めてしまいました。その時はその延長上で高知に住むことになるとは考えもしませんでした。工科系大学設立策定委員会の度に、新千歳空港から羽田で乗り換えて、高知空港へと飛びました。

 この北海道で、地方の置かれた厳しさを始めて知ったのです。活性化を試みても上手く進まない現実を見てきました。企業誘致にも、リゾート開発にも、特産品作りにも、逆風が吹き始めていました。内地の人々が北海道に憧れる理由を、北海道の人は理解していないのです。吹雪に遭遇しても、流氷に閉じ込められても、観光客は大喜びなのです。クラーク博士の大志を探しましたが、当時の北大には見つかりません。権威主義、保守主義の塊に見えます。伝統は死守するものであり、創り続けるものとは思っていないようです。

 これらの経験は、新しいものを創り出す上での、大きな参考になりました。固定観念を捨て去ることから始めなければならないことを教えてくれました。固定観念はかなりの強敵で、ゲリラのように何時、何処に現れるか分かりません。それを見分けるのもまた大変です。背広を着て普通の顔をしています。

 高知工科大学に関わってからは、神経をすり減らす毎日になりました。ちえ子は私の愚痴と憤りの聞き役に徹してくれました。「王様の耳はロバの耳」と言っても心配のない大木の洞穴になってくれたのでした。そんなことがあり、あんなことがあったと色々と思い出します。しかし、結論はただ一つ。「素晴らしい一期生を送り出すことができた」です。

 孫の樹ちゃんは「おじいちゃん、夏休みには高知に行くからね。また、アンパンマン・ミュージアムに行こうね」と言ってくれます。「樹ちゃんはいいな。おじいちゃんは高知にいるの」と友達を羨ましがらせているのかも知れません。「ふるさと」を持たなかった私が、憧れの「ふるさと」を持てるようになったのは、高知の方々のお陰であると思っています。

 

註:メールアドレスが変更になっています。s-tomoo@gol.comです。御感想、ご意見、耳よりな情報をお聞かせください。鈴木朝夫 

〒718-0054 高知県香美市土佐山田町植718     Tel 0887-52-5154、

携帯 090-3461-6571   

 

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」高知ファンクラブに掲載 2017年~

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 目次のつづき(2016年~現在に至る)

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 目次のつづき(2012年~2015年

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 目次のつづき(2008年~2011年)

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 目次(2002~2007年 )


鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」・・・物部川流域から新春のお慶びを申し上げます

2017-01-30 | 鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」ほか

物部川流域から新春のお慶びを申し上げます     

                                                      No.176,高知ファンクラブ,1(2017)

  高知では年の瀬から年頭に掛けて快晴が続いていました。北の山々が見事に輝いていました。西寄りの工石山・三辻山から右に目を移せば、北山スカイラインの奥に笹ヶ峰、国見山が続いています。国道32号とJR土讃線、そして穴内川の沢筋が通る山の切れ目を過ぎると、風車のある甫喜ヶ峰の後方に聳える梶が森、鉢が森の山塊が、東寄りに特徴的な山容の御在所山を従えて見えてきます。物部川流域の谷筋を越えて、秋葉山から三宝山までの山々が、普段よりもくっきりと見えています。

 元旦の高知新聞では、「高知の川 よみがえる」、「水質40年で劇的改善」の見出しが一面を飾っています。20年前、高知に住み始めた頃は、「日本最後の清流」として四万十川の水質だけが高知の自慢だったように思われます。上流から下流に向けて、20を超える欄干のない沈下橋を注意しながら渡ったことがあります。源流とされる不入山や鶴松森にも行きました。今の四万十町窪川や大正では枝打ち作業を体験し、間伐作業を見学しました。

最近、「奇跡の清流 仁淀ブルー」として仁淀川が有名になっています。仁淀川との関わりは桜でした。仁淀川町桜地区の「ひょうたん桜」と、限界集落の名称のきっかけを作った佐川町尾川地区の「稚木の桜」の種が2008年11月に8ヶ月にわたる宇宙旅行から帰ってきました。今年も春には、高知の宇宙桜は、県内外で咲き誇ってくれるはずです。鏡川では山内神社境内に、物部川ではアンパンマン・ミュージアムの上にある香北自然公園に、遠くでは東京都多摩市の多摩川近くの桜が丘公園などに移植されています。

 宇宙桜の種を拾い集めたのはそれぞれの地域の小学生たちです。子供たちが元気に育って欲しいと河川を中心に、山・森・里に触れる機会を増やしながら、家族との触れ合いも密にと願って、「鏡川こども祭」、「潮江こども祭」、「仁淀川こども祭」、「物部川こども祭」を年ごとに順次増やしてきました。その流域で様々な活動をされている方々のご協力を仰ぎました。テーマの一つとして必ず加えたのは自主防災の意識の高揚でした。

申年の昨年は多くの区切りを迎えた年でした。まず12×7=84歳を迎え、始めての四国(高知)に住んで20年目を迎えました。そして、県産業振興センターの月刊誌、情報プラットフォーム(No.176、5(2002))に、エッセイ「ぷらっとウオーク」の第1回を投稿してから14年目になりました。昨年末の最終号(No.351、12(2016))に掲載のエッセイで175回(351-176=175)になります。長い間、ご愛読を頂いたことに厚く御礼申し上げます。第176回からはブログとして続けることにします。「土佐の高知にありがとう」シリーズもその中に含まれます。ブログは「高知ファンクラブ、鈴木朝夫」のキーワードで出てきます。御感想、ご意見、耳寄りな情報をお送りください。私のアドレスはs-tomoo@gol.comです。

  酉年の今年、高知の鳥の種類は沢山あります。県鳥のヤイロチョウ、オナガドリ、そして軍鶏(しゃも)、ハチキン地鶏、土佐ジロウ、プチコッコなど多彩で、賑やかです。干支で言えば「丁酉」(ひのと・とり)ですが、この組み合わせは「相剋」、すなわち片方が片方を弱める意味があると出ています。「結果の見えた確定値」と「期待値のある将来性」の何れかのようです。世界の情勢を眺めていると、このように揺れ動いているように思われます。 

 

註:メールアドレスが変更になっています。s-tomoo@gol.comです。御感想、ご意見、耳よりな情報をお聞かせください。鈴木朝夫 

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鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」高知ファンクラブに掲載 2017年~

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 目次のつづき(2016年~現在に至る)

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 目次のつづき(2012年~2015年

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 目次のつづき(2008年~2011年)

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 目次(2002~2007年 )


石垣島からのお便り その4 2016.12.15

2016-12-26 | 美味だし家からの情報

石垣島からのお便り その4 2016.12.15

じいじとばあばの おいしんぼ日記

 年の瀬も押し迫り、何かとお忙しいことと思いますが、その後お変わりありませんか?2016年2月に高知市から石垣島・石垣市に転居して、もう10ヶ月になりました。
 この間、夕食は「琉球割烹 司(つかさ)」本店(住屋の一階)で妻と二人で1時間ほどをかけて、美味しいお酒と料理を戴いて、昼食は2号店で幼稚園へ行っている孫と一緒に、自分の食べたいものをエントリーして食べています。ばあばは、二号店のお手伝いをしており、終了後に娘たちと食べています。
 夕食の4品~5品のメニューとお酒の種類は私が手帳に記録して、妻がスマホのカメラで画像を残しています。娘達と夕食メニュー集・レシピ集が出来るねーと話しております。
 朝食は妻が毎日作って、孫たちも喜んで食べて学校や幼稚園に行っています。
 高知の方は寒い季節になっていますが、こちらは暑い夏も終わり、エアコンの要らない過ごしやすい季節になってきました。昼間は短パンやTシャツでいることも多いのですが、朝晩は長ズボンに長そでシャツになりました。統計では1月が最も気温が低くて最低気温の平均が16.5度。こちらもそろそろ寒くなって来ます。
 これまで退職後もスマホの予定表をぎっちり見ながら暮らしていた私ですが、こちらに来てからは予定表は無しで、孫たちと遊びながら毎日美味しい酒と料理を口にして”ふぬけ”になったのか! パソコンを2か月も開かないことが続いています。調べ物などはスマホで間に合うようになったこともありますが、メールで不都合するケースが出ています。
 寒い季節になります。風邪など引かぬよう、ご自愛ください。

 

パダラー500匹余を一網打尽に!

ウミヘビまで網に掛りました

 石垣に来るまで海の遊びはほとんどしたことがなかった私ですが、婿が投網を使っているので、私は刺し網を購入しました。
 我家の前にあるマンタ公園の南に位置する登野城漁港では、この夏ミジュン(イワシの仲間)の群れが来て多くの釣り人でにぎわっていました。その登野城漁港の東に孫達が通う八島小学校があり、その東にも養殖をしている港があります。そこに船を陸に上げるスロープがあります。早朝妻にも手伝ってもらいこのスロープのなかにパダラー(ヤクシマイワシと言われ、イワシとは別種)の群れが入るタイミングを見計らって、両側から吊るしていた刺し網をザブンと海に落として逃げ道をふさぎ、スロープに沿って陸へ両側から引き上げました。まさに一網打尽で500匹余のパダラーなどが網に。どこに居たのか、下の写真のウミヘビまで網に掛り、毒があるので頭をつぶして家まで持ち帰り、婿に外してもらいました。孫達も加わり5人が1時間ほどかかって、500匹余を網から外しました。パダラーはから揚げにして骨ごと食べます。骨の香ばしさがなんとも美味くて、市場には出回らない魚の地元料理として人気です。
 このほかサンゴ礁の藻が生えた浅いところに産卵に来るシマハギ(スズキ目ニザダイ科のなかでもくせのない種で沖縄県 では食用種)を、一人で刺し網を海から持ち上げられない程捕れたのには、周囲の人々もびっくりでした。

  ~婿はおやじ譲りの釣り名人~
 鳩間島で育った婿は、小さい時から魚捕りをお父さんに教えられており、イカねらいの釣り人達が発見できないイカを見つけるなど、人並み外れた魚の生態を身体で掴んでいます。今年も5㎏の超大物コブシミ(コウイカの仲間)を筆頭に3㎏・2.5㎏などを。大小のアオリイカも何度か釣って、食卓に載せてくれました。
 日曜日の大潮の時に名蔵湾へ家族7人でイイダコ捕りに行きました。潮を吹いているタコをカニの餌で、巣穴からおびき出してフォークでぶすっと突き刺すのです。私はうまくタイミングを合わすことが出来ず、一匹も取れず仕舞いでしたが、妻達は何匹か捕って夕食の食卓に。

 

じいじと孫たちの石垣島アラカルト

 第15回南の島の星まつり に11.000人の来場者が 

 8月6日 孫達とすぐ近くのサザンゲートブリッジの公園で開催された星まつりに行きました。心配された天気でしたが、街が一斉に消灯する時間帯には雲も切れて素晴らしい星空を眺めることが出来ました。
 石垣島・八重山列島は大気が安定し、星がくっきり見えることでも知られています。全天で88個ある星座の内84個が、21個の一等星のすべてが、また南寄りの空にある星座で、北半球では見える場所が限定される南十字星や南極老人星(カノープス)なども見ることが出来るようです。
 星は島の宝として、「星空保護区」認定に向けて石垣市や石垣島天文台の宮地竹史所長(高知県出身・高知会会長)などが取り組みを加速しています。

 

サシバの渡りが観察出来ました

 10月12日の地元紙に、バンナ公園渡り鳥観察所でタカ科のサシバが約220羽飛来したことが報じられました。翌日早速孫達と同所へ。50羽くらいのサシバが、近くの空で舞っている様子を観察できました。同所内の説明には、渡りの途中でこちらにより近くの森で休んで、早朝に旅立つと書いていました。早朝ウォーキングやラジオ体操の時に、旅立つサシバの群れを発見しました。
 サシバは日本で繁殖し、秋には沖縄・南西諸島を経由して東南アジアやニューギニアで冬を越すようです。

 

昆虫館や蝶館カビラを訪問 

オオゴマダラ(石垣市の蝶)

ツマベニチョウ(竹富町の蝶) 

 県営バンナ公園内にある「世界の昆虫館」や川平にある蝶館カビラへ孫達と何度か行きました。石垣島・八重山地方は自然が豊かで、冬の今でもオオゴマダラ(石垣市の蝶・写真参照)やツマベニチョウ(竹富町の蝶)などが優雅な姿で飛び回っています。90種類の蝶の魅力に惹かれて移住している方も結構おられます。世界の昆虫館は、奈良県出身の山田守さんが60年かけて集めた膨大な標本から、世界40カ国350~400種の昆虫が展示されており、館長の山田さん他のグループがボランティアで運営しています。(私のブログ「石垣島からのお便り」検索)
 蝶館カビラは、千葉県出身の入野祐史さんが個人宅を利用して蝶の展示と、庭にネット張りの大きな飼育棟が。多種類の蝶が飛び交う様は見事でした。
 我家の庭のシークアーサーやレモンライム、島サンショウの木には何度も蝶の卵が産み付けられて、幼虫との格闘が続いています。

 

観光立県沖縄・滞在型で800万人/年。石垣市110万人超の記録更新中、観光最盛の8月、レンタカー5000台で交通事故100件。年間事故件数の4割強がレンタカー。今年は国の特別天然記念物のイリオモテヤマネコやカンムリワシが輪禍に遭うのも記録更新。

 

 

じいじと孫たちの石垣島アラカルト

じいじとばあばの おいしんぼ日記

琉球割烹ダイニング司<つかさ>

琉球割烹 司(つかさ) 二号店

石垣島、竹富島、鳩間島、西表島に関する記事

小浜真英氏(瓦職人)作のシーサー に関する記事

 

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」・・・地球を蹂躙する人間(*)、土佐の叡智は(〇)

2016-12-26 | 鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」ほか

地球を蹂躙する人間(*)、土佐の叡智は(〇)  

                                       情報プラットフォーム、No.351、12(2016)

 エッセイ「ぷらっとウオーク」を初めて本誌に書かせていただいたのは2000年5月(No.176)であり、14年を越えて続き、その合計は175編に上る。この最終稿では表題のように(*と〇)で集約してみる。

 

*行く川の流れは絶えずして しかももとの水にはあらず よどみに浮かぶ泡(うたかた)は・・・久しくとどまりたるためし無し(「方丈記」、鴨長明著)⇒No.248{「エントロピー」では読んでもらえないか?}

*エネルギーが豊富な時、エネルギーを多く使う生物種が優位に立つが、エネルギーが乏しい時は、エネルギー消費が最小の種のみが生き残れる。(「豊かな石油時代が終わる~人類は何処へ行くのか」、日本工学アカデミー編、2004)⇒No.241 {この暑さは地球温暖化の影響か?}

*「マデイラ島(Madeira)」を「木の島」と訳すのは不適切。鬱蒼たる高木・巨木を樹木ではなく、金を生む木材としか見ることが出来なかった紛れもない証拠である。(「森と文明」、ジョン・バーリン著、安田喜憲訳、晶文社、1994)→三角貿易の帆船の建造⇒No.

239{自然遺産、マデイラ島の照葉樹林}

*他の世界から隔絶されていることを知っている島民であれば、小さな島の有限の資源に依存していることは百も承知していたに違いない。必須の資源を完全に枯渇させるまで消費し続けたのである。次第に未開状態に逆戻りしていった。(「緑の世界史」、クライブ・ポンティング著、石弘之訳、朝日選書、1994)→イースター島、モアイ倒し戦争⇒No.238{人口密度、50人/km2}

*今、我々が直面しているグローバリゼーションとは何か? それは持続可能なものだろうか? 違う。それは長期にわたって持ちこたえられるものだろうか? 絶対にそうではない。誰が新しい世界を建設していくのだろうか? それは地球に住む男と女である。彼らの武器は何だろうか? アイデアと意識の高さだ。それはユートピアなのだろうか? いや違う。(「帝国主義のグローバリゼーション」、フィデル・カストロの演説)⇒No.211{キューバを見たい}、No.302、{人間社会もメタボでなければ}

*永遠に続く登山というものはない。登った山は降りなければならないのである。(「下山の思想」、五木寛之著、幻冬舎新書、2011)→+経済成長率は続かない。⇒No.298{右肩下がりの下山の先は}

*私は、19世紀の喪に立ち会っているのだ。一つの時代が終わろうとしていた。(「ココ・シャネル 閉ざされた時代に自由の翼を」、NHKBS、2015)⇒No.330{あなたは二十世紀の喪に服したか}

*地球上には未開拓の空間も、搾取できる開発途上の対象もなくなりつつある。(「資本主義の終焉と歴史の危機」、水野和夫著、集英社新書、2014)⇒No.330{あなたは二十世紀の喪に服したか}

*動けない植物は、動ける動物以上に、この地球上で繁栄している。何処にでもある太陽光、炭酸ガス、水を資源とし、贅沢な機能を排除して、必要最小限のエネルギーで種の系統を維持する手段を選んでいる。(「植物の生存戦略『じっとしているという知恵』に学ぶ」、朝日新聞社、2007)⇒No.248 {『エントロピー』では読んで貰えないか?} ;No.201 {切り詰めて生きる}

*資本主義の致命的欠陥は、富の分配が公平に行えない仕組みであり、貧富の差がますます拡がっていくことである。(「21世紀の資本」、トマ・ピケティ著、邦訳、みすず書房、2014)⇒No.330 {あなたは二十世紀の喪に服したか}

*私たちは、今人類の歴史のなかで、最も「豊かな」生活をしていると思い込んでいる。昔の生活ときたらそれはひどかったと、皆がそう思っている。宮沢賢治はそうではないとはっきりと言っている。彼は自然を慈しむ目を持ち、自然に対して畏敬の念を持っていた。(「エントロピー」、藤田裕幸ら著、現代書館、1985)→人間になった人類が地球の破壊を始めた。⇒No.241 {この暑さは地球温暖化の影響?}

 

〇男女に定員を「割り当てる」クオータ制や、男女の「等価性を維持する」パリテ制を採用することで議会の男女比を保つ方法がある。→地方議会から⇒No.336  {本当の男女共同参画社会に向けて}

〇科学者であり文学者でもあった寺田寅彦のように、また何にでも好奇心一杯の牧野富太郎のように、柔軟性を持ってほしい。暗記一辺倒の受験勉強の仕組みの中で、受験科目を限定して文系・理系の概念ができてしまったのである。→固定観念の排除⇒Mo.282 {理系・文系は受験科目だけにしよう}

〇玄関から、直接、子ども部屋へ、書斎へ行ける間取りは最悪である。「ただいま」、「お帰りなさい」の家族間の挨拶が気軽にできる造りをイメージして欲しい。「頂きます」、「ご馳走様」、そして「おはよう」、「お休みなさい」の挨拶が家族を豊かに育ててくれる。挨拶の習慣はご近所さんを増やしていく。⇒No.236 {出会うチャンスが多い造りほどよい};No258 {モーニングって何です?}

〇「高知 広域・広領域 博物科学館」を創ろうとする提案である。点在する様々な領域の施設や企業活動を通じて、科学・技術だけではなく、歴史・文化に関わる活動にも広げたいのである。→ボランティアとしての地域活動、その組織化の一助にも。⇒No.316 {初夢 高知博物科学館ネットワーク}

〇土佐には無人島の鳥島で生き抜いた先人たちの事例がある。野村長平やジョン万次郎の生き方を調べてみよう。防災訓練は「逃げる」に集中しているが、その次に来る想定は、自然の中でご近所の方々と助け合って「生き延びる」である。⇒No.314{大災害後のサバイバルのために}

 

長年にわたりご愛読をいただいたことに、そして土佐の高知を私の故郷と認めて下さったことに、そして私に生き甲斐を与えて下さったことに感謝いたします。

 註:メールアドレスが変更になっています。s-tomoo@gol.comです。御感想、ご意見、耳よりな情報をお聞かせください。鈴木朝夫

 

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 鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 目次のつづき(2016年~現在に至る) 

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 目次のつづき(2012年~2015年

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 目次のつづき(2008年~2011年)

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 目次(2002~2007年 )

高知県産業振興センター発行の情報誌「情報プラットフォーム」に掲載された 「ぷらっとウオーク」 を、「高知ファンクラブ」事務局の要請を受けて、ブログでも紹介させていただくことにしました。
どうぞよろしくお願いします。     HN:鈴木朝夫

 

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」・・・ディープ・ラーニングの達成度、人工知能

2016-12-26 | 鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」ほか

ディープ・ラーニングの達成度、人工知能  

                                        情報プラットフォーム、No.350、11(2016)

  最近の人工知能の開発と発展は目覚ましい。神経細胞の構造や動きをモデル化して、コンピューター技術に応用したものをニューロ・コンピューターと名付けている。このような人工知能(AI)には、さまざまなレベルがあり、「認識・思考過程を組み込んだ人工知能」、「多量のデータを処理できる人工知能」、そして「そのビッグデータから自動(深層)学習のできる人工知能」へと急速に進化している。これは「画像認識」、「運動の習熟」、「言語の意味の理解」と続くものである。その道のゲームの達人との対戦を見ても、チェスから将棋、そして囲碁へと複雑さが増すゲームに拡大して、人工知能が優位に立ちつつある。

 自動操縦の自動車が一般道を走行する時代はすぐそこに来ている。自動操縦の安定性・安全性は、運転を重ねる度に深層学習(ディープ・ラーニング)を繰り返し精度が上がっていく。しかし、自力で運転する喜びも温存しておく必要がある。「マナーを守ろう」の標語は無用となり、渋滞も解消するだろう。なお低確率であるが必ず発生する事故の法的安定性の確立が重要である。ドローンでの宅配便、豊かな心を持つ介護・介助ロボットの実用化もすぐそこにある。一方で、サイバー攻撃には、先制的に時々刻々と備えを確実にしておく必要がある。殺人ロボット兵器を作る残酷なサイコパスは身近に住んでいる。

 世の中のさまざまな物体(モノ)がインターネット機能を持ち、相互に連結した仕組みを「モノのインターネット(IoT)」と呼んでいる。これは脳神経の構造を模したアルゴリズムなのである。神経回路網(ニューラル・ネットワーク)は神経細胞(ニューロン)と神経細胞の接合部(シナプス)でできており、これらは多層化され、複雑に接続している。人間の「認知」と「行動」の仕組みを情報処理システムの観点からから考えてみる。目や耳などの「感覚」器官で受けた情報(意識)は、普遍的な判断基準を加えて「知覚」される。さらに経験や学習に基づく基準に照らして「認知」される。これらはさまざまな階層で「記憶」される。なお、記憶・記録の割り当ての場所は各段階に存在するが、詳しいことは不明である。

 手や足などの「運動(行動)」はそのレベルに応じて、起点が異なってくる。視覚空間と記憶空間の中を運動空間として身体運動を行うが、その判断基準はディープ・ラーニング(深層学習)の成果によるだろう。オリンピックの体操競技、例えば金メダリストの内村航平の演技を見ると、「知覚」による本能で即断演技をしているように思われる。「体で覚える」の表現は当を得ている。これに対して「豊かな感性」、「言語の理解」は脳のどの部分で、どのように培われているのだろうか。テレビ番組「プレバト!!」(MBS/TBS系)の俳句コーナーで、容赦ない毒舌で評価・添削する夏井いつきを見ていると、「知覚」、「認知」、「記憶」のすべてを活用して「磨かれた感性」が創造されているように思える。

 私の歩き始めの「すくみ足」を、意識改革によって解決する手段は前報で述べた。一方で、停止行動にも問題が出てくる。目的地の一歩手前で、手が先に出て、前のめりになってしまう。出入口のドア、これから座る椅子など、そこの到達点には目的がある。効果的な手順を即座に判断できなくなっている。

 現在のところ、神経変性疾患の有効な治療法はない。細胞病理学上の特徴は異常な構造の蛋白質の蓄積であり、これが情報伝達物質のドーパミンの十分な分泌を妨げていると考えられている。神経伝達物質を補うような錠剤(ドプス錠やドパコール錠)を服用している。病名は進行性核上性麻痺であり、進行を遅らせることしかないようである。大隅博士のノーベル医学生理学賞の成果(不必要な蛋白質を再生する機能)の実用化には時間が必要である。一方で、人工知能はディープ・ラーニング(深層学習)を重ねて、日を追うごとに知力・能力を増している。自動操縦電気自動車の普及はすぐそこである。ボディには優れたデザイン性が要求される。漫画王国高知の、中小企業こそ、ベンチャー企業こそが出番である。

 参考資料(人工知能など):

本誌、2016,6,No.345,P15  / 本誌、2016,7,No.346,No.346,P16

 

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 鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 目次のつづき(2016年~現在に至る) 

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 目次のつづき(2012年~2015年

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 目次のつづき(2008年~2011年)

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 目次(2002~2007年 )

高知県産業振興センター発行の情報誌「情報プラットフォーム」に掲載された 「ぷらっとウオーク」 を、「高知ファンクラブ」事務局の要請を受けて、ブログでも紹介させていただくことにしました。
どうぞよろしくお願いします。     HN:鈴木朝夫