予定進度より遅れていますが,「注文の多い料理店」の授業が終わりました。
この物語は,注意深く読むといくつかの矛盾点があると思います。
ひとつは犬です。
犬が生き返っているのです。
「注文の多い料理店」は,「現実の世界」→「不思議な世界」→「現実の世界」と展開していく物語です。
最初の「現実の世界」で死んだはずの犬が,最後の「現実の世界」の場面で生き返っているのです。
私なりにいろいろと解釈してみましたが,どういうことなのか,いまだに分かりません。
インターネットで話題になっているサイトもありましたが,納得できる説明はありませんでした。
宮澤賢治流の「ユーモア」と解釈するのがよいのかもしれません。
もうひとつは,「西洋料理店」の料金への認識です。
山奥で「料理店」を発見したとき,「しんし」の1人が「このうちは料理店だけれどもただでごちそうするんだぜ」と言い,もう1人もそれに同意します。
しかし,金属類を外す場面では「勘定は帰りにここで払うのだろうか」と言い,もう一人も同意します。
最初は無料の認識で,急に有料の認識に変化したのはなぜなのでしょうか。
ここも釈然としません。
私の読みが浅いのでしょうか。
この物語は,注意深く読むといくつかの矛盾点があると思います。
ひとつは犬です。
犬が生き返っているのです。
「注文の多い料理店」は,「現実の世界」→「不思議な世界」→「現実の世界」と展開していく物語です。
最初の「現実の世界」で死んだはずの犬が,最後の「現実の世界」の場面で生き返っているのです。
私なりにいろいろと解釈してみましたが,どういうことなのか,いまだに分かりません。
インターネットで話題になっているサイトもありましたが,納得できる説明はありませんでした。
宮澤賢治流の「ユーモア」と解釈するのがよいのかもしれません。
もうひとつは,「西洋料理店」の料金への認識です。
山奥で「料理店」を発見したとき,「しんし」の1人が「このうちは料理店だけれどもただでごちそうするんだぜ」と言い,もう1人もそれに同意します。
しかし,金属類を外す場面では「勘定は帰りにここで払うのだろうか」と言い,もう一人も同意します。
最初は無料の認識で,急に有料の認識に変化したのはなぜなのでしょうか。
ここも釈然としません。
私の読みが浅いのでしょうか。